父の祈り 第18話
本然の世界を慕うようにしてください
お父様!
真の心をもった人がいるなら、
本然のその世界が慕わしくない人はおらず、
真の体をもって生きる人がいるなら、
本然のその世界の生活を慕わない人がいないことを
私たちは知っています。
堕落前、お父様に直接対することのできた本然のアダムとエバの姿、
天が生じ、
地が生じ、
万物が生じたのち、初めて
人間として造られたアダムとエバの姿、
その姿はどれほどお父様がお喜びになる姿であったでしょうか。
お父様に対することのできる
栄光の立場に置かれていた私たちの先祖のその姿は
どれほど貴い姿であったでしょうか。
今、私たちが心で本然の世界を欽慕することのできる
このひと時となるようお許しください。
お父様の心情を直接反応させることのできる善の心情が
とても慕わしくなり、
お父様の手を捕まえることのできる本郷の善の姿が
とても慕わしくなりますので、
本然のその先祖を慕うことのできる私たちとなるよう
お許しくださいますことを
切にお願い申し上げます。
心情の世界は、歴史的な距誰もなく、
時間と空間の限界もないということを、
私たちが地上に暮らしながら知っていますから、
無限の愛の心情によって生まれた本然の先祖のその姿、
本然の「私」の姿を、
今、死亡圏内で眠り
方向を失いあえぐ私たちでありますが、
慕うことができるようお許しください。
そのような「私」の姿が慕わしく、とめどなく涙し、
そのような「私」をお造りになったお父様を探すため
あえぐ姿となるよう許諾してくださり、
みすぼらしい姿になるとしても、
その世界の雰囲気、その世界の環境、その世界の万物、
その世界の万象と和動できる美自体が、
この時間私たちの体と心に体得されるよう
許諾してくださいますことを、
わがお父様、
切にお願い申し上げます。
お父様!
私たちはお父様を呼びますが、
堕落の歴史路程で苦労された
お父様を呼ぶことには慣れ親しみましたが、
堕落の悲しみなく善の園で楽しむことのできる、
本然のお父様を描いてみることはできず、
そのお父様を捜しさまよった時もありませんでした。
真の救い主を信ずるにおいても、
私たち人間は、十字架におかかりになったイエス様だけを知っており、
十字架の苦難に当面せず、
苦痛と迫害を受けず
栄光の主として顕現できるイエス様としては、
信じることができなかったことを受け入れてください。
お父様!
きょう私たちに本然のそれ自体と共に、
本然のその理念と
本然のその善を中心として生きることのできる和動の世界を
慕う心があふれ流れるよう
お許しください。
本然の心情でお父様を呼ぶことのできる喜びの立場を
お許しくださいますことを、
わがお父様、
切にお願い申し上げます。
エジプトでさまよっていた六十万イスラエル大衆を
導きたかったモーセの心中を
私たちが悟るようにしてくださり、
モーセが悲痛なる心情で民族に対したという事実を
私たちが悟るよう許諾してください。
今日、世界に散らばっている第二イスラエルの祝福を引き継ぐべき、
世界のキリスト教徒たちが望んでいるカナン福地が
残っていることを知らせるべき責任が
私たちにあり、
この使命を成就すべき責任が
今日、私たちにあるということを知っていますので、
お父様、
残された恨み、残された悔しさ、残された痛憤が
私たち一身の骨肉に染み通るよう許諾してください。
この体と心が百回死んで倒れることがあるとしても、
お父様のあだを必ず討つという天の節義と気概を備えた
あなたの息子・娘たちとなるようお許しくださいますことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。
お召しになる命令を奉じてきてみると、
十字架の路程が残っていることを知りました。
困難な道を
自ら進みいで立っている孤独なあなたの息子・娘たちですので、
彼らの心の友となってください。
お父様が永遠に永遠に私たちの中心となるとき、
私たちの体と心もお父様を模範として、
不変の中心存在として
お父様の身代わりとなれるという事実を知っていますので、
今、私たちの体と心を、
親しくお父様のものとして再びお取りください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。
(一九五九・六・二八)