真の父母経 第124話

第三節   「子女の日」宣布

「子女の日」の意義

真の父母様は、一九六〇年、陰暦十月一日(陽暦十一月十九日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、感謝祭礼拝を自ら主宰され、翌年、この日を「子女の日」として公布された。「子女の日」が決定されることにより、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を抜き取ってしまい、人類を悪から解放できる起源がつくられた。この日は、堕落人間たちが歴史始まって以来、初めて子女として勝利し、神様の字宙的な栄光の場に同参できるようになった記念の日である。

1   神様は、「父母の日」が立てられることを六千年間、待ち望んでこられました。本来は、堕落した人間の子孫たちが待ち望むべき日であるにもかかわらず、かえって創造主であられる神様が、六千年間、その日を待ち望んでこられたのです。ゆがんだ歴史が始まったその日から、数多くの峠の道で、神様には悲しいことも難しいことも多くありましたが、その中でもたった一つ願ったものが「父母の日」でした。

その日が探し出されることによって、神様は御自身が共にいられる人類の真の父母を立てて、「あなたたちは人類の真の父母である」と命名できるようになるのです。そうして、神様が立ててくださる父母の名をもって出てくることによって、父母の祝福の基準が立てられます。ここにおいて真の子女が立てられるようになり、それによって、地上で「子女の日」を迎えることができるのです。

2   一九六〇年、「父母の日」(一九六一年に宣布)を設定したあと、「子女の日」を設定しました。人類の父母が登場するとき、子女も決定されるのです。子女を決定する場に進む前に、父母の出発線があるというのです。

しかし、復帰路程では、父母だけでなく子女の縁も固めなければなりません。横的な縁である子女を中心として見れば、「父母の日」がまず出発し、「子女の日」はあとから出発しなければなりませんが、復帰しなければならない立場では、「子女の日」が先に出発し、「父母の日」はあとから出発するのです。横的な基準で「父母の日」を設定し、「子女の日」を宣言したのです。そうして、天地の間の歴史が始まって以来、初めて「子女の日」が現れるようになりました。

この日は、天地の間に勝利の歓声を上げることができる日です。この日が設定されることによって、霊界は時を迎えたので、絡まっていたものがほどけていきます。ですから、この地上の悪の勢力は、次第に消滅していくのです。

3   「子女の日」を迎えれば、どのようにしなければならないのでしょうか。まず、皆さんの息子、娘の家に行って宴をし、その次に自分の家に集まって宴をし、その次に、教会に出てきて宴をしなければなりません。このように、蘇生、長成、完成の三時代の形で宴をしなければなりません。象徴復帰、形象復帰、実体復帰の立場に合わせなければならないのです。

息子、娘たちが「子女の日」を迎えることができずに死ねば、天上に恨が残るという事実を知らなければなりません。ですから、私たちの息子、娘を中心として世界を復帰しなければならず、私を中心として楽園に行っているすべての善霊人たちを復帰しなければならず、教会を中心として天地の道理を探し出してこなければなりません。このような三段階の原則を経なければならないのです。

皆さんは、家庭的な環境から、この日を記念しなければなりません。子女たちが、その日が来るのを待ち望めるようにしてあげなければならないというのです。世の中の子供たちが「晴れ着を着て、おいしい物を食べられる、その日がいつ来るのか」と言いながら祝日を待つ、そのように指折り数えて待つ心をもち、「子女の日」が来ることを喜ぶ立場で準備しなければなりません。

4   人間が堕落することによって、父母を失ってしまい、子女を失ってしまい、万物を失ってしまいました。これを蕩減する基準を立てるためには、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てなければならなかったのですが、その中でも立てるのが一番難しい日が「子女の日」です。アダムとエバが真の子女になれなかったからです。それでは、真の子女になろうとすれば、どのようにすべきでしょうか。

一つの血統をもって生まれなければなりません。真の子女になるためには、父母の前に孝行の道を全うしなければなりません。孝子は、どんな困難な環境も収拾しなければならず、その環境から認定を受け、父母から認定を受けなければなりません。

神様は、アダムとエバに「万物を主管しなさい」と言われましたが、アダムとエバは、「万物を主管できる」と認定を受けなければなりません。そして、希望の中心として、み旨に責任をもてる子女だという認定を受けなければなりません。父母の心情に一致しなければならないのです。過去と現在、未来に差異があっては孝子と言えません。忠臣と言うこともできません。孝子や忠臣は変質してはいけないのです。孝子や忠臣は、過去を代表し、現在を代表し、未来を代表できなければならず、神様の心情を中心として、時間と空間を超越した立場で認定を受けなければなりません。

「私の誓い」制定

真の父母様は、一九六二年十月二十八日、第三回「子女の日」を期して、全文五節からなる「私の誓い」を制定、公布された。真のお父様は、「誓いとは、神様と未来を前にして約束するものである」と語られた。そのため、誓いを述べようとすれば、神様と心情が通じなければならず、「私の誓い」で各自が真の息子、娘になるという誓いをすることによって、神様と心情一体を成し遂げられることを強調された。「私の誓い」は、一九九四年五月一日に「家庭盟誓」が制定されるまで斉唱された。

5   皆さんが誓いを立てることができるか、一度考えてみてください。今まで神様のみ前に誓いを立てた人はいません。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いを立てようとすれば、心情が通じなければなりません。この誓いは、真の息子、娘になるという意味の誓いです。

一、天宙の中心存在として、父のみ旨(創造目的)と任せられた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。

二、 父は六千年間供え物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続権を与えたまわんとなさる聖なるみ旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。

三、 怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代わりに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。

四、 父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。

五、 我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍(担い手)であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。

このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を懸けて闘うことを私は、宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。

6   なぜキリスト教は再臨思想を語るのでしょうか。それは、神様の愛と生命と血統を中心として、新しい種を受けなければならないからです。アダムとエバが堕落することによって、偽りの種を受けました。ですから、新しい種を受けなければなりません。そのようにしてこそ、新しい種をもってくる真の父母の名をもった真の息子、娘の真の愛と真の生命を中心として、真の血統的論理を中心として、邪悪な世の中を克服して余りあるのです。また、そのような自主的な力をもった民になるのです。

「私の誓い」に出てくる内容のとおりに、私たちは、一つの主権を誇ります。その次に一つの民を誇ります。その次は一つの血族です。それから一つの国土です。この地は、「私」のものです。私たちのものです。人間は、誤って生まれました。誤って生まれたがゆえに、再び生まれさせようとするので、天が加担し、双胎(双子を身ごもること)で摂理するのです。双胎時代です。エサウとヤコブのように双胎です。腹中まで訪ねて入っていくのです。誤って生まれたので、新しい型を通して腹中まで探索して入っていきます。再び生まれなければ救いはないというのです。「重生」という言葉は、キリスト教にだけ存在するのであって、他の所にはありません。

7   皆さんは「私の誓い」を聖日ごとに唱えますが、それを習慣的に唱えてはいけません。この誓いで最も重要なのが五節です。神様を中心とした一つの主権を誇るのですが、一つの国にならなければなりません。ところが、なぜ多くの国になったのでしょうか。愛のゆえです。愛によって、そのようになったというのです。今日、このすべてのものが、一つの愛の道を行けず、様々に枝分かれして自分だけを主張する愛に付いていったために、そのようになったのです。その愛の主人になれる人は、男性と女性です。

個人を愛し、家庭を愛し、国を愛し、世界を愛するという愛の標準が変われば、自然に分かれていきます。ですから、いつでも現世の人が重視されます。男性と女性が分かれることは、愛がないところから始まるのです。

8   「私の誓い」の五節の中に、「一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り」という内容があるのですが、「一つの言語と文化を誇る」というのが、なぜ血統や心情よりも先に出てきたのでしょうか。人は生まれて、言葉を知ったあとに血統と心情を知るようになるからです。原理に従って、すべてそのように書いたのです。

Luke Higuchi