真の父母経 第353話
「双十節」宣布(一九九九・一〇・一〇、ウルグアイ、プンタ・デル・エステ)
30 きょうは一九九九年十月十日ですが、「双十節」です。天の十数と地の十数が一つになる日です。ですから、これからは祈るとき、自分の名で祈るのです。自分の名で祈るということを、一九九九年九月十四日に宣布しました。
それは、堕落圏を抜け出したということです。それゆえ、これからは、皆さんが皆さんの息子、娘を祝福しなければなりません。息子、娘たちを祝福してあげなければならないのです。すべての祝福家庭が自分の名で祈るようになることによって、自分の息子、娘を祝福できるようになりました。
信仰基準ができておらず、いまだ条件が満ちていないだけであって、祝福を受けた人たちが自分の息子、娘を祝福してあげることによって、第四次アダム圏に越えていくのです。
31 「双十節」は、天と地が完全に一致する日です。今まで絶対信仰、絶対愛、絶対服従の実体を中心として、堕落した家庭が完全に解放されることによって、第一次、第二次、第三次アダム圏を越えて第四次アダム圏になるのです。第四次アダム圏に越えていこうとすれば、自分が自立的な立場であらゆる罪を蕩減し、自主的に神様に報告できなければなりません。ですから、今から自分の名で祈るのです。今から自分の名で祈る家庭は、自分の息子、娘たちを祝福しなければなりません。
32 第四次アダム圏にならなければならないと、一九九八年に宣布しました。「双十節」に、第四次アダム圏の峠を越えたのです。ですから、十月は栄光の月になるのです。十月は、四日が、お父様が西大門刑務所から解放された日であり、十四日は興南監獄から解放された日です。
私は、天宙的「四・四節」を宣布しました。コディアクで家庭的「四・四節」を宣布したので、ウルグアイで天宙的「四・四節」を宣布したのです。ですから、神様の四位基台理想が連結されれば、サタンの峠を越えていきます。それで、サタンを屈服させることができるあらゆることを整備して、これから第四次アダム圏時代、蕩減が必要ない時代に越えていくのです。蕩減復帰ではなく、自然復帰時代に越えていくのです。
総天宙祝福解放日宣布(一九九九・一〇・二三、アメリカ、イースト・ガーデン)
33 一九九九年十月二十三日は、去る十月十日、ウルグアイのプンタ・デル・エステで「双十節」を宣布して十日が過ぎ、三日目になる日です。それで、「総天宙祝福解放日」を宣布しました。
きょうは、十、十、十を足した三十に三数を加えた三十三数に該当する日です。このような日なので、全体の摂理観的な立場で、今まで父母様が発表したあらゆる内容を終結しなければならない時が来ました。父母様が発表したものが、旧約時代、新約時代、成約時代を経て、第一次、第二次、第三次アダムを通して、霊的、肉的に分かれたものを再び取り戻し、四十年ぶりに実体圏全体を蕩減して越えていくのです。越えていくだけではいけません。越えていき、堕落していない本然の実体、堕落がない永遠の勝利圏に立つことができるアダム勝利の版図をこの地上に立てなければならない時代が、既に発表した第四次アダム圏時代だというのです。
第四次アダム圏時代には、世界の祝福を受けたすべての統一教会員たちを、アダムとエバが堕落せずに祝福を受けた位置に立ててあげるのです。その祝福を受けた位置に立ち、第一次、第二次、第三次アダム圏のあらゆる勝利圏の上でそれを相続することによって、初めて自分が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情圏を中心として、天地父母と一つになったその基盤を通して、あらゆることを清算しなければなりません。
アダムとエバが堕落することによって、創造主をはじめ、実体圏全体が嘆息するようになりました。したがって、あらゆる宗教圏の蕩減条件を越えて、万物解放の主人、子女解放の主人、その次には、アダムとエバの家庭解放の主人、神様解放の主人の位置を決定することによって、すべてのことが終わります。ですから、ある一日を設定してこれを清算しなければならないのですが、その日が正にきょうです。それで、父母様が、蕩減条件として家庭を中心に総生畜献納祭を行ってきたのであり、「双十節」を中心としては、祝福を伝授してあげる日として定めたのです。
34 万物が今に至るまで嘆息しています。万物は、真の父母を中心として、神様の愛の世界に入っていって主管を受けることができなかったのです。ですから、万物嘆息圏を解放しなければなりません。
皆さんの子女たちも同じです。皆さんの子女たちが解放的恩賜圏内にいることができないので、皆さんの子女たちの解放圏が広がらなければならないのです。
その次に、皆さんの家庭が、いまだに条件を越えることができませんでした。蕩減の条件を越えていくことのできる祝福、父母様が勝利したものを与えてあげることによって、越えることができます。
その次には、皆さんの家庭を中心として、氏族、民族、国家が越えることができませんでした。今までサタンが国家基準で全権を行使したので、これを踏み越えて、天の全権行使として連結させることのできる蕩減条件をすべて立てました。コディアクで全体、全般、全権、全能の時代に転換されるという日を発表しました。あらゆるものを、この宣言を中心として越えてきたというのです。
それで、一九九九年十月二十三日を期して、四大心情圏の一致、万物解放、子女解放、夫婦解放、天地父母解放圏を宣布するのです。これによって、このような勝利の基準を中心として信じているその位置は、神様が思いどおりに活動できる神様の絶対所有圏内に入っていきます。それで、絶対万物の解放、絶対子女の解放、絶対夫婦の解放、絶対家庭、一族、一国の解放圏が展開することによって、サタン世界が終わりを迎える日は遠くないというのです。
35 一九九九年十月二十三日は、万物解放と子女解放、夫婦解放、真の父母の地上圏解放、天上世界の創造解放圏を宣布し、新しい時代への転換を宣布できる日です。「九・九節」と「三・十節」を宣布した基盤の上に、真の父母の代わりに天の祝福を求めることができ、天のあらゆる開拓的な路程を建議できる基準まで立てて、すべてを相続いたしました。それによって、真の父母の勝利圏を天上世界と地上世界に委譲する式として、サタン圏全体をなくしてしまい、新しい天の世界で、万物・子女・夫婦。父母圏全体が栄光の出発を宣言できる新時代を迎えるようになりました。
この時間から、このすべての式を経て、万物解放、子女解放、夫婦解放、真の父母解放、天上の創造主天宙父母解放とともに、天上と地上の統一的な、あなたの理想的愛の主権世界として前進を誓うことができるよう、真の父母、主なる真の天地父母の名を通して宣布いたしますので、一体勝利の一方通行で、あなたの愛の主権世界へ前進あるのみです!
真の父母様の摂理観的責任完遂宣布(一九九九・一二・二六、アメリカ、ベルベディア修練所)
36 「摂理観的責任完遂」と言えば、すべて終わります。それでは、誰が責任を完遂するようになるのでしょうか。神様です。今まで神様が、救援摂理という、願わないことをしてきたのです。本来、救援摂理はなく、摂理観的完成のために創造理想を立てていたのですが、私たちの人類始祖がサタンの侵入によって別の世界をつくることによって、摂理史的責任分野はなくなり、救援摂理観的責任召命を今までしてきたというのです。
37 今までの歴史は、摂理観的な歴史ではなく、救援摂理観的な歴史です。神様が主人になっていたならば、偽りの主人は現れなかったでしょう。被造世界のあらゆる存在は息子のためにつくったので、父と息子の関係において神様の摂理観的なすべての歴史は解読することができ、完全に現れるはずでした。ところが、他の主人が入ってくることによって、それが現れることができず、未知の摂理史と思ってきました。それで、人間は何も知らないのです。堕落圏内に入っていったので、あらゆる根本に関する問題、神様と摂理観に関する問題が全く分からないというのです。
38 「真の父母様の摂理観的な責任完遂」と言うとき、その責任完遂の内容とは何でしょうか。摂理観のすべてのことを解明し、未知の事実を明らかにし、その未知の内容がもたらしたすべてのことを清算して、創造を始めた本然の基準を連結させることができる役事をするようになりました。神様を中心として、真の父母様がそのようなことを完遂したのです。
今まで人類歴史がどのようになり、なぜこのようになったのか、誰も知りませんでした。しかし、父母様は、神様と創造理想によって立ててきた息子、娘の関係がどのようになり、地上世界にどのように連結されるのかを知りました。個人から家庭、氏族、民族、国家を中心とした天上世界と地上世界の天国をどのようにすれば完成できるのかという、理論的な内容を知ったというのです。
39 神様の摂理観的なすべての理想が完成したならば、神様が父として動くとき、息子である人間も共に動くようになり、息子のための象徴的な形象体である万物もすべて一つになっていたでしょう。そのようになっていたならば、神様と一体となり、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、永遠の世界までも完全な実体として動くはずでした。
神様と一体になるならば、すべてのものは完全、完成したものとして、完全、完成した価値をもち、一つの実体圏、一つの理想的な局面が展開したでしょう。人間と神様が一つになっていれば、その下のすべての万物は、人間を養育し、人間を保全し、人間が便利に暮らせる環境的条件になります。それが実体万物創造の世界です。
40 真の父母様の摂理観的責任完遂とは何でしょうか。宇宙の自然の結婚が、私たち人間の結婚と天の国の結婚と通じることがてきるという、その観と責任について教えてあげた人が父母様であり、その責任を完成するために努力する人が父母様だというのです。
そのような観の主流は、絶対、唯一、永遠、不変の愛です。そのような愛は一つしかありません。そのような愛が連結される存在も、自動的に絶対、唯一、永遠、不変の存在になります。愛によってのみ、そのような存在になることができるのです。