御旨と海 第85話
我々がなるべき種類の人間とは
先生はダンベリーへ行った時さえも、この国によって打ち負かされたのではありませんでした。そうではなく、不正に対して戦ったのです。先生がダンベリーから出てきた時には、このような戦いにおいて認められました。我々には決意が必要です。我々は高く立って「いかに風が強く吹こうとも、いかに多くの嵐がこようとも、自分はここに立って決して止まらない」と言わなければなりません。数年前、グロースターで嵐がくると警告がありました。そしてラジオのアナウンサーは、家にとどまるように言いました。ところが、先生は午前一時に「出かけよう」と言ったのです。風が非常に強く吹いていたので、誰もが危険があることを知っていました。それにもかかわらず「前進」と言ったのです。そして我々は嵐の中へ出かけていきました。
先生はそのような男が好きです。いかなる女性もそのような男性を好みます。皆さんはどうですか。皆さんはそのような男性を好きですか。あるいはただディスコで踊るような人間を好みますか。皆さんはどんな種類の人間ですか。皆さんはレバレンド・ムーン流の人間ですか。先生は非常にタフな人間です。それと同時に、先生は霊的な方向にも従わなければなりません。それがどういうことか分かりますか。我々がまさに行かなければならないという精神とは「自分の目が最後に閉じるまで、誰にも自分の手を開けさせない。自分はこの道をできるだけ強くつかんで決して離さない」と言うことができるような精神を持たければならないのです。
一般に言って、アメリカ人はあまり強い伝統を持っていません。ただ二百年の歴史があるだけです。韓国のような小さな国が約五千年の歴史を持っています。ということは、皆さんは地上においては韓国の二十五分の一の時間しか持っていないことになります。このように比較すれば、皆さんは非常に伝統が少ないのです。アメリカ人は風の吹くままに流れる傾向があります。もし風が東に吹けば、東に行きます。風が西に吹けば、西に行きます。例えば、この国では伝統がないために、男達は「ああ、自分は女はいらない。男達と共に生きよう」などと言っています。また女達は「私達も男性はいらない。女同士で互いに愛しましょう」と言っています。もし、このような現象がこの次の世紀まで続くならば、アメリカ人は消えてしまうでしょう。
そのことを考えてみなさい。多分、黒人や土着のインディアンは「ああ、お前達白人はそのようなことを続けていくが良い。あと百年もすれば、我々は自分達の国を取り戻すことができる。我々はお前達なくして、この国の面倒を見ることができる」と言っているかもしれません。それは本当に恥ずかしいことです。この国の若者は恥という概念を持っていません。だから彼らはフリーセックスは自然だと思っています。しかしムーニーは、このような種類の人間とは量においてばかりでなく、質においても違っています。皆さんの特質とは、たとえ誰かがこのアメリカの二億四千万人の全人口をして皆さんの霊的生活と取り代えたいと願ったとしても、決して心を動かされることのないという者でなければなりません。
もし二つのタイプの人間が一緒に生活しているとしたら、その二人のうちでより強い者の方が生き残るでしょう。誰であっても、より多くの努力を注ぐ者が主体となり、働きの少ない者が対象となるのです。日本人は一日二十四時間、一週間に七日間働きます。他方アメリカ人は一日わずか数時間しか働かず、また一週間の極わずかしか働きません。どちらが将来の所有者となるでしょうか。どちらが先頭になるでしょうか。一生懸命働く人ですか、それともいい加減に働く人ですか。もちろん、一生懸命働く人の方です。
だから先先がアメリカに来た時、辺りを見回して、誰が一生懸命働いているかを探しました。先生はこう言いました。「もし皆さんが一日十時間働くならば、自分は二十時間働こう。もし皆さんが基盤を造るのに二十年かかるとするならば、自分は十年しかかからない」と、このように言ったのです。それが先生の決意であり、今もなおその決意を持続しています。先生からそのような精神を相続したいと思わない人は手を挙げなさい。この言葉を聞いて理解することは優しいことですが、これを実践して皆さんの日常生活に応用しようとすれば、皆さんはそれから顔を背けて「自分はとてもやっていけない」と言うでしょう。
ここでは朝四時に起きますが、その時は光もありません。先生は皆さんが「ああ、自分はこのムーニーの伝統はとても好きになれない。あまりにもすることが多すぎる。これは自分にとっては問題だ」と言うのが聞こえます。いや、これが先生にとって問題なのです。先生にとってそんなことを言う人が問題を提供するのです。我々の状況は異なった世界にいるということです。我々が前進するにつれて、もっともっと難しくなるでしょう。皆さんは我々の理念について考えなさい。我々は世界を統一することができるのです。それが我々の概念であり、可能性なのです。我々はそれをどうしようというのでしょうか。皆さんにとって、これまでそれがいかに難しかったでしょうか。今からは、それがさらに難しくなります。これが我々の結論です。
朝早いので、皆さんは「ああ、このような生活は気違いじみている。これは東洋の伝統だ。これは韓国式だ。私はこれが嫌いだ」と思うでしょう。先生はこの点を知っています。皆さんは先生を単なる韓国人だと思いますか。第二次世界大戦が終わってから四十年間、先生はいつも人とは違った道を歩んで来ました。韓国においてさえ、人々は「こいつは気違いだ。彼の頭はどこか間違っている」と言いました。先生はあらゆることにおいて困難な道を選んで来ました。韓国でさえも、人々はこんな方法を望みませんでした。これは韓国式でもなければ、東洋式でもありません。なぜ、韓国において人々はレバレンド・ムーンに反対したのでしょうか。なぜ人々は、日本においても先生に反対したのでしょうか。なぜ人々は、この国においても先生に反対したのでしょうか。それはこの生活が神様の道だからです。神様は先生が行ってきたことを知っています。先生はあらゆることを神様が指示されるままに行ってきました。神様はハンサムな男の道、つまり簡単な道を選びません。神様の道はいつも最も困難な道です。先生はいつも二つの道を比べて何であれ、困難な道を選んできました。
なぜでしょうか。なぜなら先生はいかにして、できるだけ近い道を進むかということに関心があるからです。先生は最も素早い方法で遠くの距離を進みたいと思います。誰もそいう道を通って行きたいと思いません。しかし神様は先生にそういう道を行くようにと主張されました。だから先生はいつもそのような道を歩んできました。今や霊界と統一世界はこのような道を行かなければなりません。この道はアメリカ式とは違っています。だから若いムーニー達は統一教会的な道を好まないのです。皆さんが抱いている観念というものがそれを困難にしているのであって、道そのものが困難なのではありません。この点が分かりますか。
統一教会を代表することができるのは誰でしょう。皆さんですか。先生はいつも将来について、全世界について考えて来ました。皆さんはそれだけのことを考えて来なかったでしょう。なぜ皆さんはアメリカ式にしがみつくのですか。皆さんは「ああ、アメリカは世界第一等の国であり、指導国家であり、自由世界のチャンピオンである。我々はあらゆることにおいて第一位である」と言うでしょう。そしてまた皆さんは「なぜ我々はレバレンド・ムーンのような東洋式に従わなければならないのか」と不思議に思うでしょう。この道を行くか、行かないかです。聖書は「冷たいか、熱いかである」と言っています。神様は中途半端な人間を好みません。サタンですらもそのような人間を好みません。皆さんはどうですか。皆さん、この道を行くのに燃えていますか。燃えたムーニーとなっていますか。皆さんは何ですか。自分が今先生の言っ人間と違っていると考える人は手を挙げなさい。先生はどのように反応すると思いますか。先生は皆さんに良い笑顔を返していますか、それとも疑いに満ちた笑顔を返しているでしょうか。自分自身の中で新しい決意をしなさい。腹を据えて、性根を据えて新しい決意をしなさい。この目的のために、皆さんに話しにきたのです。それが唯一の理由です。もう一度、皆さんに聞きます。皆さんはこの道を歩みたいと思いますか。