イエス様の生涯と愛 第39話
内的三十年の準備期間と外的三年の公生涯路程
イエス様が三十年間に準備したのは、何だったのでしょうか。今まで神様が、内的に摂理した世界において絡まった多くの曲折をすべて解き、これを外的な世界にそのまま横的に展開させて蕩減復帰するための準備期間でした。三十年の準備期間は内的であり、三年の公生涯路程は外的期間であって、三十三年の期間を通して、完全なアダム復帰、個体完成を完結するために戦ってきたことを知らなければなりません。
メシヤとして生まれたその日から、メシヤの振る舞いをするのではなく、先祖たちが誤っていれば、誤ったすべてを完全にサタンの前に蕩減して、分別された勝利的基盤を築いた基台の上で、メシヤとして出発できるのです。この地上に、そのような出発のできる土台があったならば、イエス様は苦難の道を行く必要がないのです。
もし東方の博士、あるいは羊飼いなどが、イエス様が準備時代として内的な闘争をする三十年の準備期間に、イエス様の垣根になり、外的な闘争の基盤を築き上げていれば、イエス様は外的三年の公生涯路程において、内的なそのすべての天的な恨を地上に横的に展開して蕩減するに当たって、苦難の道、迫害の道、苦労の道を行かずに土台を築けたでしょう。
また、築かれたその土台を中心としてこれを動かしていき、苦難に遭うにしてもこれを基盤にして、彼らと連絡できる洗礼ヨハネを中心とした人たちが責任を果たしていたならば、イエス様は外的な苦難にぶつからずに、み旨を成し遂げられたでしょう。
けれども、そのような土台がすべて崩れていくことによって、イエス様は東方の博士や羊飼いたちが追求した人間の代表としての使命を再び収拾し、洗礼ヨハネを立てたすべての準備の基盤を築いてきたものまで収拾して初めて、時代の前に現れることができることを知らなければなりません。
それゆえ、長く見るならば四千年の歴史を収拾しなければならず、御自身の生涯について見るなら、三十余年の生涯路程において、天が準備した横的な地上の歴史的条件までも蕩減しなければならなかったのです。ですからイエス様が蕩減しなければならない期間が、三十年の生涯と三年の公生涯路程であることを知らなければなりません。この三年の公生涯路程というのは、この上なく悲しい路程です。人間が責任を果たせなかったことによって、イエス様が苦難の道を行き、十字架の道を行ったことを私たちは知らなければなりません。
イエス様が三十三年間、この地上で天を代表して戦った目的はどこにあるのかというと、個体完成です。それゆえサタンが、三大試練として試練したのは何でしょうか。イエス様を一時的な一人の怨讐として試練したのではありません。イエス様の全体目的に対して試練したのです。
サタンが試練するに当たって、イエス様の三大試練の内容と同じそのような目的の実体になって試練する人に対して、「サタンよ、退け」と防いでくれる人がいたならば、イエス様には試練は必要ありませんでした。三大試練は必要ないのです。試練を通すことなく、出発と同時に個体完成し、出発と同時に聖殿理想が完成し、出発と同時に世界の栄光を立て得るようになるのです。
そのような基準が出発と同時に一度に起きるはずだったのですが、そのような外的な環境から防いでくれ、サタンと対決して「このサタンめ、お前が知る前に私は知っている。お前が試練するこのような条件は、私にかけようとしても無駄だ」と言って防いでくれる人たちがいなかったので、イエス様は苦難の道を歩んだのです。