真の父母経 第352話
天地父母天宙統一解放式(三・十節)宣布(一九九九・九・一〇、九里中央修練院)
21 一九九九年九月十日十時十分を期して、天地父母天宙統一解放式を宣布しました。「九・九節」を宣布したのは、「七・八節」に天地父母天宙安息圏を宣布したその日以降、天地父母天宙勝利祝賀宣布式が終わることによって、父母様を中心として地上のあらゆる家庭の兄弟の縁を経て、子女の縁を経て、夫婦の縁と父母の縁と王権の縁を代表できる父母が、この地上に出発したからです。
そうして、天地父母宣布をすると同時に、勝利を賛美できるようになりました。このような天地の大変革時代を宣布したその基盤の上に、今、「九・九節」を設定するようになりました。
「七・八節」は、神様を中心とした善の境界線でした。これを限界として、サタン世界で活動していたすべてのものと、反対の方向になっていたすべてのものを正し、天のみ前に帰依させることのできる一日である「九・九節」を立てました。それによって、一九九九年九月十日十時十分を選び、天地父母天宙統一解放式、「三・十節」を迎えることができるようになったのです。
22 真の父母のみ名によって、天地父母天宙統一解放式を迎えさせる「九・九節」の上に、今、「三・十節」を立て、神様を中心として、天地父母があらゆる頂上の位置で、万宇宙を抱くことのできる祝福の恩賜を受けるようになりました。
反対の道を進んでいた「九・九節」が「三・十節」圏内に立てられることによって方向を定め、神様の主管圏内で、天の境界線とサタンの境界線の緩衝地帯のようなものが、統一的基準で一つになった圏内で、七、八、九節として設定できる日をもつようになりました。それによって、一、二、三、四、五、六、七、八、九まで、サタン圏内にあるものを再び収拾し、神側で一、二、三、四、五、六、七、八、九、十の基準を一つにして奉献してさしあげるようになったのです。
23 個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙全体に、統一的なすべてを中心として、「九・九節」を宣布したので、「七・八節」と「九・九節」と「三・十節」を中心としてすべての時を越えるようになりました。
それによって、十数、百数、千数、億万数を自由自在に往来できる勝利的覇権をもつようになり、数理の何千代もの権限を備えた万宇宙の存在を、主人の位置で統治するようになりました。
この「三・十節」を中心として、(天の)お父様が通告するすべてのことを父母様が受け、宣布の日として定め、永遠の宣布といたしますので、全万象がそこに順応することのできる伝統が始まることを、真の父母と共に、縦的な神様のみ名とともに、この時間、全天宙の前に宣布いたします!
24 今、一九九九年九月十日十時十分ですが、この時間、「三・十節」を宣布しました。その十が三数になります。九月十日十時十分から九数を抜いて三十(十、十、十)数になりました。
復帰摂理においてあらゆるものが、三数を基盤としてOKです。旧約時代OK、新約時代OK、成約時代OKです。十数は帰一数なので復帰の完結数になるのですが、十を三数で連結させて、サタンの頂上数である九数を越えた三段階の十数です。この天の十数をもったというのは、歴史的なことです。これは、旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成です。それゆえ、南北統一の運勢、東洋と西洋の統一の運勢を迎えて、南北の文化格差と貧富格差が平準化された本然の創造理想により、愛の主権下で統治される時代に越えていくのです。
25 一九九九年九月十日を期して、アダム家庭が完成します。天の国のアダム家庭完成を、氏族、民族、国家、世界版図に連結できる時代に入っていくのです。ですから、サタンはもう「無用之物」(役に立たない物や人のこと)です。反対に向かっていたものが転換されたのです。転換されたので、頭は頭同士で向き合うことのできる基準になりました。
ですから、「七・八節」を中心として、九数と十数が一つになるので、境界線と緩衝地帯がなくなるのです。境界線と緩衝地帯がなくなり、すべて神様の主権内に入っていくのです。
26 「三・十節」はどのような意味があるのでしょうか。主なる神様が全体摂理を代行できるアベル的立場で、個人から氏族、民族、国家的時代にメシヤを送りました。このメシヤはアベル的であり、国家中心の長子権です。再臨時代までは、世界舞台を中心として、真の父母完成のための出発でした。
そうして、真の父母の祝福を通して、世界舞台で「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」を完全に成し遂げてしまったのです。ですから、全体解放圏を宣布せざるを得ません。それゆえ、もうサタンの境界線はなくなり、天の国の境界線だけが設定されたというのです。
天の国の境界線が設定されたので、これが平準化され、平面世界と立体的世界の子女たちと一つの帰着点を中心として、父子関係、夫婦関係、兄弟関係において妨げるものがなく、障害もなくなりました。このようになって本然的血統の家庭形態が世界的に拡大され、勝利の一つの標的として決定されるようになります。その日が、一九九九年九月十日だというのです。
自分の家庭の名前で報告祈祷する時代宣布(一九九九・九・一四、アメリカ、イースト・ガーデン)
27 今まで皆さんは、祈るときに「何々をしてください。成し遂げてください」と言いました。すべて成し遂げてあげました。そのように成し遂げてあげたものを皆さんが受け継ぎ、父母様が今まで肉的サタン世界に対して、身をもって闘って勝ったのと同じように、そのようにしなければなりません。すべて知っているのに、何を祈るのですか。そのような祈りをする時代は過ぎ去ったというのです。
「私はこのようなことを知りましたので、私がいたします」という自己責任時代に合わせて、祈らなければなりません。そして、「真の父母の名によって」ではなく、「真の父母の名によって祝福を受けた誰々の名によってお祈りいたします」と言わなければならないのです。「真の父母の功労によって真の息子、娘となった誰々の名でお祈りいたします」と祈らなければなりません。祈るのではなく、「報告いたします」という祈りをしなければなりません。
何かのために祈り、何かを下さいと祈る時代は過ぎていきます。すべて与えました。
これからは、「真の父母の勝利的基盤を知り、私もそのような実績をもって、息子となった責任を果たそう」と言わなければなりません。「個人、家庭、氏族、民族、国において、息子の責任を果たそう」と言わなければなりません。
そうして、孝子と忠臣の家庭にならなければならないというのです。
28 真の愛は、誰でも相続することができます。ですから、祈祷が変わらなければなりません。自分の息子、娘を中心としてする祈祷は、統一教会ではしてはいけないのです。地上天国と天上天国のために祈らなければなりません。個人的な地上天国、家庭的な地上天国、国家的な地上天国です。そのために祈ることによって、民族の境界線、国家の境界線がなくなります。それが神様の願うことです。
まず祈るよりも、実践してから報告しなければなりません。報告することがなければ、ひざまずいて悔い改めなければならないのです。不正な行いについて、悔い改めなければなりません。
「ここまでいたしました」と報告し、約束しなければなりません。アメリカに来てから、私は祈りませんでした。祈るよりは行動したのです。実践したというのです。
29 真の父母を通して自分の名で祈る時代です。祈った内容には責任をもつということです。その実体にならなければなりません。いい加減には祈れません。イエス様は誰の名で祈ったでしょうか。息子の名で祈ったでしょう。ひとり子である息子です。しかし、家庭をつくらなければなりません。家庭の名を外すことはできないのです。家庭には、夫と共に一家族が入るのです。