真の父母経 第151話
8 お母様へ。過ぎし日々は多くの思い出とともに新たに、また新たに繰り返され、もう七十日が過ぎました。生活、風情が変わるとともに、遠く故国の山河を慕う思いをもつのは、人情の常のようです。多くの声援と忍耐の中で、過去を築いてきた地、涙で訴える地、多くの希望の土台を築こうと情熱を燃やした地、それが正に私たちの故国であるという深い回想の中で四十五年を振り返ってみれば、すべてがほかには知る者のないみ旨のための道でした。私の生涯はみ旨のためのものですから、天の苦労の前に再びあすのための覚悟をもち、忠誠を尽くすことを新たに決意するものです。
これまで多くの苦労と忍苦の中で、はるか遠い千里の道を築いてきた過ぎし日が再び思い出される四月十七日(陰暦三月十六日)の前日です。お母様を天的な使命の前に立て、天と地が案じる中で歩んできた日々を、勝利で越えて築いてきたその大きな心性の前に、この異国の地から感謝を捧げます。今や多くの子女の母親としての立場を、また案じなければならない苦労の道を遠くから同情しながら、四月十七日を過ごすと思います。私たちの過去に曲折が多ければ多いほど、み旨と歴史の前に、力強いやり甲斐となることを体験するとき、その過ごしてきた価値を賛美し得るのではないでしょうか。また耐え、また決意し、また越えていくべき復帰の路程を、力強く越えて走っていきましょう。私たちの天国、私たちの世界と私たちの福地のために、精誠を尽くし、努力しましょう。定められた生涯の路程で、その誰かのために走り、ただ一つだけの貴い人生において、目的の前に心からの感謝をお返しし、高貴な真の父母様の使命を高く賛美しながら、あすまたあすと勝利で歩みましょう。五年後のことを思えば、お母様はよく歩んできてくれたと思いながら、今後のお母様がさらに慕わしくなります。
十年が過ぎ、またさらに過ぎれば、私たちの過去がさらに高く、貴く表されることを期待します。その時には、私たちのみ旨と家庭も様々な形に変わり、天が願う真の手本となる本郷の家に到達してさしあげられるよう、さらに決意する次第です。お母様も過去を回想しながら、十六日を過ごすと思います。歴史的な聖婚日だったことを、誰が知っていたでしょうか。ただ天だけが喜び、サタンは悲しみに浸った日ではなかったでしょうか。天は福を与えようとし、サタンは讒訴しようとする中での新天地の家庭出発だったことを思うと、私たちがもう少し深い精誠と高い徳を備えていればと思わされ、改めて考えることが多くあります。
そして幼い子供たちのことを思います。会いたいです。時々、写真を見たりしています。ここも春です。韓国の山河も春だろうと思います。時間をつくって、春の陽気を浴びに一度出掛けるのもよいと思います。先生(お父様)と一緒に楽しむように万物を愛し、深く慰労されることを願います。私も食口たちと一緒に、ワシントンDCのいろいろな場所を見学しようと思います。忙しい生活の中で、心を楽に保ち、妊娠中の健康に気をつけて、ビタミン摂取に励んでください。昨晩、電話で声を聞いて感激しました。様々な事柄をたくさん残し、会った時に記念として聞かせてあげます。それでは、乱筆で失礼しました。一九六五年四月十六日、ワシントンDCにて。
9 孝進オンマへ。四月三十日に出発してニューヨークに向かい、四日目の五月三日夜十時半に到着しました。帰途の自動車の中で、多くの場所に手紙がたくさん来ているだろうと話しつつ、同時に心でそのように願いながら、到着するやいなや尋ね、協会長とお母様からの手紙を受け取って封を開け、驚きました。前回、手紙を受け取ってからすぐに返事を書き、送るように普煕に渡したにもかかわらず、まだ受け取れていないというのは、間違いなくどこかでなくなったのだと思います。その返事を思い返しながら、また書いてみます。便りを伝えるのが、電話で話してからは初めてになります。
妊娠期間で疲れがあるとのこと、申し訳なく思います。便りのない期間が十五日を越えましたね。私は安心して、再び来る手紙ばかり待ち望んでいました。この期間は、ワシントンDCで主に多くの人々に会っていました。詳しい内容は、あとで知らせようと思います。恐らくお母様にも会っていれば、私をさらに敬ってくれるだろうと、時々思うこともあります!そして、願い、祈るのは、健康でいてくださいということです。
出産のことは心配しないでください。その時が近づいてきたので伝えようと思います。お母様が好きなように定めてお産をしてもよいでしょう。ニューヨークに行って、お母様をこれから世界の舞台の上に立たせようとすれば、アメリカに来て生活を習得し、一緒に住む必要があると切実に感じました。しかし、今は状況的にそのようなことができないので、申し訳なく思いました。ニューヨークを訪問し、毎日のように同行できないことを思うたびに、お母様を考える回数が増えました。このことを思うときこの期間が私たちにとってさらに大きく役立つ時間であることを、天のみ前に感謝します。
二十五人の食口と同行し、ニューヨーク市の重要な要所を回ってみました。あとでまた写真を送ります。文明の力が、これから天国建設に大きく貢献しなければならない、絶対的要因であることを切実に感じました。きょう、ロンドンとローマから手紙が来ました。そこに、私たちの教会が建ちます。オランダにも行き、フランスも行く予定です。今回の在米中に、多くの宣教国を定めて実行していきます。期待しながら、たくさん祈ってください。疲れているようです。許してください。それでは以上にします。お元気で。協会長にもよろしく伝えてください。皆も元気で過ごしているでしょう。近い人に手紙を書くなら、このような内容を伝えてもよいと思います。一九六五年五月四日、ワシントンDCにて。
10 孝進オンマへ。歳月があっという間に過ぎていきます。もう別れてから、あと数日で満四ヵ月です。本部の便りを伝え聞くたびに、平安であることを感謝しています。ただ無事で、大きな使命の前に忠誠を尽くすことを祈るばかりです。この期間も一人重責を負い深慮していることを知るたびに私は心強く思います。天的な責任に忠孝の道理を立て、万世に追慕されるお母様をしきりに思い描いています。純潔なその身の上に、平和と平安が永遠に宿ることを願います。
本当に、過ぎし多くの行事に苦労が多かったことを心から慰めてあげたい思いでいっぱいです。ぐっすりと眠りについたその姿の上にますます平安があるようにと祈るばかりです。私は心から心配しながら、挙行されるその式典に福があることを願っていました!深く慕う、心もよく知っています。人生航路において深く体験するあらゆることが、のちのち私たちの家庭に福をもたらす重要な動機となる、そのような期間になることを待つばかりです。
今、時刻は夜の一時四十分です。こちらは静かな夜です。故国の夜が懐かしくなります。この時間、故郷は昼でしょうから、少しおかしくはありますが、夜だと思って送ります。お母様は、どのように眠っているのでしょうか。アメリカのことをいつも考える、その気持ちをよく知っています。早く来てくださればと思うその崇高な心情に、安らかな深い眠りを与えてくださいと、私は願うばかりです。遠い他国の地に、隔てられ、思うすべての事情が、香り高く、誇らしい条件になることを、今夜も私は思い描いています。
妊娠中ですが、おなかの子もますます健康であることを願います。私たちの家庭の上に天の大きな保護があることを、お母様も感謝してください。天地の運命を輝かしいものとする家庭であるようにと私はどれほど願っているでしょうか。天も、私たち統一信徒も、そのように考えていますので、今後、ますます子女の教育に力を注がなければならないことを感じます。復帰の路程は悲しみと痛みであり、その重荷を成就の大きな栄光に変えることを喜びとして思い描きながら、私はどれほど耐えなければならないだろうかと思い、決心するものです。お母様をどのようにして天の孝女にするかと考え、私のために生きる烈女よりも、天のために生きる烈女になりなさいと忠告する私の心を、一人で振り返ってみると胸が痛みます。天に行って誇り、あらゆる女性の中の勝勢者となったお母様の姿を、私が万天宙に賛美するその日を願いながら、再び勧告をする私の心も痛みます。
率いている側近の皆にも会いたいですし、気掛かりです。共に歩む運命を天地と共にして、静かな香華のごとく咲くよう、その血と汗と涙を肥やしとしなければならないその方(お母様)を私は仰ぎ慕いながら、愛顧したいという思いを、安らかに受け止めてください。私が帰国したら、またみ旨のために行こうとばかり勧める私に同情してください!天もそうであり、地もそうなのですから、すべてはお母様の貴さを立てるためであることを思い、最後の心情の十字架を立派に越えましょう。女性の貴い生涯に同情する、本当に尊敬されるお母様になり、歴史において功徳の手本となって、私よりもお母様の気高さと貴さを表すお母様の生涯にならなければなりません。
ソウルに、この忙しさを伝えようとするたびに、皆に感謝します。努力に比例し、成果が見えてくるでしょう。送ってくれた血書を受け取り、二十一日を守ろうと、準備の沐浴をしてペンを執りました。アメリカの便りが大変気になっているかと思い、紙面がとても長くなっていきます。生活を見れば、食事は韓国と変わらず、足りないものはありません。忠誠を尽くすスッキとギスクがいるので、不便なことなど考えたこともありません。時間があれば英語の本を手に取り、格闘しています。本当に、時間がたくさん必要です。お母様も、会話の練習をしてください。結局のところ、暗記するのが一番良い方法のようです。それ以外では、主に人に会うことです。思いどおり進展が見られます。遠くない将来、お母様と一緒にアメリカで生活することも考えています。良いものを見れば、そのようなことを考えます。
それから、体に気をつけて、あまり憂鬱にならず、朗らかな一日を歌い、食口たちと天を慰めてください。それでは、元気でいることを祈りながら、ペンを置きたいと思います。食口たちによろしく伝えてください。一九六五年五月二十一日、ワシントンDCにて。