イエス様の生涯と愛 第29話
イエス様を中心として見た女性の責任
イエス様が死んだのは、女性が誤ったからです。実際、マリヤがイエス様の新婦を探してあげる責任を果たせなかったのです。マリヤだけでも責任を果たしていれば、ヨセフが死のうが生きようがほうっておいて、イエス様に腹中にいる時から約三年だけでもよく侍っていたならば、問題は変わったことでしょう。ですから女性たちが、第一に母の責任を果たせず、第二に新婦の責任を果たせず、第三に僕の責任を果たせなかったのです。このような三つの責任を果たすことができなかったのです。
イエス様がサマリヤの女を引き止めて、話した理由とは何でしょうか。サマリヤの女を僕にしょうとしたのです。母を失い、新婦を探せず、僕であるサマリヤの女の所に行って水をくれと言ったのです。その女性はサマリヤ人、僕でしょう?ところが、この僕も責任を果たせませんでした。このサマリヤの女は、僕の中でもぼろ布のような女の僕なのです。五人の夫に仕えた女性でした。家庭の暮らしは貧しく、汚れた女性だったのです。
そのような女性でも、イエス様のみ言を聞き「この道だけが私の生きる道だ」と言いながら荷物をまとめてイエス様に従ったとすれば、どうなったでしょうか。マグダラのマリヤよりも立派になったのではないでしょうか。そのようにしていたならば、そのサマリヤの女は、マグダラのマリヤ以上の立場に立つようになったことでしょう。
そのような観点から見ると、イエス様が亡くなることになったのは、女性のせいなのです。その女性とは、母、娘、僕の三段階の女性です。堕落したアダムを中心として見れば、アダムの妻は僕です。エバが堕落して僕になったのです。そのような僕の体を借りて、イエス様が生まれたのです。
イエス様がこの地に来ることによって、養子時代に入りました。養子圏は直系圏に近いでしよう?僕は直系の息子であるイエス様と関係を結んでこそ、養子圏内に入ることができるのです。それゆえ、キリスト教を信じる人々は養子なのです。
旧約時代は僕の時代です。イエス様が生まれる前時代である旧約時代は、神様の娘がいませんでした。ですからやむを得ず僕の体を借り、主人(神様)の種を受け取って生まれるのです。マリヤはそのような僕の立場でした。主人の土地がないので僕の畑に行き、主人の種を受け取ってきたのです。僕の畑で受けた種だとしても、種さえ正しければいいのです。神様の種を僕の畑に植えて受けてくるのですが、その畑がマリヤのものなのです。このようなマリヤをカトリックでは聖母とし、あがめて大騒ぎでしょう?
このように僕の体を経て生まれたイエス様を、息子の立場に立てたのです。こうして息子の位置に立ったイエス様を中心として因縁を結んだ使徒たちは、僕の立場から養子の立場に上がるようになるのです。イエス様を中心として、一段階高い所に上がるのです。イエス様と一体になれば、僕の立場から一段階高い養子の立場にそのまま上がるのです。
僕の立場から一段階上がったので、娘が現れなければなりません。僕の体を借りて、神様の息子であるイエス様が生まれたので、次は神様に必要な娘が現れなければならないのです。その娘をイエス様がつくらなければなりません。イエス様が堕落していないアダムになったので、イエス様の妻になり得る堕落していないエバがいなくてはならないでしょう?後のアダム、すなわち復帰された本然のアダムであるイエス様が現れたので、復帰されたエバが現れなければならないのです。
ではエバは、どのように現れなければならないのでしょうか。創造の原則によって、エバはアダムを通してつくられなければなりません。イエス様はマリヤを通して生まれましたが、エバが生まれるに当たっては、そのような原則はありません。エバが僕の立場で蕩減復帰しようとするならば、イエス様がアダムを復帰完成したのちに、イエス様によってつくられなければならないのです。そもそもエバはアダムによってつくられたので、復帰されたエバもアダムの代わりであるイエス様を中心としてつくられなければなりません。
それならばイエス様を中心として、復帰されたエバをつくる際には誰の協助を受けなければならないのでしょうか。天使長の協助を受けなければならないのです。ところが男性の天使長の協助を受けてはいけません。なぜでしょうか。男性の天使長によってエバを失ったので、復帰路程においては男性の天使長の協助を受けてはいけないのです。女性の天使長の協助を受けなければなりません。そうしてこそ、エバが創造されるのです。ここで、堕落したエバを誰が復帰すべきかというと、アダムが責任を取って復帰しなければなりません。つまりイエス様御自身がしなければならないのです。
女性の天使長の協助を受けて、イエス様の相対的存在であるエバを創造しなければならないのです。そのためにはマリヤが、イエス様のみ旨を中心としてイエス様と一つにならなければなりません。そうなれば、男性の天使長の立場に立ったヨセフが協助するようになるのです。そうしてこそ、堕落することによって僕の立場に落ちたアダムとエバが、息子、娘の立場に復帰されるのです。
アダムとエバが天使長と一つになることによって堕落したので、天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦が、ヨセフとマリヤです。彼らは、イエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。
イエス様が成人になるまで、喜びの中で完成できるように協助してあげ、彼の新婦を選ぶことにすべての最善を尽くして協助してあげなければなりませんでした。彼らは天使長夫婦の立場で、イエス様とその相手を本然の息子と娘のように完成させてあげるべきではなかったのでしょうか。
マリヤを中心に天使長格であるヨセフは、絶対服従しなければならないのです。そうしてこそ復帰されるのです。エバの前に天使長が屈服していれば、アダムとエバは堕落しなかったでしょう。マリヤにヨセフが不平を言って服従しなかったのは、マリヤの責任です。イエス様を完成させるに当たっては、マリヤが主体にならなければならないのです。そうして天使長とアダムが失敗したことを復帰してあげなければなりません。エバが天使長とアダム、二人の男性を堕落させたでしょう?ですからエバの立場であるマリヤが、天使長とアダムを復帰しなければならないのです。