イエス様の生涯と愛 第45話

十二弟子の立場と責任

十二弟子は、イエス様の新しい福音を中心として進まなければならなかったのです。ここでイエス様は父母になり、ユダヤ教はカインになり、イエス様の新しい福音はアベルになるのです。またイスラエル民族がアベルになり、世界国家がカインになるのです。

すなわち先に出てきたのがカインの立場であるユダヤ教であり、またイエス様を中心とした新しい福音運動がアベル的立場なのです。アダムの家庭でカインがアベルを殺したのですが、歴史の流れは蒔いたとおりに刈り入れる立場に立たなければなりません。そうでなくては復帰にならないのです。それゆえイエス様は、排斥されて追い込まれる立場に立つようになったのです。

しかしイエス様は、アベルが殺されたように殺されてはならず、キリスト教もそうであってはいけません。ところがイエス様は殺され、今までキリスト教徒も殺されてきたのです。それでキリスト教は、殉教の宗教になったのです。このようにアベルの歴史について見ると、カインの攻撃を受けるのは避けられないことなのです。

ここで再度編成したイスラエルの歴史を代表した十二弟子は、新しいイスラエルの一族として、カイン的な子女の立場とアベル的なイスラエル氏族の立場にあるので、ほかのすべての支派よりも立派でなければなりません。彼らが備えた内外の内容すべてが立派でなければならず、神様が誇り得る基準に立たなければならないのです。イエス様は死なずに生きて、何をすべきでしょうか。蕩減復帰をしなければならないのです。そのようなイエス様が追われ、追い込まれて死んだので問題が起きたのです。

このように追い込まれた状況で、十二弟子と支派長たちが反対すれば、どうしなければならないでしょうか。支派を編成するためには、家庭がなければならないのに、家庭がなくて支えられますか。それゆえイエス様は、家庭をつくらなければなりませんでした。支派長を中心として世界の土台と連結させて伸びていかなければならないので、家庭をつくらなければならないのです。

そうしてイエス様は、アダムの家庭のカインとアベルが失敗したことを復帰する立場であり、ノアの家庭において三人の息子に代わって復帰する立場にあったのです。それでイエス様は、イスラエル民族を中心としてこのような立場で責任を果たすために、代表的な中心人物として知識の乏しいペテロとヨハネ、ヤコブを立てられたのです。このことは、どれほどあきれることでしょうか。

彼らがいなければ、家庭の基盤も築くことができません。したがって彼らは、死ぬ場にも従っていかなければならず、死ぬとしても共に死ななければなりません。一家庭において父母が逆賊として訴えられて死ぬことになれば、その子たちはみな「逆賊の子」という立て札を立てて死ななければならないのと同じことです。

Atsuki Imamura