イエス様の生涯と愛 第30話

結婚できなかったイエス様

マリヤはどうすべきでしょうか。僕たるマリヤは、堕落したエバの立場で自分の継代を通して堕落しないエバをつくるために、あらゆる精誠を尽くさなければならなかったのです。

それはどういうことかというと、イエス様の結婚に対して関心をもたなければならないということです。イエス様が死ぬことになったのは、結婚できなかったからです。結婚をしていたならば、なぜ死ぬのですか。

マリヤは全身全霊を尽くして、女性を創造しなければなりませんでした。マリヤは女性です。マリヤは僕としての女性の中で代表的な立場なので、僕圏内にある女性たちをみな動員しなければなりませんでした。三人以上動員しなければなりませんでした。三位基台を立てなければならないのです。そのように動員して、お互いに協助しなければならないのです。

イエス様の親威の中に娘がいるかを調べ、そのような娘がいれば彼女たちを集めて基台をつくらなければならなかったのですが、それができなかったのです。イエス様の親戚の中に誰がいたでしょうか。洗礼ヨハネの妹がいたらどれほどよかったでしょうか。洗礼ヨハネの母は、マリヤがイエス様を身ごもったのち面倒を見てくれました。イエス様が腹中にいるときから歓迎しました。したがって洗礼ヨハネの妹や遠い親戚に娘がいたら、洗礼ヨハネの母とマリヤ、そして姉がいるならその姉と三人が一つになって、イエス様よりも年が若いその親戚の娘と因縁を結ばせなければならなかったのです。イエス様と共に、一人の女性を再創造しなければならなかったのです。

もし洗礼ヨハネの妹がいれば、その妹が幼いころからイエス様が東に行けば東について行き、西に行けば西についていきたくて、ついていけなければ「私はたまらない」と言うぐらいに、片想いするようにさせなければなりませんでした。イエス様が結婚をする前に、そのようにしておかなければならなかったのです。

そのようにするには、誰でもいいというわけではありません。そのような女性は、今まで信じられなかった歴史的なすべての内容を解き得る、特別な氏族の中に現れなければなりませんでした。その特別な氏族とは、どのような氏族でしょうか。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭です。ヨセフの家庭にはヨセフのいとこもいたことでしょう。

イスラエルの国の中ではユダヤ教が中心であり、ユダヤ教の中ではヨセフの家庭が中心であり、ヨセフの家庭の中では洗礼ヨハネの家庭が中心であることを、神様は御存じだったのです。それゆえ、その家庭は最も重要な血族でした。

先祖の中の種がいいのです。神様は見込みがあり、家柄から見て名門である一族を通して、イエス様が生まれるようにされました。また洗礼ヨハネの家庭を見るときも、洗礼ヨハネをエリサベツが懐妊するとき、祭司長の責任をもつザカリヤの口がきけなくなるという事件が起きたのを見ると、族譜、つまり家門が相当に良い家柄であることが分かります。しかしそのような相当に良いいとこ圏内で、イエス様の相手を見つけていたら神様は嫌われるでしょうか、喜ばれるでしょうか。

イエス様の相手は、他の所から取ることができません。自分の直系のいとこの妹(年下の女性)でなければ、母方のいとこしかありません。血統が違ってはいけないのです。母方のいとこは同じ所属なので可能なのです。このように、いとこの妹を通して物事がうまく行っていたら、どうなっていたでしょうか。イエス様にほれて、イエス様でなければ刃物を突き立てて死んでしまうとか、イエス様でなければ結婚しないというそのような妹がいたとすれば、どうなっていたでしょうか。イエス様が死ぬときに、自分も一緒に死ぬのだと言って追いかけてくる女性がいたとすれば、どうなっていたでしょうか。

この地上で神様の王子が逝くというのに、男性は天使長の立場なので逃げてしまいましたが、イエス様の相手として残り得るエバの群れ、我が夫が行くべき道を志操でもって守れる一人の女性、片想いでもできる女性がいたらどうなっていたでしょうか。

もしそうなっていたなら、イエス様は死んでも、神様の前に栄光を返すことができるのです。また、「あなたはこの地上で私を愛してくれる一人の人を見つけたではないですか。死ぬ場にまで私のそばで私を愛して死んでいくか弱い女性を哀れに思ってくださいませ」と、恵みを祈ることができるのです。万民に代わって恵みを祈ってあげられるのです。

もしそうなったとすれば、イエス様は死の道、黄泉路でも孤独ではなかったでしょう。地獄に行くにも二人で行き、楽園に行くにも二人で行ったはずでしょう。ですから孤独でしょうか、孤独でないでしょうか。そうなったとすれば、聖霊を何のために送りますか。聖霊を送る必要はないのです。

しかし、二人でいることができない運命だったので、聖霊を送ったのです。父の神であるイエス様は天の国に行き、母の神である聖霊は地に降りるという離別があったのです。そのような女性がいたならば、昇天は必要ないのです。地は息子、娘を直接保護するので、そのようには死なないのです。

Atsuki Imamura