真の父母経 第133話

韓国統一

19  今までは、いくら祖国光復を叫んでも、その国がどこにあるのか分かりませんでしたが、今や分かりました。今、一九八八年が過ぎ去ったので、それが韓国であることを明らかにするのです。ですから、この国、韓国で摂理的転換期を宣布し、「世界統一国開天日」を宣布しました。ソウルオリンピック大会を前後して、世界の二世たち(オリンピック選手)と統一教会の二世たち(宣教師)が内的に結束したことを条件として、新しい転換時代において、すべての問題を中心に希望的な世界に行けることを宣布しました。

この基盤は、人間世界はもちろん、霊界でもそのようになるのです。私がこれを宣布することによって、日本の先祖たちが韓国に来て助けることができるようになります。怨讐の国同士、互いに愛することができる愛の時代に入ったので、日本の善霊たちが、日本を犠牲にしてでも韓国の統一を後援できるようになり、アメリカでもイギリスでも、どんな国でも関係なく、世界のあらゆる国の善霊たちが、韓国統一のために後援できる霊的勢力基盤が地上に連結されたというのです。

20  今日、韓半島の統一をどのように成し遂げるべきでしょうか。数多くの宗派があり、数多くの集団があり、数多くの家庭があり、数多くの政党がありますが、それ自体が愛に和合した存在となり、自らを投入して共鳴体的な相対を創造できる行動をしていません。

政党が行くべき道は、国の富、国の利益のために役立つことです。政党は、国の利益のために心配しなければなりません。一方向的な党の利益ばかりを中心とするようになれば、国を蹴飛ばしてしまうのです。

韓国にこのような中心がないので、父母様が全世界の統一教会員たちをこの地に連れてきて、新しい氏族編成を中心として、民族編成を完結し、国のために統一運動をしなければならないというのです。韓国を愛の共鳴圏に感化させなければなりません。それを一九八九年、新年の初日から始めなければなりません。そのようになるとき、統一韓国が誕生するのです。それ以外に道がありません。その時、神様が個人と家庭、氏族、民族に訪ねてくるのです。


第四節   真の父母を誇り、祝福に力を注いだ一九九〇年代

真の父母様は、一九九〇年と一九九一年は「ネナラ(私の国)統一」、一九九二年は「セナラ(新しい国)統一」、一九九三年は「新しい家庭と統一祖国」など、一九九〇年代の序盤に、統一問題を中心に年頭標語を発表された。そして、一九九四年は「真の父母と成約時代安着」、一九九五年は「真の父母様の勝利圓を相続しよう」、一九九六年は「真の父母様を誇り愛そう」など、一九九〇年代の中盤には、真の父母に対する誇りと愛を中心に年頭標語を提示された。そして、終盤に祝福目標の完遂を年頭標語の主要主題として掲げられた。すなわち、一九九七年は「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」、一九九八年は「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」、一九九九年は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」など、その年の祝福目標を中心として発表されたのである。

ネナラ(私の国)統一

1   一九九〇年の標語は、「ネナラ統一」です。「私の国の統一」です。摂理史から見るとき、一九八〇年代は重要な時代でした。この一九八〇年代に摂理史的転換期を迎えられなければ、摂理史にこの上なく大きな難関が残ったでしょう。これが、父母様が苦心したことでした。しかし、一九八〇年代を中心として、全摂理史において蕩減すべきすべての内容を越えました。統一家が世界の頂上の位置に登ってくるまでに、四十数年の歳月が流れたのです。

2   今年の標語は「ネナラ統一」ですが、これはまず、個人の心と体が一つにならなければなりません。また、夫と妻が一つにならなければならず、父母の前に子女が一つにならなければなりません。神様を中心として一つになり、本源地的自覚を再認識する「私」を探し出すまでは、国の理想圏にも接することができません。

ですから、きょうから全体を代表する私にならなければなりません。神様を代表し、宇宙と世界、国、民族を代表するとともに、家庭では夫と妻、息子、娘を代表する私にならなければなりません。家庭の祖父母、父母、息子、娘を拡大したものが世界人類です。三段階の階層で連結されています。祖父母、父母、息子、娘です。

ところが、自覚すべきあらゆる基準を失ってしまいました。皆さんの家庭を代表する総合的な核の基準を(失い)、アダムとエバの家庭から世界に連結できる本源地を失ってしまったのです。今やその本源地を確定すれば、凍りついた氷山が春の日を迎えて溶けていくように、世界(の問題)は自動的に解消されていくでしょう。ですから、このように自覚した私から始まる私の国を求めなければなりません。

3   一九九〇年に私が、一九九一年も同じ標語をもって年頭の辞とすることにしたので、一九九一年の標語も「ネナラ統一」です。昨年も「ネナラ統一」になり、今年も「ネナラ統一」です。その次の三年目となる来年は、これを完結するための「セナラ統一」になるでしょう。ですから、一九九二年まで、私たちはこれを実践しなければなりません。

4   一九九〇年代を出発するこの日、父母様が世界を再収拾して、統一天下に向かって前進すべき時点で、皆さんが命令を受けているこの瞬間が、どれほど厳粛な時間なのかを知らなければなりません。

「ネナラ統一」が成し遂げられるその時は、歴史始まって以来、何万年、何億万年、摂理史を中心として待ち望んでいた神様の願いが着地できる、息詰まる瞬間です。また、数多くの宗教者たちが無念な思いを抱きながら血を流し、「自分たちの悔しい恨を解いてほしい」と天に祈って所願成就の一日を願ったすべてのことが、地において成就されていません。それが地に成就される息詰まる時間が目前に現れたというのです。

ここで言う「ネナラ統一」は、この韓半島だけを中心としたものではありません。世界の国家を代表するものです。世界国家です。本来は「ネナラ統一」に「ネセゲ(私の世界)統一」を入れて、「ネナラ統一とネセゲ統一」としなければなりません。それを略して「ネナラ統一」としたのです。

世界の人々が、各自、自分の国を統一して韓国に連結すれば、世界になるのです。「私の国統一」のために、今までのどんな愛国者や忠臣よりも、さらに精誠を尽くしていく歩みを早めながら、涙とともに「さらに行かなければならない」と拍車を掛ける日々の生活を誇らなければなりません。天の伝統を記録するとき、一行でも登場できる歴史的な資料を残さなければならないのです。

セナラ(新しい国)統一

5   アメリカで一九九二年一月一日にメモした内容です。「セナラ統一」という題名のもとに四つ(の項目が)あります。

第一は長子権復帰です。「セナラ統一」をしようとすれば、長子権復帰をしなければなりません。民族的に復帰しなければならず、国家的に復帰しなければならないということです。

第二は父母権復帰です。氏族メシヤを中心として、新しい父母が設定され、連結されなければなりません。父母権設定、長子権復帰です。長子権の父母が現れなければなりません。これが真の父母です。長子権が復帰されれば、長子権の父母が現れなければならないというのです。

次に、第三は王権復帰です。長子権の父母が王の中の王ですが、父母権復帰、王権復帰にも、長子の意味が入らなければなりません。王権も長子権の王権です。それが天の国の王であり、地の国の王であり、万王の王です。これは、真の父母に対して語る言葉です。

その次に、皇族圏復帰が出てくるのです。神の国の王を中心として、皇族が設定されていません。イエス様が万王の王として来たと言いますが、皇族がいないというのです。自分の血統を通した直系の王子、王女の家庭がないというのです。それが復帰されなければなりません。本来、エデンの園で、アダムとエバは皇族でした。この皇族圏から、すべて連結されてこなければならなかったのです。

6   アダムが失敗し、イエス様が失敗し、キリスト教が失敗したことだけでなく、真の父母に侍る再臨時代に失敗したすべてのことまで、お父様一身が責任をもたなければなりません。これを知って収拾し、復帰できる人は誰もいません。ただお父様しかいないというのです。

アメリカを中心として、世界的版図を勝利的に収拾しようとしたことまで、すべて失ってしまいました。これにも責任をもたなければなりません。そのすべてのことに、キリスト教やアメリカのようなどこかの国が責任をもつことはできないのです。お父様と一つになるべき相対圏に立っていた、これらすべてのものが破壊され、喪失したので、これを再創造しなければなりません。再びこれを収拾しなければならないというのです。

ですから、一九四五年に七年を足した一九五二年、この時に、既にきょう語る「セナラ統一」、新しい国が統一されなければなりませんでした。アメリカは、新教を中心とした独立国家です。新教国家として、アベルです。この新教を中心としたアメリカ、第二イスラエル圏が、全世界を抱くようになるというのです。世界を抱いて主人になるのは、アメリカではありません。来られる真の父母と連結されなければなりません。そのようになることによって、真の父母を中心として、宗教と国家が一つになる基盤の上に立つのです。

この宗教は、全世界的に統一された立場に立ちます。それが、カインとアベルが一つになることです。体と心が分かれたものが、世界的に統一されなければなりません。ここには主義があるのですが、その主義は真の父母主義であり、アダム主義です。

Luke Higuchi