御旨と海 第93話

我々の誇り
1977年 6月 5日

 先生はニュー・ホープ号と呼ばれる船で海に出かけます。人々は先生がただ楽しみのためだけにニュー・ホープに乗ってい行くと思うかもしれません。しかし、毎日先生は多くの材料を集めています。神様は海の下に無限なる資源を隠しておられます。そして海は将来、世界の発展の鍵となるでしょう。

 海の事業を開拓する路程において、我々は時々何らかの犠牲を払わなければならないことを先生はよく知っています。いずれも我々は、何百隻もの漁船を持つことになり、それらの中には海で遭難するものもあるかもしれません。しかし、たとえ夫や兄弟を失ったとしても、それが我々の開拓の熱意を妨げることはないでしょう。なぜならば、その仕事は人類のためであるからです。

 我々は海を支配する者となりたいの思います。海は陸地よりも二倍大きいのです。さらに海の下には広大な資源があります。困難も克服する国が、海を征服するでしょう。我々は陸地を主管することを最初に学びました。それと同じ開拓精神で、我々は海をも征服することができるのです。

 我々の戦いは今陸地で行なわれています。そして我々は迫害の嵐によって試練を受け、鍛えられて勝利者とならなければなりません。そうすれば本当の嵐が来る時でも、我々はそれらを歓迎することができるのです。アメリカにやって来たピルグリム達は開拓者でした。そうでなければ、特に嵐の季節に太西洋を横断するようなことはしなかったでしょう。彼らは不確かな運命が自分達の先に横たわっており、生命の保証もないことを知っていました。彼ら以前にその新世界に到着した人はほとんどいませんでした。しかしそれでも彼らは出かけて行きました。神様に対する希望と信仰によって困難を克服しました。今二十世紀における我々もまた、神様に対する信仰を持って荒海に乗り出す船のように前進しつつあります。いかなる迫害やいかなる風が吹こうとも、我々は神様に対する信仰を持っているのです。

 広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています。先生は神様に対して「二十年くだされば、我々は海を征服し、主管して、あなたに栄光をお返しします」と約束しました。先生は海に出かける度にそのように考えています。後に、フォードやロックフェラー財団も取るに足りないように見える基盤を我々は築くでしょう。そのように確信しなければなりません。

 こういうことはすべてと統一教会における我々の誇りです。漁師の生活は困難であり、汚いものであり、時には荒々しいものであって、しばしば泥棒やうそつきに見られて来ました。ではなぜ我々がそのような生き地獄として知られているような事業の中に乗り出して行かなければならないのでしょうか。地獄の底に降りて行って、改革することにより、そこに天国をもたらすことにより、地上天国の到来を早めることができるのです。



神様の願い
1977年 6月19日

 美の特徴の中には、ブロンドの髪の毛と青い目と白い歯の組み合わせのようなコントラストが含まれます。海では、何マイルも何マイルも青い海でしかなく、しばらくすれば、その青い色は退屈なものとなってしまいます。しかし、もし突然遠くから黒い船が近づいて来るのを見れば、その黒い点が皆さんのすべての注意を引き付けます。そしてその黒い船が白い帆を上げる時、それはますます心を興奮させ、ドラマチックなものに見えてきます。その黒い船が多彩な旗を掲げるならば、それは本当に豪華なものとなります。自分の周りにあるものが、すべて青いために、そのような白い帆を掲げ、多彩な旗を立てた黒い船を見ただけでも満足するようになるのです。それが先生の言うドラマチックというものです。

 先生は、多くの議論を引き起しています。それは、白人文化は広大な海のようなものであって、その中に一つの黄色い点が現われ、それが人々の注目を浴びているからです。アメリカ人の中には、先生を歓迎しない人々がいます。しかし神様はその広大な海を航海していて、人間の現在の文化には退屈しておられるのです。そこに突然、先生が黒い船のように現われました。神様はその視線のすべてを先生に集中させています。先生は白い帆を掲げるだけでなく、いろいろな国々の多彩な旗も掲げています。皆さん、自分を神様の立場において、そのような小さな船が白い帆を掲げ、多彩な旗を振っているのを見下ろしてご覧なさい。それは本当に小さな劇的な光景です。

 皆さんは、そのように多くの注目を引いている船の船員です。白人、黒人、黄色人、赤色人や褐色人が祖国に対して手を振っています。我々の船には、このような大いなる興奮と活動があるのです。



再会の心情
1977年 9月11日

 皆さんは、暗い世界に光を与える灯台である、という信仰と確信を持たなければなりません。灯台はどのような天候の時でも光を放ちます。なぜならば、悪天候の時こそ、船が最も灯台を必要とするからです。厚い霧に包まれている時こそ、ますます光を放たなければなりません。逆境であればあるほど、その光はより違大なものでなければなりません。

 先生は、グロースターで一つの伝説となりました。ここの新聞は、我々の魚釣りについて数回記事を載せ、この町中の話題となっています。ここには毎年各地から何百隻もの船が魚釣りにやって来ます。ニュー・ホープ号が海に出てアンカーを降ろす時、他の多くの船が後を追って来て、近くにアンカーを降ろします。先生の船にマグロが引っ掛かると、他の漁師達は双眼鏡を取り出して、先生がどうしているかを見つめたものです。最初の頃、否定的な人達は、マグロがラインを切って逃げてしまうことを願っていました。しかし、二、三日して、先生がマグロを釣ることに成功した後には、彼らは考え方を変えました。そして先生が何か先生のためになる何か良いものを持っているだろうという噂が広がり始めました。

 先生はいつも一番最初に海に出かけました。プロの漁師達の中には、先生よりも早く行こうとした人達もいます。しかし彼らがどんなに朝早く起きて出てみても、ニュー・ホープ号は既に海に出ていました。漁師達はこのことでは復活しませんがでしたが、彼らが先生と競争しようとした時、彼らは非常に一生懸命働かなければなりませんでしたので、いつもの自分達のように酒を飲んだり怠けたりする時間がありませんでした。夏の終わりまでには、このグロースターという衰退しつつある町中で、この町を救うことができる唯一の人間は、先生であるという噂が広まっていました。先生は毎日、例外なく午前三時に起きました。ニュー・ホープ号は月灯りの中を出て行って、多くの場合、夜、星が輝き、月が出ている中を帰って来ました。皆さんは朝早く起きるのが好きですか。先生の船で働くスタッフ達は、何時に起きるべきかということは決して言われませんでしたが、先生が毎朝三時に起きるので、どんなに眠くとも先生に従いました。

 これが、アメリカにおける過去四年間の先生の伝統でした。先生に従うのは、容易なことではありません。なぜなら、先生ほど一生懸命働ける者はいないからです。先生の船のクルー達は、先生が何をするかということを知っており、午前一時半までに大西洋に出ようと言えば、彼らは不平を言うことなく、その時間までに起きて出かけたものでした。先生はまた一晩中海に出て、そこで働くという伝統さえも打ち立てました。

 今年の夏は、お金を儲けるという点では余り稼ぐことはできませんでした。しかし、伝統という点では、何十億ドルもの価値のあるものを得ることができました。そのような伝統に従うことによって我々の運動におけ漁業の花が咲き、そして将来、アメリカのすべての漁業に対して多くの貢献をなすようになるでしょう。今や、先生が魚釣りの伝統を打ち立てたことによって、誰でも、例え女性達でさえも海に出かけるのを躊躇しないでしょう。もし先生が臆病であれば、誰も真剣に行こうとしないでしょう。しかし、今や人々は先を争って行こうとしています。これまでは先生が、いつ、どこで魚を捕り、またその魚がどれ位の大きさであったかを記録したものがあります。将来、漁師達はその記録に挑戦しようとするでしょう。

 魚釣りは信じられない位つらい仕事があっても、先生は統一教会の後孫達に残す伝統のために、何ら躊躇することなく自分自身を与えたいと思ったのです。先生はこのように過去の七十日間を働いて来ました。

Atsuki Imamura