真の父母経 第382話
第四節 天一国憲法(教会法)の制定
天一国憲法の理念
真の父母様は、二〇〇一年、天一国宣布に関するみ言を語られて以降、天一国を治める憲法の必要性について強調された。そして、憲法がどのように制定されなければならないかについて詳細に説明された。天一国憲法は、神様と真の父母様を中心とした内容でなければならず、数多くのみ言のうち、核心を収めた「家庭盟誓」が、その基本精神となる。真の父母様は、「家庭盟誓」が成約時代を越え、天宙平和統一王国を成し遂げる絶対基準であり、憲法のようなものであることを強調された。したがって、天一国憲法は、神様の真の愛と、真の父母様のみ言の核心が要約された「家庭盟誓」を最優先にして制定された。
1 国家法を見れば、すべて「何々をしてはならない」というものです。何かの過ちを犯せば、「刑法何条何項によって何年の懲役」だとしながら罰を下すようになっています。善は自由と解放が宿っていて、宇宙が保護、育成するものであり、世界と共に権限と権勢が共にあるものですが、悪は制裁を受けるのです。宇宙の公義の前に制裁を受けなければならず、国家の制裁を受けなければならず、社会全体の制度の前に制裁を受けなければなりません。悪を歓迎する存在は一つもありません。ですから、万宇宙に悪が存在することはできないのです。
今日の世の中の法は、制裁の法度です。堕落した世の中には、善に対する報賞法がありません。最後に、公義によって裁きを受ける日が来れば、神様は悪の法を片づけてしまい、善の法を立てるようになります。その時は、善なる人に賞金を与える時代になるのです。皆さんは悪なる世の中で排斥され、悲しみを味わっても、善なる法と価値を中心として活動しなければなりません。
いつかは天法、すなわち天的な憲法を中心として、善に対する報賞を定めた法ができるでしょう。天理の公義に従って、そのような法が出てこなければなりません。その世界が、正に地上天国です。地上天国が成し遂げられる時、皆さんは報賞を受けるでしょう。(016-134; 1966/01/02)
2 統一教会は今後、善なる法を作る運動をしなければなりません。善なる人々が一ヵ所に集まり、国際的な法を作って、善なる行いをした人を選定し、賞金を与える時代が来なければならないのです。そして、悪は制裁を受けなければなりません。善は保護、育成されなければなりません。そこに自由と解放が宿っており、真理が永遠に共にあるのです。人類に希望を宿らせ、天国を築くようにさせるのです。(そのようにすることによって)神様と対応でき、神様と同席できる権限が生じるのです。(016-135; 1966/01/02)
3 善は、原則によって回っていきます。善は原則に立脚したものです。憲法が定めた基準に従って善悪を区別するのと同じように、人間と神様の関係にも、一つの原則があるというのです。アダムが行かなければならない第一の道は、神様と一つになることです。その次には、エバと一つにならなければなりません。そのように一つになったアダムとエバが神様と一つになったあとに、その家庭が一つにならなければなりません。それが、正に法だというのです。
法は、人間が守るべき道理を意味します。神様とアダムが一つになり、アダムとエバが一つになり、その次に息子、娘と一つになるのが法です。私たちの原理に出てくる三対象目的が、神様の法度です。それが原則です。この原則に合わないものは悪です。(073-085; 1974/08/04)
4 神様のみ旨には摂理の法があり、その法の統治を受けるようになっているのであって、ただ大ざっぱな計算でするようにはなっていません。その法が天法です。
これは、万民、誰に対しても共通に適用されます。世界を一つと考え、そのような法を適用するので、その法に統治されるのです。ですから、いくら反対を受けても、その法の基盤を広げるために、このようなことをするのです。皆さんがこれをやめて、「私は神様を愛する」と言っても、絶対に通じません。天法を知らなければならないのです。父母様と約束しておいて、「それはしてもしなくてもよい。適当にやろう」と言えば、通じません。途方もないみ旨であればあるほど、途方もない法があるというのです。天法をいつも考えなければなりません。天命です。社会の何かの名誉や体面、威信では通じません。天命によって生きなければならないのです。
神様のもとに帰ることに対して、不平を言う人は誰もいません。神様のもとに帰るに当たっては、「そうです。正しいです」という賛美があるだけです。それが原則であり、理想です。
皆さんは神様のもとに帰っているでしょうか。神様に願いがあるとすれば、人間たちに何を願うでしょうか。「昔のような原則に立ち返りなさい」と言うでしょう。ですから、皆さん自身がその原則に立脚して生きなければならないのです。(103-240; 1979/03/01)
5 堕落した人間の世の中には、天の父母から受け継いだ家法がありません。すべて、堕落した家法です。数多くの民族であれば民族が、すべてまだら模様の文化圏を中心として引き継いできた、習慣的で伝統的なものです。ですから、神様が喜ぶことができる、単一文化圏を中心とした歴史的伝統が立てられなければなりません。
それゆえ、皆さんが家庭をもてば、家法による統治を受けながら生きていかなければなりません。その時は、言語も一つではありません。言葉も、これからはすべて革命をしなければなりません。アダムとエバが神様の息子、娘であるとすれば、神様を中心として学んだその言葉をアダムとエバは話し、アダムとエバの息子、娘は、アダムとエバが話す言葉を学ぶので、言葉が自動的に統一され、文化も自動的に統一されるのです。歴史も二つはあり得ず、一つです。(065-196; 1972/11/19)
6 み言が今後、憲法になります。み言はお父様が勝手に語ったのではなく、神様の指示に従って語ったのです。私の思いのままに語ったものは、一つもありません。
神様は、お父様に対して無慈悲なお方です。天法を永遠の法として立てるために、霊界にいるすべての人々が注目する中、お父様が代表的な道を行くとき、一点一画でも手加減できる過程があるとすれば、そのようなことは指示しないというのです。十回実践するとしても、百回試験します。そのように、この道を歩いてきました。(360-174; 2001/11/15)
7 神様が願う天法とは何でしょうか。神様の創造理想の法です。そして、神様の理想を完成するためには、四位基台を完成しなければなりません。そのようにしてこそ、愛が生じるのです。神様の創造理想を中心として、その理想を実現できるみ言があります。そのみ言が真理です。統一教会の原理のみ言は、堕落した世界において絶対的な天法です。
法というのはみ言です。何章何条という、その何条の言葉が法だというのです。その次に、法は、人としてできているかを判断するのです。法は判断するものです。み言のとおりになったのか、実体になったのか、人としてできているのかを判断するのです。皆さんがそのようになれば、法がある国はどこでもはばかりなく通ることができるのです。(103-234; 1979/03/01)
8 統一教会にも法があります。第一の法が、統一教会のみ言です。原理のみ言が法だというのです。皆さんは法をすべて、守っていますか。断食をし、約婚をして三年間は離れて暮らし、結婚して四十日間聖別するなど、複雑な法があるのです。国の法を破れば、捕まって刑務所に送られるのと同じように、統一教会の法を破れば、報いを受けることを知らなければなりません。
家庭教会は、人間が家庭を求めて越えていくに当たって、一つの法度になるのです。その法に、このようにしなさいとあるのに、したければして、したくなければしないというのであれば、それは通じないというのです。(103-235; 1979/03/01)
9 神様はお父様に、愛は直短距離を通るということと、宇宙の根本は父子関係であるということ、この二つしか教えてくれませんでした。それをもって、すべて解かなければなりません。この父子関係の父子は、世の中の血統をもった父子ではありません。新しい根源から解いていかなければならないのです。堕落を知らなければ分かりません。
私は根本をすべて明かしました。それが宇宙の法です。天法です。お父様が祝福家庭をつくったのではありません。宇宙本来の公式的な法度です。法度に合うので、天国の神様のみ前に行くことができるのです。お父様のみ言を絶対に実践し、絶対に遵守して、基盤を築かなければなりません。(376-315; 2002/04/29)