真の父母経 第375話
9 天宙父母は無形の神様であられ、天地父母は実体の父母のことを言うのですが、二つの父母が一つになってこそ、人格的な父母になり、天宙・天地・天地人父母になります。人格的な神様にならなければ、真の父母になれないというのです。神様も、体をまとい、息子、娘を生むことができる人格的な神様にならなければなりません。
10 天宙父母、天地父母、天地人父母という言葉は、言い換えれば、天宙天地人父母です。人にならなければならず、人の父母にならなければなりません。すなわち、人間が神様の代わりに体をまとい、見える神様、見える実体になるのです。
神様も体をまとわなければなりません。そのため、無形の天宙父母と天地父母をそのまま受け継ぐのです。霊的な闘いで勝利し、神様と一致するための復帰的な過程を経て、天宙天地人父母になるのです。
11 天地人父母は、天宙父母と天地父母が愛を中心として喜びながら、一緒に生活できる無形実体と有形実体が合徳(和合)したものです。霊的神様と実体の神様に侍る夫婦が先祖になります。先祖は二つではありません。父母は二つにはなり得ないのです。絶対に一つです。父も一つであり、母も一つであり、先祖も一つ、孫たちも一つです。神様に似て、神様の体と心を展開させて、実体の形状をまとったのです。体をもってこそ、繁殖できます。体をもった天地人父母の家庭は、天の国の民を相続し、この地から直接天国に入れるように定着して、堕落や復帰という傷跡のない息子、娘、天国に直行できる息子、娘を生んで育てるべき召命的責任を担っています。
12 祝福家庭は、蕩減革命、良心革命、心情一体圏を中心として、八段階を経なければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的王の位置で、神様を中心として相対になり、縦横に与え合う実体にならなければなりません。地上世界で種を蒔き、天上世界で実を収めるのです。この地上では種であり、霊界では実です。その愛の実を倉庫に納入させる所が天上天国です。その倉庫に入るために準備する所が地上世界なので、地上世界が完成してこそ、天の国が完成するのです。ですから、天一国主人だというのです。
天宙父母と天地父母が完成したものを、皆さんが相続できるので、孝子の王にならなければならず、忠臣の王にならなければなりません。そのようになることができる位置に天は立たせるので、これを固着させて、万世の太平聖代、祖国光復を成し遂げてこそ、解放時代になるのです。
13 すべての存在は神様に似ました。神様の愛の実体圏である真の父母の完成のためのものです。ですから、霊的神様と実体の神様が一つにならなければなりません。この実体圏を求めるために父母様は苦労したのです。個人、家庭、氏族、民族、国家など、八段階のすべてが反駁しましたが、砕けませんでした。自分たちが砕けていったのです。彼らは自分を中心とした自我自覚圏を中心として現れましたが、父母様は他我自覚面を中心として、ために生きて投入し、自分のことを考えなかったので、堕落世界のすべての因縁を抜け出してしまい、神様の体を定着させることができたというのです。
そうして、個人的な体定着、家庭的な体定着、氏族、民族、国家、世界、天宙的な体定着、八段階の体定着を通して、聖子の家庭を中心として神様に似なければなりません。また、真の父母の家庭的形態を受け継ぎ、腹中時代から結婚時代まで再び体験して、神様の心情圏を受け継いで体を完成させて天の国に入るのです。
14 実体時代には、体を知っているだけではいけません。実体の体と神様まで知らなければならないのです。実体時代は、本然のエデンを復帰した時代、堕落がなかった時代、サタンがいなかった時代だというのです。
天使たちの世界もアダムの命令どおりに動く時代です。神様のみ意のままに動く時代です。その意向に反対することはできません。そこに相対になろうという息子、娘たちになってこそ、永遠の父子関係が結ばれるのです。
15 二〇一二年までに家庭的エデン復帰時代を蕩減し、天国に入籍しなければなりません。第四次イスラエル国を中心として、国家圏と宗教圏の一致圏を連合し、真の父母を中心として天地人父母の安着をもって、無形の世界と有形の実体世界が一つになり、人間を中心としたすべてを完成、結実する天地人定着、天宙天地解放世界を中心として、地から天に直行できる天国理想の実現を終結することのできる時を迎えました。
この時を迎え、宣布したすべてのものが父のみ旨と一致し、私たちが宣言したものが天のみ旨と天宙・天地・天地人父母様の一体理念と一致して、安着できる一和統一の世界に前進するようになりました。
16 神様を中心とした家庭には、誰もが安着します。すべてが平安、幸福で、理想のユートピアだという言葉が必要ないので、気掛かりや心配なことはないというのです。生きさえすればよく、すべて成就するのです。
ですから、今からは祈るとき、「解放・釈放時代を完了しました。私は安着太平時代を生きなければなりません」と、自信をもって報告しなさいというのです。
17 安着という言葉は、すべてのものがぶつからず、永遠に平和で幸福だということです。太平聖代です。その世界がユートピアです。私自身の体と心が争っているとすれば、太平時代があるでしょうか。ありません。根本に入って、無条件に父母様の言葉が正しいと信じ、その場に立って、「私はそうである。天地が変わっても、太陽が落ちても、私は変わらない」と言わなければなりません。「天変地異が起きても、私は変わらない」と言わなければならないのです。
星が落ち、太陽が落ちても、つかの間です。その上に立っていなさいというのです。安着してこそ、そこに太平時代が訪れます。その時代は、個人生活圏ではなく、歴史を超越したものです。すべての人が神様の代わりに安着太平圏時代を迎えてこそ、幸福な理想世界になります。ユートピア世界になるのです。それ以上はありません。