真の父母経 第132話

祖国創建

11  一九八四年の標語は「祖国創建」です。私たちには世俗的な国がありますが、私たちは、そこで安住することができず、放浪する現代のロマのようにさまよっています。私たちは、永遠なる幸福の国に定着することを望んでおり、真の父母の国である祖国を待ち望んでいます。最近になって、父母様によって、数多くのキリスト教の宗派が、和合と一致のための運動に参加しているのを目にすることができます。

「終わりの日」になったとき、彼らが訪ねてきて、それまでの過ちを悔い改め、赦してほしいと切に願う場面を想像してみてください。父母様が完全な勝利をする場に誰が同参するでしょうか。参加するのと参加しないのとでは、天と地ほどの違いがあります。

一九八四年は、摂理史においてこの上なく重要な転換期です。私たちは、勝利の街道を走っています。一九八三年三月、アメリカで伝道機動隊を編成し、全体を動員しました。その活動は、福音伝道のための最も遠大な最初の事業でした。父の国である祖国創建のためなのです。

12  皆さんは、統一教会の民族を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の国家を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の世界を通して天国に行くのでしょうか。世界がある前に国がなければならず、国がある前に民族がなければなりません。今は、民族はありますが、国がありません。

この国は世界万民が理想とする国家なので、国境を超越し、民族を超越し、氏族を超越し、すべての人種を超越して糾合された一つの国です。これが正に、神様の願う地上天国です。ですから、この国をつくることが私たちの目標です。神様の世界を通してこそ、神様の天宙を造ることが可能なのです。

13  今まで、歴史過程のカイン・アベルを中心として長子権復帰の基準を取り戻し、父母様が世界的蕩減路程をすべて準備しました。そうして、真の父母様の家庭を中心として、長子と次子の権限を世界的基準で連結させることができるこの祝福の日を、神様がどれほど待ち望み、父母様がどれほど待ち望んだでしょうか。人類がどれほど待ち望んだでしょうか。「祖国創建はここから始まるのです。ここから祖国創建の曙光(しょうこう)がさしてきます。

今、新しい時が熟しました。外的にすべて熟していくのです。お父様が語る環境に合うように、外的に熟していくので、皆さんさえ完全に一つになって、長子と次子を中心として闘争がなくなれば、ここから統一家を中心として地上天国理念が実現されていくのです。このようにしておいてこそ、家庭教会の出発ができます。家庭教会は天国の基地、天国の定着地であると教えてあげましたが、これが終わらなければならないのです。

天国創建

14  一九八六年、新年の年頭標語は「天国創建」です。今までは「祖国創建」でした。天国を創建するには公式があります。その公式が、歴史路程におけるカイン・アベル問題です。堕落しなかったならば、アダムとエバが長子となり、長女になって、神様の直系の子女になったはずですが、堕落することによって、長子の位置を奪われました。

人間の堕落以降、今までサタンが長子の立場を取ったので、神様は次子を支配できる立場で歩んできたのです。ですから、これを復帰しなければならないのですが、無理やり復帰することはできません。サタンの愛によって神様が長子圏を失ったので、長子圏を復帰するためには、サタンの愛以上の愛をもたなければなりません。そのようにしなければ、長子圏を取り戻す道がありません。

堕落した父母、あるいは堕落した兄、堕落した世の中がもっているあらゆる愛は、すべてサタン圏に属した愛ですが、このサタン圏の愛が、長子圏に属した愛です。今日までの、世の中の人々の夫婦の愛、父母の愛、子女の愛など、これらすべての愛は、長子圏、堕落圏に属した愛です。

ですから、この長子圏を越えていくためには、次子の立場から反対に蕩減復帰しなければなりません。蕩減というのは、そのまま越えていくことができません。必ず代価を払わなければならないのです。

15  祖国といえば自分の国です。これは、世の中の国の観念です。祖国といえば自分の国の観念であって、天国の概念ではありません。ですから、地上世界で、まずアベル圏を設定しなければなりません。それが祖国創建です。今や「天国創建」です。天国になるためには、カインとアベルが一つにならなければなりません。この地上と霊界、地上の国と霊界の国がカイン・アベルを中心として一つになった立場に立たなければ、天国創建はできません。

一九八六年の標語は「天国創建」です。ソ連とアメリカが一つになれば、その次は地獄と天国が一つになります。地獄と天国がいつ一つになるのでしょうか。

一九八五年二月一日、その門を開く「開天門の日」を宣布しました。お母様はイースト・ガーデンに、お父様はダンべリーにいながら、午前三時に祈り、愛の道理を立てて橋を架けました。今や一九八五年が過ぎ去り、一九八六年が始まりましたが、その祈りをすることによって、世の中が反対に回るようになりました。時計の針が回るように回ったとすれば、一周すべて回り終え、今からは逆に回り始めるということです。今までは統一教会が世の中に踏まれながら歩んできましたが、一九八六年からは、統一教会が世の中に現れる時になったのです。

祖国統一

16  一九八七年、新年の統一教会の標語は「祖国統一」です。この祖国統一を漠然と考えてはいけません。その標語が世界的で天宙的であるというときには、問題が大きいのです。この道を打開していく公式的方法について、私たちはこのように言います。「個人は家庭を克服しなければならず、家庭は氏族を、氏族は民族を、民族は国家を、国家は世界を、世界は天宙を克服しなければならない」。統一教会が歩む公式的方法を、このような摂理的過程を中心として提示しているのです。個人完成と家庭完成、これは一つのチームと同じです。

個人が完成しようとすれば、体と心の争いを克服しなければなりません。内的な基準で体と心の争いを克服し、一つにならなければなりません。そのようにしてこそ、外的還境の家庭圏に影響を及ぼすことができます。体と心の争いを整備しなければなりません。そして、家庭から氏族に進んでいこうとすれば、もちろん家庭のあらゆる困難なことを克服しなければなりません。そうでなければ、氏族圏に進むことができないのです。また、氏族圏内で氏族のすべてが統一されなければ、民族圏に進めません。

それでは、「祖国統一」という標語は国家的基準でしょうか、世界的基準でしょうか。問題となる内的なアメリカの国民性と国を収拾してから、世界に越えていくことができます。国のすべての苦痛を克服してこそ、世界の環境を消化できるのです。このように行くのが公式路程です。それが世界的なものを越えて天宙的だという時には、この地上のあらゆる問題を克服しなければなりません。地上の地域問題からあらゆる問題を克服してこそ、天上世界の問題を環境的に消化して、神様の愛の圏内に入っていくのです。

17  一九八八年の標語を、一九八七年と同じく「祖国統一」と定めました。いまだに南北統一が私たちの前に残っているからです。皆さんが精誠の限りを尽くして霊界を動かし、このことを遂行するとき、韓国の全体的な組織編成を強化することにより、対処していかなければなりません。私たちが準備することによって、北朝鮮の政治風土が変わるようになります。祖国統一は、誰彼なしに、北朝鮮も韓国も、いずれ成し遂げなければならない宿命的課題として残っています。

南北に分かれたのは、大韓民国の国民が誤ったからではありません。世界の強大国によって分かれたのです。ですから、韓半島の統一は大韓民国の人だけではできません。強大国が協助できる道を開かなければ、いくら北朝鮮が韓国を解放して統一したとしても、その統一は永続することはできず、いくら韓国が軍事力を強化して北朝鮮を統一したとしても、それが永続することはできません。

強大国をまとめて南北統一をする道だけが、悠久なる統一方案になるというのです。それは、摂理史的見地とも一致するのです。

18  今日、韓国の領土が神様の祖国光復の基地になるという驚くべき事実を知れば、この韓民族が眠れるでしょうか。「してはいけない」と言っても、昼夜を分かたず生命を投入するでしょう。財産が問題ではありません。自らの全体と韓国全体を投入してでも、これを成就しなければならないという義務感をもつ大韓民国となるに違いありません。

今日、父母様が祖国統一を願うのは、滅びるしかない国家背景を中心としたものではありません。これまでの歴史になかった超国家的な祖国光復、神様が探し出そうとする祖国光復のための途上で、すべてのものを消化できる思想的体系を備え、論理的な教育を通して社会を変化させることができ、吸収、消化できる主体(的な)思想をもった人を育てていこうと思うのです。ですから、共産主義が問題ではなく、民主主義が問題ではありません。それで、共産主義が私を恐れ、民主主義が私を恐れるのです。丸ごと食べられてしまうと考えるのです。

一九八八年の年始めに立てた標語は「祖国統一」ですが、その祖国は、本然の主体である神様が願う祖国です。この全宇宙の国は一つです。この世界は神様の民が暮らせる基盤です。霊界は、私たちが永遠に暮らせる一つの理想的住宅であり、国なのです。

Luke Higuchi