真の父母経 第150話
5 孝進オンマ、重大な責任と忙しい生活の中で、み旨に対する使命にどれほど苦労が大きいでしょうか。最後まで忍耐を通して、あすの目的のために力いっぱい努力してくださることと思います。ありがとうございます。きのうはニューヨークを出発し、道を急いで、バーモント州のブラトルボロ(Brattleboro)にあるホーリーモーテルに泊まり、今、出発直前にペンを執りました。きょうは、オハイオ州のクリーブランド(Cleveland)に向かう準備で忙しくしています。その時間を利用して便りを伝えることを申し訳なく思います。四月二日になる前にワシントンDCに戻り、「父母の日」を迎えようとしているので、本当に忙しいです。北部地方は今、冬の季節で本当に寒いです。
先日送ってくれた手紙を、ワシントンDCで受け取りました。便りを受け取り、言葉にできないほどうれしく思いました。離れて連絡を取り合う事情にある中で、より深い感情と重大さを感じます。さらに、子供たちと食口たちと共に、ソウルで過ごしていたすべてのことが、いつも思い出されます。このようにして過ごしている間に、いろいろと苦労をかけることがあれば、それが私たちの間により大きな力をもたらし、絆を深く結んでくれることになると感じます。ですから、生きていく中で、大きなみ旨のために耐えて歩んできた過去もまた貴いことを、お母様も十分に体験するだろうと思います。この世にいる間、大きな責任と使命に涙しながら、勝利のために行進することが本当に貴いと改めて思うとき、お母様に対して本当に感謝することが大きく、また多いことを感じます。大きく気高いみ旨ですから、それに比例する苦労にも耐えていきましょう。
近くにいる多くの食口たちの無事を祈りながら、子供たちと共に体に気をつけて、私が子供たちと会う時まで、勇ましく闘ってください。あすの希望と世界の舞台を夢見ながら、今、準備を一生懸命にして、巡回の日を描きつつ、喜ぼうと思います。どうかしっかり闘って、責任を果たす貴いお母様になってくださることを、心から願っています。会いたくなったら、家族が写った写真を時々見ながら、もう一度会える日を楽しみにしています。
譽進が学校に通い始めて、もう随分大きくなったと思うと、お母様の責任がさらに大きくなるだろうと心配になります。孝進も、私のことを捜しながら、しっかりと育つていると思うと、慕わしくなります。本当にお母様は立派にやり遂げて、私にとって最も貴く、誇らしい女性の中の女性になるだろうと思いながら、本当に私は幸せ者であると心から感じつつ、歩んでいこうと思います。どうか気高く貴い勝利したお母様になってください。私も真の父になり、天地のために生きようという一片丹心を抱くばかりです。それでは、お元気でいてください。一九六五年三月二十日、ブラトルボロにて。
6 孝進オンマ、一晩過ごし、三月二十五日になりました。もう別れてからあと三日で満二ヵ月ですね。その間、ソウルで忙しい生活を送りながら、多くの体験をしていることと思います。み旨を中心として、大衆の前でいつも気をつけ、公的な生活館の中で気を抜いて過ごすこともできない生活を、遠くから同情してやみません。さらに、多くの人々を前にして、今はもう自分一人の体ではないのに、大変申し訳なく思います。毎朝、聖地を訪ねるその姿を心から心配し、一方では貴く思っています。多くの人の手本になってくれていることに、感謝するばかりです。他の人とは違って、心情的十字架を越えていこうとするその大きな使命は、私だけが知るところであり、さらに広く、高く、貴く敬愛を受けるお母様になってくださることを、心から祈るばかりです。皆によろしく伝えてください。手紙を一つ一つ書けない事情を理解させてあげてください!
子供たちに対しても、気苦労が多いでしょう。今は、皆の成長した姿を想像しています。私は毎日のように、忙しいアメリカ北部巡回路程を送っています。南部と違って、北部は寒い季節です。気候も変化して雪の降る日が多くあり、自動車の運転に気をつけなければならない道が多くあります。非常に遠い道のりを訪ねて回る、その大きな意義を思いつつ、復帰の路程の悲しみを体験することも多くあります。州ごとに異なる風景を見ながら、天の大きな摂理がある地だということを切実に感じます。天の復帰摂理の苦労を改めて思います。お母様が、私の行く先々に心で同行しながら祈ってくれていることを思うと、本当に有り難いです。大きな責任に対して私も深く敬愛しながら、今後のみ旨に対する誠心を大きく期待します。いつか、お母様と一緒にアメリカとヨーロッパを歴訪する日を願いながら、多くのことに思いをはせています。いつも健康に気をつけ、今後の道を固めるために、さらに努力してくださることを願ってやみません。天の威信と責任を重く受け止めながら、あすの希望を高めていくようにお願いします。
気になることが、日を追うたびにしきりに増えていきます。きょうは、コロラドの州庁所在地のデンバー(Denver)で書いています。恐らく手紙を見て、この場所を探してみることと思います。朝食を食べたら、(ユタ州の)ソルトレークシティー(Salt Lake City)に行って、相哲(サンチョル)氏に会う予定です。木曜日なので、気になっているかと思い、忙しい中ですが少し書いています。来週のうちにワシントンDCで「父母の日」を迎えるため、路程を急いでいます。そこで便りを受け、また連絡します。どうか体に気をつけ、勉強を頑張ってください。
生活の中で、時間をつくる余裕が常にあるでしょうか。一度過ぎれば戻ってこない青春の良い時期を、み旨のために大事にして捧げましょう。手紙を書くたびに、念を押すかのように何度も書いてすみません。それは、夫としての責任もあり、のちのち感謝することになると思いますので……。また、ほかに誰が勧めるでしょうか。時間の貴さをよく御存じでしょうから、申し訳ありませんが、心に留めて努力し、私が驚くほど忠実に過ごしてくれることを願うばかりです。心深くお父様を思い、それを体恤することも必要です。み旨を中心とした高貴なお母様を慕い求める私であることを、よく御存じだと思います。死のうと生きようと、私たちの使命となったみ旨を、私たちが成し遂げていかなければなりません。どうか元気で過ごしてくれることを祈りながら、これでペンを置きます。一九六五年三月二十五日、デンバーにて。
7 お母様へ。「父母の日」を迎え、報告を兼ねて書いてくださった手紙を読みました。御苦労様でした。やはり、お母様の貴さに対して改めて感謝しました。私がいない間、二回の行事のために苦労が大きいことがよく分かります。しかし、天の願いの前に責任を果たしたことを、私はうれしく思います。この「父母の日」が私たちの暮らす地球上に顕現したという事実を考えるとき、私たち真の父母の立場がどれほど恐ろしい立場であるかを切実に感じます。
六千年前に神様が造られた本然の世界で、神様が喜ばれる中で成就し、行うべきだった祝典の儀式を、今日の私たちが責任をもつという、途方もない使命の前に、身の引き締まる思いです。数多くの預言者と先祖が犠牲と悲惨な歴史路程を綴りながら、天地のためにどれほど多くの涙と汗と血を流してきたでしょうか。数えることのできない、天のみぞ知る曲折の多い道を歩んでくる中で、私は体験とともに蕩減路程を経る悲しみの道を耐えに耐え、お母様一人を迎えて平和の勝利を誓っています。そのようにしながら、暮れゆく青春を我が生活とし、たそがれの道をたどって果てしなく遠い夜明けに向かい、四十数年の生涯を歩み、天地の悲しみを体験しながら、天の勝利の一日として成し遂げられた「父母の日」であることを思えば、千里遠程の恨多き過去とともに、お母様を貴く思わずにいられるでしょうか。しかし、六回目を迎える「父母の日」を過ごしながらも、責任と使命を再び勧告しなければならない私の心情は、残された世界的な父母様の成就のためであることを思うとき、お母様に多くの苦労を再び残し、一緒に行かなければならない運命に対して深く同情します。
しかし、最後まで、私たちの恨を解くまで前進することが、私たちの目指すべき目標として残っています。様々な十字架の上で、お母様の責任がどれほど大きいかを知っている私が、海外で心から深く祈っていることを知って、妊娠中ですから体に気をつけ、あすの責任が輝かしいものとなるようにしてください。天地が貴く思い、万民が喜ぶ日である「父母の日」の中心が、実体をさらに貴く慕うことを思えば、すべてを祭物とするようさらに輝かせなければなりません。若い心に気高い誠心、天の責任と世界を抱きながら、幸福な歴史的生活の勝利圏を創造する神聖な主人公の責任を完遂し、天地が共にその懐を慕う、貴いお母様になられることを祈るばかりです。私たちのために命を懸けることを覚悟した人々が本当に多いことを、まず忘れてはいけません。
また、私たちを見つめながら、生命の灯台として侍る、そのような人に生命を与えようと思えば、光の本体にならなければならないという厳粛な命令を受けているのです。韓国と日本とアメリカのほか、多くの国の人が、いや、さらに多くの民族が、私たちのためにそのようにするというのであれば、負債を負って、私たちの歴史的背後にこの暗闇の一点を残してはいけません。ですから、責任を負った人の苦しみを、私が分からないでしょうか。神聖な「父母の日」、ハレルヤ、その実体の栄光を仰ぎつつ天に心から侍ります。復帰の喊声が鳴り響く中、聖なる徳を高く積み、父母の使命を越えましょう。今書いている手紙とともに、協会長の手紙の内容を考えると、大変、苦労が多いことが分かります。感謝しながら、勝利するよう心で願っています。どうか健康に気をつけて養生し、責任を果たしてください。旅の途中で、今ワシントンDCで「父母の日」を過ごし、今後の整理のために忙しくしていました。訪ねてくる人がいたり、考えなければならない問題もあったりして、今になってペンを執りました。
ここでも初めて迎える「父母の日」であり、先生を迎えてアメリカで初めて迎える「父母の日」です。ですから、忙しい全国巡回路程を終え、サンフランシスコを経由して、飛行機でアメリカの首都ワシントンDCに三月三十一日に到着し、「父母の日」を過ごしました。ワシントンDCの食口たちの誠心誠意により、私はアメリカに来て、歴史的な式と行事を行うことができました。多くの地方の食口たちも参加しました。神様が共にある中、三日間、昼夜を分かつことなく時間を過ごしました。良い集会を体験できました。ソウルを思いながら椅子を置き、大陸と大洋を越えて、お母様を思う瞬間を心に記憶しながら、厳粛に執り行いました。アメリカの食口たちも礼服を着て敬拝を捧げ、天のみ前に栄光となるように祈りました。五色人種(すべての人種)が一つになって行う式は、私の生涯でも初めてでした。しかし、もう少し広く、全世界に広げていかなければならないと決意しながら、無事に執り行いました。
恐らく、ワシントンDCにとどまる間は、そのような日程で過ごして日本に行く予定です。その他の人々にも会わなければなりません。七月中旬までにはヨーロッパに出発しなければならないでしょう。次の旅程は、追ってお知らせします。いつも、安らかでありますように。一九六五年四月七日、ワシントンDCにて。