御旨と海 第92話

統一教会二十三周年記念日
1977年 5月 1日

 皆さんはこうしたことをただ知るだけでなく、それに対する責任を取らなければなりません。先生以上に皆さんは、この国を神様のもとへ復帰するために出かけて行って、人々を目覚めさせなけばなりません。先生は若者達がこの国に対しての責任を持つ者になるように、若者達を訓練しようと決意しています。例えば、先生は神学生達を訓練しています。彼らは現在新しい魚釣りの網を作っています。先生はまたどういう種類の若者であるかを見るために、ハドソン川の氷つくような水の中で魚釣りをさせたことがあります。彼らはお金を作るために網を作ったり、魚を釣ったりしているのではありません。鉄のような強い意志を作り、何物にも妨げられない決意を持った若き指導者となるためにそうしているのです。

 先生は皆さんに説教するだけではありません。先生がやるとすればどんなことでも誰より以上にすることができます。神学生達は先生がただ理論を持っているだけではなく、経験からしか得ることのできない知識を持っていることを知り、先生を再発見しつつあります。先生は魚釣りの研究をし、魚釣りのためのいくつかの道具を考案しました。例えば時々、釣り針が魚の口に引っ掛かってしまって、その針を取り出すために非常に難航する時があります。そこで先生は、釣り針を押し出して簡単に取り出すことができるような小さな道具を発明しました。

 先生が自分でこの道具を作るために金属を切るのを見たあるメンバーは「お父様、どうしてそんなに苦労されるのですか。道具屋へ行って道具を買ったらいかがですか」と言いました。そこで先生は「アメリカにはそのような道具がない。もし先生がそのような道具を買うことができれば、なぜ先生が自分で作らなければならないか」と答えたのです。先生はベリータウンで皆さんが見たことがないような新しい網を考案しました。それは一方通行の網で、一度魚が網の中に入ればもう出てくることのできない網です。

 昨日、先生はベルベディアの人達と会う約束があったので、新なたインスピレーションが沸き、その網の作り方を神学生達に指示することに追われ、一晩中休まずに働いたので、ベルベディアへ時間までに到着することができませんでした。



神様に属する物と人間に属する物
1977年 5月15日

 先生がしばしば海に出て行くのは、世界の経済が広大な資源に依存しているからです。未来は、世界の海により多くの注意を払っている人のものとなるでしょう。さらに歴史上、多くの人達が戦争や事故で海で死にました。先生はそれらの人達を慰め、その人達のために蕩減を払いたいと思っています。時々、先生は危険な嵐が来るということを聞くと、わざと海に出かけて行ったりします。

 多くの人達は、先生がただ楽しむために海に行くと思っています。しかしそのような天候の中で海に出かけて行くのは決して楽しいものではなく、必死なる戦いなのです。先生はそのような環境の中で死んだ多くの人達を開放するために、そういうことをしなければなりません。一九七五年に、先生は海で死んだ人達のために、お母様と娘の一人と共に海で特別の儀式を持ちました。その時、船の船長ですらどのような儀式が行なわれていたか知りませんでした。



神様に感謝しましょう
1977年 5月29日

 ベリータウンでの魚釣りで何百匹もの鯉を捕りましたが、それを指揮する際に先生は、宇宙の被造物が人間の食料になるために殺されているということについて考えました。ベリータウンでもっとも多くの鯉を収容するために池の底をさらったので、六匹の大きな亀が住み家を失いました。先生は彼らに対して申し訳ないと感じて、彼らをハドソン川に放しました。その時「お前達は、広い世界の中に行ってそこで生きなさい」と心の中で思いました。

 先生は魚釣りに行くと、最初に釣った魚は逃がしてやりました。鯉のような低級な生物であっても愛を理解することができ、誰かが自分の存在する目的を理解してくれる時には、彼らはその人のために死にたいとさえ思うようになるのです。このような意味で、鯉達が彼らを愛してくれる人のために自らを捧げる時、それは犠牲となるのではありません。これが被造物に対する神様の考えです。統一教会のメンバー達によって愛され、その価値を分かってもらうことによって、すべての被造物は感謝し、また自分達が創造された目的のために生き、かつ死ぬことを誇りに思うのです。

 愛は崇高なものです。愛のために生き、愛の中で死ぬことは常に幸福をもたらします。皆さんの死の瞬間が来る時に、皆さんは愛について考えながら微笑むでしょう。そしてその瞬間、皆さんの愛する人によって抱擁されることが喜びとなるでしょう。

 もし誰かが「レバレンド・ムーンがハドソン川でたくさんの鯉を捕えたということを知っている。それらの捕えられた魚達は、死ぬ時にレバレンド・ムーンを呪うに違いない」と言ったとします。皆さんはそれに対してどのように答えますか。先生の説明を聞く前であれば、皆さんはどう答えてよいか混乱したと思います。しかし今や、皆さんは鯉達が神様を中心とする人々の血となり肉となるならば、彼らはその生涯を全うしたことになるということを知っています。鯉達がこれ以上必要とする大義があるでしょうか。このように皆さんがどのような動機を持っているかによって、皆さんの行動には天地の差ができるのです。

 この原理は、鯉と人間の両方に同じように当てはまります。だから、我々が自らに尋ねなければならい究極の質問は「自分は神様の愛のために死ぬ覚悟ができているだろうか」ということです。皆さんの答えはどうですか。もし皆さんの答えが「ハイ」であるならば、皆さんの死は死ではありません。皆さんの肉体の精神は、全人類と全宇宙の精神と肉となるのです。このように皆さんが自分の生活をより高い水準のものを中心とする時、皆さんは永遠い生きるのです。



神様は我々のみを頼りとしておられる
1977年 6月 1日

 昨日、先生はマンハッタン・センターで修士号を持っているメンバーがペンキをはがしているのを見ました。皆さんは、そのような仕事をするのが嫌いですか。あるいは、どんな仕事も感謝の気持ちを持ってしますか。先生は自分のしていることが何であれ、決して恥ずかしく思いません。ベリータウンでは、先生は学生達に魚釣りの網を作る仕事を教えました。教授達でさえも驚きました。その当時、神学者の会議が開かれており、訪問していた学者達たちがベリータウンで先生を見ることができるとは決して予想していませんでした。そこで彼らは、先生が学生達と何をしているのか見ようと近づいて来ました。先生がそのような卑しく下賤のことをしているのを見て、驚くと同時に感動しました。このように皆さんの前にあらゆることをしました。最も卑しい仕事すらしたのですから、皆さんは先生に対して言い訳することはできません。

Atsuki Imamura