御旨と海 第74話
蕩減による統一
一九七五年と一九七六年に先生がアメリカに来て、ベリー・タウンに神学校を設立し、百二十カ国に海外宣教師を送った時は、アメリカの国と全世界が反対してきた時でした。先生はこれらの宣教師のチームを三つの国民、すなわち皆さんも覚えているように、アメリカ人、ドイツ人、日本人からひとりずつ選びました。そうした理由は、彼らが第二次世界大戦ではお互いに戦った国を代表しているからです。なぜ先生はこのようなチームを作ったのでしょうか。それは一世代前には、彼らは敵だったからです。
それをこのように見てみなさい。日本人は小さいですが「出ていく人達」です。アメリカ人は背が高くて、普通やせています。彼らはバッタやキリギリスのように飛び回って、人生において都合の良いことだけを探しています。彼らは「幸せになりたい」とか「幸運でありたい」といったタイプの人達です。ドイツ人は、機械やロボットのごとく綿密な人達です。このような三種類の人達が一つのチームに組織され、そして外国へ送られ、彼らは心の満足がいくまで戦いました。それで人々は、なぜ先生がもっとお互いに調和できるような組み合わせを選ばなかったのか、と不思議に思いました。教会内で多くの人々、多くのリーダーやメンバー達にはそれが疑問でした。しかし、これらの国が代表している三つの点を見ることができました。この使命で行った日本のメンバー達は、自分がその中で最も古いメンバーであることを誇っていました。言い換えれば、彼らは先輩だったのです。日本の文化では先輩であることがいつも大変重要な点なのです。
一方、アメリカは世界の一等国です。誰しもアメリカ人を軽んずることはできません。そしてアメリカ人はそのことを主張します。しかしドイツ人はアメリカ人を尊敬しません。なぜなら、ドイツ人はアメリカ人よりも優れた技術を持ち、物事を達成することにおいても組織的だからです。それで、その三人のメンバー達が一つのチームを作りましたが、そのような背景ゆえにお互いに譲り合おうとしませんでした。そのため我々は外部からの圧力や迫害の問題だけではなく、このチーム内部にも問題を持ったのです。実際的には内的な不一致が最大の問題でした。それではなぜ、これら三カ国からなる代表を送ろうとしたのでしょうか。皆さんはその答えを知っていますね。先生はそれを蕩減という目的のためにしたのです。蕩減が我々の仕事の上ではカギであるがゆえに、そのようなチームを一つとしなければならなかったのです。
第一に、誰もが同じ言葉を話せないので極めて困難でした。それについて考えれば、人生は極めて興味深く、波乱に満ちたものとなります。もし誰かが「夕食にしましょう」と言いたいとしても、それを簡単な言葉で言うことができません。だからそれを身振りを使った言葉でしなければなりません。もし皆さんが神の前で調和するのであれば、それは最も尊い、素敵な生活様式となります。それのみならず、この三人の誰もが彼らが送られた国の言葉を話せませんでした。この三人が同じ言葉も話せず、一緒に住むようにここへ来て、さらに現地の言葉も話せない状態を想像してみてください。その土地の人々は、彼らがその国で何をしているのかと不思議に思ったに違いありません。
どの国でも同じような経験をしました。それから、ある国においてはお互いに話し始めました。彼らは「あなたの国においてはどうですか。統一教会はあなたの国の言葉を話せる人を送りましたか」と尋ねました。それに対して「いいえ、お互いに話し合うことも、土地の人達と話し合うこともできない三人の人達を送ってきました。しかし彼らはここにいます」と答えざるを得ませんでした。
各国はこの奇妙な宣教師のことを調査したいと思いました。しかし誰もが他の者が言っていることを理解できませんでした。ある国においては、それぞれの国の大使館に連れて行って通訳を頼みました。このようにしてそれぞれの国は、その国における我々の教会のことを調査したのです。彼らは三つの違った大使館に行かなければなりませんでした。しかしある小さな国においては、大使館は通訳を出すことができませんでした。それで調査することが全く難しくなりました。大使館の多くは統一教会を支持していませんでしたが、それで彼らの国の国民を守りました。ドイツの大使館はドイツの国民を守り、日本の大使館は日本の国民を守りました。このようにして、異った国において関係を結ぶことができたのです。
今、先生はなぜそのようなチームを送り出したかについての秘密を明らかにしたいと思います。このようなメンバーをこうした形で送れば、このような宣教師に対して注目が集まるだろうということを知っていました。統一教会を好きな人が誰もいないがゆえに、彼らを国から追い出そうとするでしょう。それぞれの国が統一教会を調査しようとしましたが、そうするためには、宣教師の来た国の人を通訳として話さなければなりませんでした。各大使館は自分自身の国の誇りがあり、自国の国民を迫害させることを望みませんでした。少なくとも外国の土地においてはです。世界がこれらの宣教師に反対しようとし、彼らを駆り立てようとしました。大使館は、少なくとも自分の国民を守りたいと思っていたので、そのような迫害に対して何らかの抵抗をしました。皆さんはこれは愚かな戦略と思いますか。それとも、迫害の時代であると考えれば、これは最善の戦略であったと思いますか。百カ国以上の国に我々の運動に対する迫害があった時、そのようにして種をまかざるを得なかったのです。発展途上国は何が起こっているかを知りません。彼らは先進国の言うことをただ受け入れるだけです。
いずれにしても、先生は極めて真剣に基盤を造らなければなりませんでした。当時、先進国は先生に対して反対していました。しかし先生は開発途上国に対して宣教師を送り、究極的には先進国を抱きかかえることができるようにと願ったのです。今日、文鮮明という名前を知らない先進国がありますか。今では日常の名前となっていますね。
過去の十年間において、先進国は先生に対して反対してきましたが、第三世界の多くに強固な基盤を築いたのです。これらの国々の多くは、アメリカが自分達の国に影響を及ぼしてほしくないと思っています。彼らは「ヤンキー・ゴー・ホーム」という旗を掲げています。だから、我々は新しい運動を始めて、それに影響を与えることができるでしょう。アメリカや日本といった先進国では、先生に対して賛否両論のいろいろな動きがありますが、それと同時に、他の多くの国々では我々の基盤は成長しつつあります。
アメリカ政府は持てるものすべてをもって反対してきました。しかしながら、その結果は、彼らの希望したものとは反対のものとなりました。何千、何百万という人々はレバレンド・ムーンが悪いとは信じないし、また政府が正しいとは信じません。先生がダンベリーに入っている間、彼らは統一統会に反対していたのですが、キリスト教社会の多くの人達が我々と一体化し、そしてまたキリスト教会の人達同士の間でも一体化しました。
ダンベリーに行っている間、先生はこの国のすべての牧師達に小包を送りました。その中には原理講論と原理を講義したビデオテープが入っていました。我々はこれを三十万部以上送ったのです。これらの牧師達の中には、我々がそういうことをしたので驚いた人もいれば、あるいは腹を立てた人もいました。それにもかかわらず、多くの人達がその本を読むか、あるいはテープを聞くようになりました。我々にはそれだけの能力があることを皆さんは知っていますね。人々は我々に引きつけられ、そして何が我々をそのようにさせているのかを知りたいと思っています。