御旨と海 第95話

我々におかれた信頼
1979年 1月 3日

 最近先生は、何人かの教会の長老達に世界を旅行し、統一教会の活動検討するようにと招待しました。彼らは先生が世界中で様々なことをしていることに驚き「レバレンド・ムーンにできないことは何もない。そして彼がしていないことは何もない」と言いました。先生は今日海へ行くつもりでしたが、天候が悪くて行けませんでした。人々の中には、先生はは安息日には休息すべきであるという人がいるかもしれませんが。神様にとっては安息日もまた働く日なのですから、多くの魚を必要とする人達のために海へ行って捕ることは、神様自身の基準に適うことなのです。我々の概念において、聖日というのはただじっとしている日ではありません。出かけて行って、喧嘩している人々を仲直りをさせることの方が遥かに良いのです。



歴史と記録の作る者
1979年 7月 1日

 皆さんがマラソンで勝つためには何年かかりますか。三年ですか。十年ですか。無敵のレバレンド・ムーンにとっても、この路程を来るのに六十年かかりました。そしてまだその競争を終えてはいません。昨晩の神学校の卒業式の後で、指導者達を全員魚釣りに連れて行きました。嵐の最中でした。そして我々は皆小さな船に閉じ込められていました。彼らは口では言いませんでしが、心の中では恐らく「先生、あなたはどういう人ですか。一日足りとも休むことはできないのですか」と思っていたことでしょう。

 ある人が愛を占領する時に、その人は他のすべての権威と威厳をも占領するものです。記録を作る人こそ、神様と歴史が見ている人です。神様は、皆さんが記録を作るような者となってくれることよ期待しておられます。そして今が、それをなすための千載一退遇の機会なのです。先生は現在、漁業に多くのエネルギーを投資しています。それを成功させたいと決意しています。皆さんが先生の願い受け入れる時、皆さんもその分野のチャンピオンとなるように、仕事に本腰を入れるべきです。先生はすべての神学生と教会の指導者達が、一年半は海での任務を果たすために海に行って欲しいと思います。現在アメリカの漁業を指導し、主張する主人は誰もいません。なぜならば、この分野は神様が天の摂理のためにとっておかれた分野だからです。

 もし先生が十分な魚を供給して、統一教会のメンバー達は六カ月の間、魚以外の何も、パンすらも食べてはいけないと言ったらどうしますか。我々は良い魚はすべて商売に使って、自分達は残り物を食べるつもりです。神様は我々が残り物だけを食べるべきではないと言われるでしょうか。それとも、神様はそのような我々に感動されるでしょうか。我々は誰のために苦労するのですか。神様と人類のためです。こうすることによって、神様を目に見えない網で包んで話いるのです。そして神様を我々の虜としているのです。そうすれば我々がすることはただ網を引っ張ることだけです。そうすれば神様は我々に従って来ざるを得なくなるのです。



摂理の歴史的観点
1979年 9月18日

 皆さんは、力を受けるとゴムボールのように弾むことができる人ですか、それとも砕けてしまうような人ですか。我々はただ弾力性があるだけでなく、それと同時に忍耐強い人を必要としています。アメリカの宗教はハリケーンの中に捕らわれた船のようなものであり、政府もまたなす所がなく、またアンカーすらも持っていません。海が荒れて風が強く、船がコントロールを失って揺れ動く時、どうなりますか。そのような危険な状況の中に我々は生きているのです。

 統一教会の中にいる我々にはアンカーがありますか。神様が我々のアンカーであり、先生はロープです。ということは、皆さんが生き残るためにしなければならないことは、ただロープにしがみついていれば良いということです。皆さんは直接にアンカーにしがみつく必要はありません。アンカーはいつも海中深くにあるからです。だから皆さんがしなければならないことは、ロープを握って、それにしがみついているということです。他の教会は美しい金のロープを与えているかもしれません。しかしそのロープの底にはアンカーがついていないのです。統一教会のロープは質素なものですが、しかし下にはアンカーがあります。自分達の美しいロープを宣伝する人達は我々を批判します。政府すらもそのロープがいかに大きいかを自慢し、また統一教会がいかに魚臭いかということを言っています。しかしながらその違いは、我々にはアンカーがあるが、彼らにはないということです。



MFTに対して
1980年 1月 2日

 アメリカは海に取り囲まれていますが、海を征服したことがありません。先生はアメリカの漁業と港を再生させるために、漁業を率先して始めました。これは我々にとって誇りです。海には莫大な資源が眠っていますが、誰もまだそれを受け取った者はいません。我々はそれを神様から受け継いでいます。我々がしなければならないことは開発することだけです。



全体的な自己再評価
1980年 9月14日

 皆さんは、自分は一生懸命働いていると思っているかもしれません。しかし先生の基準から見れば、皆さんは余りにもリラックスし過ぎています。先生が一日中魚釣りに出かけた時は、一瞬足りとも気を抜いたり、居眠りしたことはありませんでした。いつも先生の心は忙しく働いていました。先生は海の広大な水平線を見る時、平和な新しい世界の夜明けを見、かつ全責任が自分の肩にかかっていることを見るのです。だから一瞬足りとも怠けて過ごすことができるでしょうか。

 先生は誰に対しても、三十六家庭に対しても、その他の誰に対しても負債を負うことはないでしょう。これまでなして来たことに対する貸しを受け取るのです。例えば、漁業の分野においは、先生は過去六年間開拓の道を築いて来ました。皆さんは、第一回の国際マグロ釣り選手において、誰が勝ったか知っていますか。先生の船が最も多くのマグロを釣りました。先生はマグロ釣りにおいてすら二番になることを望みません。あらゆる分野において、あらゆる競争において先生はいつも一番でした。

 毎朝先生は午前二時から三時には海に出て行きます。そして真夜中に戻って来ます。これまでマグロ釣りは楽しむスポーツでしたが、先生がそれを始めるとマグロ釣りは戦いとなりました。普通漁師は、午前九時か十時に出かけて行きます。しかし彼らが先生を打ち負かそうとすれば、もっと朝早く出て行かなければなりません。彼らが朝五時に出て来る時には、既に先生は外に出ているのです。先生がこれを始めた時、マグロの値段は一ポンド十セントでした。しかし今や、二ドル五十セントまで押し上げました。いずれは一ポンド五ドルまで上がるでしょう。このようにして先生はマグロを釣る漁師達に繁栄をもたらすつもりです。なぜならば、マグロ釣りの漁師達は過去において貧しい生活を強いられたからです。過去において何らの理由もなく先生に反対した人達は、今や先生が漁師達を助けており、また地方の経済を復活させているのだということを認めつつあります。ヨーロッパの指導者達が今回来た時、彼らは本当に一生懸命働きました。我々は多くの船を造っています。それは小さな船ばかりでなく、三十ないし四十フィートの長さの船を造っているのです。専門的なマグロ釣りの船は百五十フィートの長さがあり、二十五人の乗組員を運ぶものです。先生は将来そうした船をたくさん造るつもりです。そうすれば、先生は各国の責任者達をそれらの船の船長に指名するか、あるいは単なる漁師となるように指示するつもりです。彼らは右や左を見る時間はなく、ただ真直ぐに行くだけとなるでしょう。

Atsuki Imamura