イエス様の生涯と愛 第25話
イエス様の内的三十年の準備期間
イエス様が三十年の間、準備したものとは何でしょうか。今まで神様が摂理した内的世界においてもつれた曲折をすべて解き、これを外的な世界にそのまま横的に展開させて蕩減復帰するための準備期間でした。三十年の準備期間は内的であり、三年の公生涯路程は外的期間です。三十三年の期間を通して完全なアダム復帰、個体完成を完結させるために闘ってきたということを知らなければなりません。
メシヤとして生まれたその日から、メシヤの振る舞いをするのではなく、先祖たちが誤っていたら、誤ったすべてを完全にサタンの前に蕩減して、分別された勝利的基盤を築いた土台の上で、メシヤとして出発ができるのです。この地上にそのような出発ができる土台があったならば、イエス様は苦難の道を行く必要がないのです。
もし東方の博士、あるいは羊飼いなどが、イエス様が準備時代として内的な闘争をする三十年の準備期間に、イエス様の垣根となって外的な闘争の基盤を築き上げていたら、イエス様は外的三年の公生涯路程で、内的なそのすべての天的な懐を地上に横的に展開させて蕩減するに当たり、苦難の道、迫害の道、苦労の道を行かなくても土台を築くことができたでしょう。
また築かれたその土台を中心として、これを動かしていって苦難に遭ったとしても、これを基盤として、彼らと連絡できる洗礼ヨハネを中心とした人たちが責任を果たしていたならば、イエス様は外的な苦難にぶつからなくても、み旨を成し遂げることができたでしょう。しかし、このような土台がすべて崩れていくことによって、イエス様は東方の博士や羊飼いたちが追求していた人間の代表としての使命を再び収拾して、洗礼ヨハネを立て、それまで築いてきたすべての準備の基盤まで収拾してこそ、時代の前に現れることができるのです。
それゆえ長く見れば、四千年の歴史を収拾しなければならず、自分の生涯について見れば、三十年余りの生涯路程において、天が準備した横的な地上の歴史的条件までも蕩減しなければならなかったのです。それでイエス様が蕩減しなければならない期間が、三十年の生涯と三年の公生涯路程であるということを知らなければなりません。この三年の公生涯路程というのは、極めて悲しい路程です。人間が責任を果たせなかったことによって、イエス様が苦難の道を行き、十字架の道を行ったということを私たちは知らなければなりません。
イエス様が三十三年間、この地上で天を代表して戦った目的はどこにあるかというと、個体完成です。それゆえサタンが、三大試練をしてきたのは何でしょうか。イエス様を一時的な一怨讐として試練をしたのではありません。イエス様の全体目的を前に試練したのです。サタンが試練するに当たって、イエス様の三大試練の内容と同じ、そのような目的の実体になって試練してくる者に対して、「サタンよ、退け」とあらかじめ防いでくれる人がいたのなら、イエス様には試練は必要ないのです。三大試練は必要ないのです。
試練を通さずに出発と同時に個体完成となり、出発と同時に聖殿理想が完成し、出発と同時に世界の栄光を立てられるようになるのです。そのような基準が出発と同時に一度に起きるはずだったのですが、そのような外的な環境からあらかじめ防いでくれ、サタンと対決して「このサタンめ、お前が知る前に私が知っている。お前が試練するこのような条件は、私にしても駄目だ」と、防いでくれる人たちがいなかったがゆえに、イエス様は苦難の道を行ったのです。
私生涯期間のイエス様
イエス様は物心がついてからは、食べるのも民族のために食べ、暮らすのも民族のために暮らしました。彼が何よりも苦心したことは、天の父のみ旨のために生きることでした。ところが、天のみ旨のために心を痛め、気をもんだイエス様の三十年余りの生涯を知り、イエス様を引き止めて求めた者がなく、イエス様を引き止めて捜しに出た者がなく、イエス様を引き止めて彼の心中をたたいた者が、その当時、一人もいませんでした。
そのような環境であったがゆえに、不憫なイエス様になってしまったのです。天のために民族の代わりに求めなくてはならない立場になり、民族の代わりに捜さなくてはならない立場になり、民族の代わりに門をたたかなくてはならない立場になったのです。イエス様はこのように、上には天に代わって求め、捜し、門をたたかなくてはならない立場に立ち、下には地に代わり、民族に代わって、切に求めなくてはならない立場に立つようになりました。また切なる心情を抱いて捜し、民族の心情をたたき、民族の心を開かなければならない立場に立つようになったのです。
不信と裏切りの民族を見つめるイエス様は、その民族が寝ているときも、享楽に浸っているときも、楽に眠ることができず、休めず、楽しむことができず、民族をつかんで天と因縁を結んであげるために戦われたのです。このような事実は、イエス様御自身だけが知っておられました。民族の中の誰一人として、イエス様の心情を慰めてくれる人がいなかったのです。
環境から懸け離れたイエス様の心情は、み旨の時を待ち焦がれるどころか、何とも言えないいらだちの気持ちを禁じ得なかったでしょう。三十年余りが過ぎ、み旨の実践路程を覚悟して乗り出したイエス様の心情は、悲壮であるならば何とも言えないほど悲壮であり、形容し難い心情であり、人間としては体恤できない耐え難い心情だったのです。このような気持ちでみ旨を実践しようとする公生涯路程を心配したイエス様であることを、私たちは悟らなくてはなりません。