イエス様の生涯と愛 第57話
ゲッセマネの園での祈り
イエス様はユダヤの国を越え、ローマに行く道をはっきりと見つめられたのです。「もしユダヤ教がイスラエル民族と一つになったら、ローマは私の手に入ってくる」と思いながら、見つめられたのです。死んだイエス様は、四百年間かかってローマを征服しましたが、神様の息子として来られたイエス様が生きておられたとすれば、ローマが問題だったでしょうか。イスラエルを基盤として、ローマを征服することができたイエス様だったのです。これが私たちの原理であるがゆえに、そうならざるを得ないのです。
イエス様が二十歳になるころ、イスラエル民族はだんだんと疲弊していきました。ローマの圧政下に苦しんでいたのです。このように将来の希望がすべて遮られ、たそがれの道をたどっていくイスラエル民族を見つめるとき、イエス様は言うに言えない民族に対する愛に燃えました。イスラエルを前に、民族に対する愛ゆえに泣きながら、神様の前にどれほど訴えたことでしょうか。イスラエル民族は、そのようなことを知らなかったのです。ですからイエス様は、時がたてばたつほど、だんだんと焦りを感じるようになりました。
イスラエルの主権者が、イスラエルを統治して動かすべきであるという信仰をもったイエス様は、ユダヤ教を踏み越え、さらにはローマまでも踏み越えなければならないことを知っていました。イエス様は新しい人生観と新しい世界観、そして新しい理念を中心として、ローマを一度に片付けてしまうことができたのです。
四千年間、神様が苦労して準備されたイスラエルが、家庭と民族と教団が一つになれなかったので、イエス様の心の中にできた怨恨は大きかったのです。イエス様は自分の立ち得る土台がないことを嘆きました。
ユダヤ教は誰を待ち、探し求めなければならないのでしょうか。それは神様が送られた人ではないでしょうか。歴史的に数多くの先祖たちが、犠牲の供え物となって死の道を行きながら築いてきたその土台というのは、イスラエルを幸福の土台にするためのものではなかったのでしょうか。そのような民族がメシヤである自分のことを知らないのですから、それを見つめるイエス様の心情は、どれほど孤独で悔しかったかということを知らなければなりません。
イエス様は民族を愛する心が大きければ大きいほど、いらだちを感じる反面、神様がどれほど哀れな方かということを知ったのです。そのような立場でも神様を恨まず、神様を抱き締めて孝行の道理を果たそうとしたイエス様の切なる心情を知らず、四方八方どこにも彼を引き止めてくれる人はおらず、目の前に現れるものはすべて、かえって神様にとって悲しみとなるものばかりだったのです。
そのような悲しみを抱いて、神様を慰めてさしあげなければならないイエス様の事情は、どれほど不憫なものだったでしょうか!またユダヤ民族の前で追われるイエス様を見つめられる神様は、どれほど悲しまれたでしょうか!イエス様は、そのようなことを考えて痛哭せざるを得なかったのです。
イエス様はこの地に責任を負って、行くべき最後の運命の道が迫ってきたことを思い、ゲッセマネの園に行って神様の前に、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)という祈りを捧げました。この時のイエス様は、自分自身が生きるか死ぬかは問題ではありませんでした。自分が十字架の露となって犠牲になることが恨みになって神様に祈ったのではなく、神様が四千年間、イスラエル選民を探し立てるために苦労なさったことを思って祈られたのです。
苦労の道、苦難の道を歩みながら、長い間、イスラエルのために泣きながら、苦難の道を歩んでこられたその過程が、今や自分が死ねばすべてばらばらに崩れていってしまうことを知っていたイエス様は、神様が苦労された歴史的な悲しい事情を抱いて泣かれたことを知らなければなりません。
自分が死ねば、イスラエル民族が神様の前に逆賊になってしまうという事実を知っているイエス様は、死ぬ瞬間にもイスラエル民族を見つめられて、「父よ、彼らをおゆるしください」と祈られたのです。