イエス様の生涯と愛 第31話

子孫を残したかったイエス様

問題になるのは、イエス様が独身だったということです。祭司長になるにも独身で、王になるにも独身でなければならないのでしょうか。そんなことはありません。もしイエス様が結婚していたならば、どうなっていたでしょうか。イエス様を中心として、イエス様の家庭が生じていたでしょう。またアダムとエバが堕落せずに成就すべきだった真なる父母の立場を、イエス様が代わりに成就することができたでしょう。

イエス様も男性ですが、新婦を迎えて息子、娘を生みたかったでしょうか、生みたくなかったでしょうか。この地上で「お父さん」という言葉をイエス様は聞きたかったでしょうか、聞きたくなかったでしょうか。もちろん聞きたかったことでしょう。また「おじいさん」という言葉も聞きたかったでしょう。

こうしてイエス様が祭司長になり、イスラエルの王になっていれば、神様が直接支配し得る皇族が生じていたでしょう。そのようになったら、今日のこの世界にイエス様の直系の子孫が残っていたはずです。

では神様は、イスラエル民族よりもイエス様の直系の子孫のほうを愛するでしょうか、愛さないでしょうか。どちらを愛するでしょうか。そうなったらイエス様を中心として、キリスト教徒は一つの王権国家、善の主権国家を成し、世界へと広がっていったはずです。これは常識的に考えても分かることです。皆さんも、男性としてイエス様のような立場に立てば、そのように考えないでしょうか。また、そのようなことを願わないでしょうか。

そのような立場に立ったイエス様がみ旨を成就できず、十字架に行かなければならない急変の事態が起きることによって、イエス様は「アバ、父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」という深刻な祈りを捧げざるを得なかったという事実を、私たちは知らなければなりません。死ぬのが嫌で、そのような祈祷をしたのではありません。

救い主が十字架にかかって亡くなることになれば、救い主を信じる人たちも血を流す道を行かなければならないのです。自分が死ぬことによって、後代の数多くの人たちが虐殺され、世界を流浪しながら悲惨な死に遭う事態になることを思うとき、懇切に三度も天の前に訴えざるを得なかったのです。そのようなイエス様の事情を誰も知りませんでした。

では、イエス様が来て何をすべきだったのでしょうか。サタン主権の国家以上の主権国家を築くと同時に、私たち人類の原罪を取り除かなければなりませんでした。原罪を取り除かなければならなかったのです。イエス様から接ぎ木され、原罪を取り除いた立場で、イエス様と一つになった人の子女は、イエス様を信じなくても天国に行けます。堕落がなかったら、私たちには救い主が必要ありません。宗教とか祈祷とかいうものは、すべて必要ないのです。堕落したから、救い主が必要なのです。

Atsuki Imamura