イエス様の生涯と愛 第59話
十字架で亡くなったその立場は、すべてを失った立場
それならば、いつ十字架で亡くなることを決定したのでしょうか。ルカによる福音書第九章30節には、「すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである」とあります。変貌山上で決定したのです。
なぜならユダヤ教が反対し、イスラエルの国があのようになり、洗礼ヨハネまでみな反対する立場に立ったので、もはやみ旨を成し遂げる土台はすべて崩れてしまったのです。それゆえ、神様もやむを得ず二次的摂理を中心として、霊と肉を中心に地上天国と天上天国を完成しようとするみ旨を捨てて、肉的世界は切って霊的救いの世界のみを立てるために十字架の道を与えたのです。もし彼が十字架で亡くならなければ、(霊肉)両面共に失ってしまうのです。やむを得ず一つの分野でも残すために、イエス様を十字架に渡さざるを得なかったということを皆さんは知らなければなりません。
もし洗礼ヨハネとユダヤ教徒とイスラエル民族がイエス様を信じていたら、どうなったでしようか。イスラエル民族は、イエス様と一つになって団結していたでしょう。そうなっていたら、そのときにアラブ圏までイエス様と一つになるのです。そうしてローマに対抗し、四十年以内にローマを天の側にすべて引っ張り込んだのです。死んだイエス様が、四百年でローマを征服したのですから、生きたイエス様を中心とすれば、四十年以内に天の国の憲法を宣布するのです。
そうなれば、今日のプロテスタントとかカトリックとかはないのです。すべてイスラエル民族の立場としてみ旨が成就していくのです。そのようになっていれば、イスラエル民族はあのように中東で悲惨に滅びなかったはずであり、キリスト教徒たちが悲惨に血を流さなかったという結果になっていただろうと思います。王権を統一して、キリスト教が世界を動かせるようになるのに、誰が捕まえて殺すでしょうか。
そのようになっていれば、世界は既にイエス様の意のままに天の国ができていたのです。世界は一つになっていたのです。主が再び来る必要もないのです。何をしに来るのですか。キリスト教はこのことを知らなければなりません。
それゆえイエス様が十字架で亡くなったその立場は、神様とイエス様がすべてを失った立場であることを私たちは知らなければなりません。十字架は神様の勝利ではなく、悪魔サタンの勝利なのです。神様の息子を捕らえて釘付けにした立場なのです。
それゆえ十字架でイスラエルの国を失い、ユダヤ教徒を失い、世界の歴史を失い、使徒たちをみな失ったのであり、最後には右の強盗までも死んでいなくなったのです。そこにはキリスト教がありません。キリスト教の出発はないのです。すべてを失ってしまったのです。