イエス様の生涯と愛 第44話

弟子を立てるためのイエス様の苦労

神様の作戦法は、どのようなものでしょうか。一人の人を取り戻すには、その一人の価値の分だけ打たれてこそ、初めて取り戻すことができるのです。これが天の摂理です。一つの家庭を取り戻すには、その家庭の価値だけのものを天が代わりに打たれてこそ、その家庭を奪ってくることができるのです。したがって民族を取り戻して立てるには、神様がそれだけの打撃を受けてこそ取り戻して立てることができるのです。イエス様は実践路程において、これが天の作戦法であることを知っていました。

神様の代わりになるべきイエス様だったがゆえに、民族を探すためには個人の供え物になり、家庭の供え物になり、教団の供え物になり、民族の供え物になって、打たれる犠牲の開拓路程を歩んでこられたことを知らなければなりません。

このような理念の実践方法をもって現れたイエス様は、準備したユダヤ教団から自分の同志を求めようとしましたが、一人も歓迎する人がいませんでした。民族から裏切られたイエス様は、労働者の姿で現れて、漁夫の友の姿で、彼らと事情を共にする友となり、心情を共にする友となり、願いを共にする友となって、彼らの願うものは何でも死を覚悟して、かなえてあげようという心で戦われたのです。このような心的な内容と、心的な理念をもって証して戦ったがゆえに、ペテロのような漁夫たちがついてくることができたのです。

それでは無知な弟子たちを選んで、三年間、何をなさったのでしょうか。神様がイスラエル民族を立てるために四千年間苦労して奉仕したように、イエス様は彼らを立てて奉仕の生活をされたのです。

十二弟子を選んだイエス様は、彼らに対して大きな希望をもっていました。ユダヤ教団を動かし、祭司長たちとすべての律法学者たちを主管するために、天が送られたイエス様です。それゆえ彼の理念は大きく、彼のもつ欲望も大きく、彼の心的基準も高かったのです。このような神様の理念をもって、一人の開拓者の立場に現れたイエス様のことが分からなかった当時の祭司長や律法学者は、堕落直後のアダムとエバよりも哀れな人々であったことを知らなければなりません。

このような群れを御覧になって、イエス様はどうされたのでしょうか。天が四千年間、選民を立てるために奉仕の路程を通過し、サタンに対して犠牲と供え物の路程を通過してこられたその歴史的な伝統を、イエス様は三年の公生涯路程として通過されたことを知らなければなりません。

それゆえイエス様は、食べたいものがあっても、それを忘れて弟子たちを探し求め、着る物があれば自分がぼろを着ていることも忘れて弟子たちに上げたのです。安らかな立場があれば、弟子たちをその立場に置いて、自分は卑しい立場にいました。天と結びついたこのような心と理念をもって生活したイエス様の三年公生涯の路程が、必然的に勝利的な成果を上げるべきだったにもかかわらず、そのような成果を得ることができなかったその事情を知らなければなりません。

Atsuki Imamura