イエス様の生涯と愛 第51話

ペテロを振り返られたイエス様の心情

イエス様が十字架の道、ゴルゴタ山上の孤独な道をたどっていこうとするとき、愛する十二使徒の代表であるペテロを再び振り返られました。それは、自分のあとに一番先に従うべきペテロの心が変わるのではないかと心配したからです。このように神様のみ旨を心配する自分の心が悲痛であるにもかかわらず、愛する心でペテロを顧みられたイエス様のその視線を、今日再び感じる者とならなければなりません。

しかしペテロは、三度もイエス様を知らないと否認しました。それゆえ天のみ旨とは完全に分離された立場に立つようになり、イエス様とは関係のない立場に立つようになったのです。

そのようなことを知っているイエス様でしたが、死の道に向かっていく自分のあとを死守して、同情してくれる一人の人を探そうとされたので、愛する一番弟子であるペテロを振り返られたのです。このように一人の真の人を探そうとされたみ旨が、愛弟子ペテロを見つめるその視線の中にしみ込んでいたことを知らなければなりません。

神様の全体的な摂理に責任を負って来られたイエス様においては、このような立場に立つようになるとき、これほどの悲しい場面はないでしょう。なぜならば人間の不信によって、ゴルゴタの道、死の道を行く自分の使命を引き継ぎ得る一人の人を探そうとするイエス様は、言うに言えない悲しみに浸ったのです。ただ神様だけが、イエス様のつらい心情を分かってくださり、イエス様の悲しい事情を心配してくださいました。

イエス様はその三十年余りの生涯に、ひたすら天の悲しい事情に代わって歩んできた苦労の路程を回顧してみるとき、人間に対して叱責したく、地に対して呪いたい心が身にしみていたのです。ところが、自分のそのような心を押さえつけ、自分の足取りを止めて、従っているペテロを見つめたのです。このようなイエス様の内的心情を感じられないならば、イエス様を中心とした神様のみ旨を代わりに引き継いで、万民の前に堂々と立てないことを、はっきりと知らなければなりません。

それならば、このように孤独に苦難の路程で一生を締めくくられるイエス様を見つめるペテロの心は、どのようなものだったでしょうか。彼は過去にイエス様と結んだ本性の愛の因縁を忘れられず、孤独な中で呻きながらこの上なくわびしい立場に置かれたことでしょう。哀れなイエス様を侮辱し、罪のないイエス様を恨み、罪のないイエス様が縛られ引っ張られていくその姿を見つめるペテロの心も、もちろんとても痛かったことでしょう。

しかしペテロは、イエス様が全人類を取り戻すための代表的な使命を帯びて来られたメシヤであることを悟れなかったので、弟子たちの代わりに乗り出すことができず、自分だけを考える立場に立ってしまったのです。このような立場に置かれているペテロの前に女性の僕たちが現れて、ナザレ人イエスの群れではないかと問われたとき、三度も「知らない」と言いました。このようなペテロー人の姿は、地上の人間を代表した立場であったことをはっきりと知らなければなりません。

Atsuki Imamura