真の父母経 第383話
天一国憲法の制定とその必要性
二〇〇〇年の序盤から、真の父母様のみ言に従い、憲法制定のための基礎作業が進められた。二〇一三年の天一国基元節宣布とともに、天一国が創建されたので、天一国の憲法が出てこなければならないという真のお母様のみ言により、制定作業が本格化した。真の父母様のみ言は、天宙的勝利の報告であり、生涯路程は、すべての人間が従うベき人生の典型である。これに伴い、天一国憲法(教会法)制定の原則は、天一国理想の地上実現、真の父母様のみ言を中心とした制定、天一国国民の信仰確立とビジョンの提示、超国家・超人種・超文化・超宗教的普遍性、満場一致制の指向、ボトムアップ式無給奉仕制の採択など、九つに定めた。このような原則に従い、み言選集と「家庭盟誓」などのみ言研究を通し、天一国憲法の概念と体系を整理して、天一国国民の生活指針と規範を導き出したのである。真の父母様は、憲法の必要性について、様々な観点からみ言を語られた。
第一には、神様王権即位式を挙行して天が王権を手にしたため、法を中心として治めなければならないというものである。第二に、天一国を宣布したため、国権を立てる法を制定する時が来たと考えられた。第三に、天一国の統治と定着のためのものとして、新しい国を中心とした理想の実現は、法を通して成し遂げられるため、法が必要であるというものである。
10 二十世紀の文明の発展は、知識の上で、公式の上で、法度の上で実現されました。最後に残るのは法度です。信仰だけで救いを得るのではありません。国の憲法を中心として部門法ができていて、国がその法の上に立っています。このような法がなければ、裁判ができないのです。ところが、神様の憲法がなく、天の国の憲法がありません。天の国の部門法がありません。ですから、サタン世界を審判することができないのです。
今、この地に生きている神様の息子、娘は、天の国の憲法を知らず、部門法を知りません。自分勝手です。あちこちに戦場がつくられていますが、これをどのように収拾するのですか。ですから、天の国の憲法によって、国の形態はどのようになっており、家庭から氏族、民族がどのように拡大されてきたかという、理論的にはっきりとした法が立てられなければなりません。(456-166; 2004/06/28)
11 再臨主は何をもってくるのでしょうか。法をもってきます。審判の公法をもってくるのです。審判権をもってくるというのです。そうして、それによって審判するのです。サタンが誇っていた国家基準以上の国が、神様を中心として建てられなければ、そのような天の国の憲法を立てることはできません。世の中の国に憲法があるように、天の国にも憲法がなければならないというのです。(065-195; 1972/11/19)
12 天の国を治めることのできる憲法を地上で作らなければなりません。地上で完成できる解放的条件を設定しなければならないのです。ですから、実体的体制を備えなければなりません。家庭的体制、氏族的体制、国家的体制を、実体的な圏内で保護できる法が出てこなければならないのです。神様のみ言を通して実体が出てくるのと同じです。み言が中心です。法が中心です。
法を中心として、絶対に順応できる世界に越えていかなければなりません。地上と天上世界にサタンが残した歴史的なすべての法と実体を否定し、天国に一元化しなければならないのです。(325-160; 2000/07/01)
13 大統領も、憲法が制定されたあとは、大統領の思いのままにできません。その憲法をけさ制定したのに、翌日の夕方に「放り出してしまえ」と言う人は、大統領になれません。千年にわたって王でいようとすれば、千年法を立てて、それを実践できなければなりません。これを一瞬にして覆い隠して行動しようとする人物は、愚かな王です。その日暮らしの王にしかなれません。天宙を統一して大法度を立てたそのお方が、ある日、気分が悪いからといってすぐに変更することができますか。大道、大義によって立てられた天法に従って行わなければならないというのです。(0745-234; 1974/12/31)
14 天の国の憲法、天の国の各部門の法を中心として、体制を完全に再構成することができます。法の絶対権限を立てなければなりません。法の上に家庭が立ち、法の上に国が立つので、法を絶対に守護し、絶対に実践する世界に越えていかなければなりません。裁判長は、法廷で法をもって裁くのです。部門に誤った部分があれば、該当する法に従って裁かれるのです。
六法全書があれば、六法全書によって各部門に対するすべての法が存在するようになります。法を中心として、その部門の善悪を選び分けていきます。何かが誤れば、法廷で解決できる方法を取っていくのです。ですから、法を絶対に守護しなければなりません。原理のみ言も絶対に守護しなければなりません。法の中の法が原理のみ言です。(324-140; 2000/06/18)
15 家庭が平和になるためには、絶対真の愛の憲法を中心として、あらゆることが公式化されているので、そこに順応しなければなりません。ある人が主張して、変えるようにはなっていません。ですから今後、政治体制は管理体制に移行していきます。いかにして、世の中のすべての人々が平均的に、格差なく豊かに暮らせるかという問題を中心に、管理体制によって回っていくのです。
ですから、個人的管理、家庭的管理、氏族的管理、民族的管理、国家的管理、世界的管理まで、すべて愛を中心として成し遂げられるのです。これは、家庭が拡大されたものです。家庭を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の八段階と同じように、公式的に発展していくので、既に行く道はすべて整っています。ですから、政治の方向を通して、闘争や排斥がない中で安着できる、公式化された管理体制に転換するというのです。(303-194; 1999/08/25)
16 天の国があれば、天の国の王宮法があります。縦的基準として、天の国の王宮法があるというのです。天の国の王宮法を中心として、縦的な理想的基準に従って、国の憲法が制定されなければなりません。聖子は、天の国の王宮法を守れる人です。その国に王宮があれば、王宮法を守らなければなりません。天の国の王宮があり、神様を中心とした直属の隊列に通ずる皇族圏の法があるとすれば、この法を守ることができなければならないというのです。(168-184; 1987/09/20)
17 憲法であれば憲法を中心として、各部門に対する法があります。憲法を中心として、部門法がすべて連結されているのです。今後、み言の骨子を中心として、天の国の憲法が制定されます。建物の建築であれば、建築に関する法があるのです。電気であれば電気、機械であれば機械に関する法があります。そのような法がなければ、その部門が生じません。法があってこそ、それに従って正誤を判断することができ、国家の水準も、世界の水準も、最高の法的基準によって、相対的に照らし合わせ、合っていてこそ認定するのです。
今までは法を立てずに生きましたが、今や天のみ旨を中心とした法的時代に入ります。神様が創造理想的な法を立てたのですが、人間が法のとおりにせずに堕落したので、これから本然の時代に帰れば、法絶対体制になるのです。それは、個人の利益のためのものではありません。平和の利益のための法です。世界平和、天地を一つにできる平和の理想を中心とした法であって、個々人の利益のための法は、今後存在しないのです。(515-032; 2006/01/21)
18 国家時代を通過して世界時代に進み、祝福を受けるようになれば、報告書を書かなければなりません。そうして、そこに合格してこそ、初めて天国入籍となるのです。父母様の家庭でも、全員が集まり、誰が原則に一致した生活をしたかを、公的な議論によって決定するのです。家庭全体のためにより犠牲になり、よりために生きる人でなければならないというのです。自分を中心としてはいけません。
それは統一教会全体が知り、父母様の一族がすべて知っているというのです。それが決定されたあとは、世界がすべて法的時代に入ります。天の国の憲法時代に入るので、いくら天に近い人でも、法に引っ掛かれば法的処罰を受けるようになります。その法に相反しない後継者を探して立てるために、歴史は永遠に続くのです。(128-112; 1983/06/05)
19 神様の王権時代は過ぎていったので、皆さんは国家王権を求めなければなりません。皆さんの王権、皆さんの国です。神の国は、世界を越えて天宙です。その位置にまで連結させなければなりません。それで、皆さんは、何があっても国を探し出さなければならないというのです。今や入籍時代になりました。入籍をするときは、内容と外容が一つにならなければなりません。その国が天に入籍しなければならず、大統領や長官、局長まで入籍できる位置に立ってこそ、国家基準を越えていくようになります。
これから皆さんの心と体は、どのようにしてでも一つにならなければなりません。強制的にでも一つにしなければならないのです。今や、強制的に行うことができる時が来ました。憲法ができたのです。法があります。以前は法がなかったので、神様が治めることができませんでした。創造の法だけがあり、堕落して破壊されたものを処理できる法がなかったので、治めることができなかったというのです。今や、そのようにできる法が出てきたので、恐ろしい時代が来ます。皆さんに対して責任を追及するのです。(356-056; 2001/10/08)
20 摂理のみ旨は、韓国を中心として祖国光復をすることです。神様の祖国と神様がこの地上に出発させた故郷の地の光復が実現されるのです。神様の祖国と神様の新しい摂理の出発が展開します。
エデンの園の堕落していない新しい出発と連結されてこそ、すべての歴史が清算されます。整備されるのです。ですから、救援摂理時代は過ぎ去ります。その時代が過ぎれば、法的時代に入ります。天の国の法的時代に入るので、何千年、何万年たっても、一分一秒違わない役事を行うのです。救援摂理時代は過ぎ去り、本然の創造理想世界が新しい出発をします。天の国の憲法を中心とした法的時代に入るのです。(611-024; 2009/05/04)