真の父母経 第300話

医療・教育支援とレダ文化都市の建設

真の父母様は、南米のパンタナール地域に道路を造って、二十九台の救急車を寄贈された。パンタナール地方に暮らす人々は、道路事情が悪く、病気になっても病院に行けないことを知り、道路を造ってあげ、救急車を支援されたのである。また、ジャルジンに学校を建設して人材を教育され、さらには、アメリカの優秀な教育コンテンツを、テレビとVTRを通して教育することにより、南米の教育水準を高めようとされた。真の父母様が南米でシャルジンに次いで精誠を捧げられた所が、チャコ地域である。チャコは、ボリビアとパラグアイ、アルゼンチン、ブラジルにまたがるグラン・チャコ地域の一部で、面積は二十五万平方キロメートル(七百五十億坪)に及ぶ。真の父母様は、一九九九年八月、日本の国家メシヤたちに対して、チャコ地域のプエルト・レダ開拓を指示された。特にレダは、チャコでも、人が住んでいない場所だが、そこを人間と自然が共存できる美しい居住地に変え、すべての人々が暮らしたいと思う理想郷にしようとされたのである。それゆえ、レダに八万へクタールの土地を購入し、開発を始められた。また、レダを中心にモデル農場とモデル水産事業施設を造り、文化都市建設を計画されたのである。

12  南米のパンタナール地方に住む人々は、道ができていないため、自由に往来できません。ですから、道を整備して自由に往来させ、世界に進んでいき、飛んでいけるように環境をつくってあげる活動を、お父様がしなければなりません。そこでは赤ん坊が病気になっても、母親が赤ん坊を抱いて病院に行けないので、ただじだんだを踏みながら泣くしかないという話をたくさん聞きました。ですから、そのような地域に救急車を一台ずつ備えさせてあげました。何の関係もない人が、このようなことをしてあげたのです。その時、その地域の州知事、警察署長、市長、病院長たちが来て集まった中で、五十万ドルに該当する寄付を私が手渡し、適切に使うようにしました。今や警察署に電話をすれば、即刻出動して病院に連れていってくれるのです。

このような運動を継続して行おうと思います。五十台から始めましたが、今後、五百台、数千台まで膨らんでいけば、自動的に家庭に医者を呼ぶことができる時代が来るというのです。

13  アメリカでしていたとおりに、南米の人々を教育することができます。南米でも、テレビとVTRさえ備わっていれば、アメリカの放送を見て、その教材を用いて、アメリカで行っているとおりに勉強することができます。自ら勉強できる機会を与えるのです。そうして、一週間に一度か、二週間に一度ずつ集めて、勉強したことを問答して指導できる体制をつくればよいのです。そのようにするために彼らが集まるとき、車が必要であれば、救急車を中心として学校に案内までしてあげるのです。救急車を二重の目的に使用することができます。

その州の人口に従って、幼稚園と小学校を造り、中学・高等学校を造って、大学に連結できる教育体制を備えるのです。小学校の四年生から、農業の方法や木を植える方法、原野を開墾する方法、養殖をする方法をすべて教育します。そうして、高校を卒業するときには、その分野の専門的な人材になるのです。大学まで出れば、その地域の先生になり、指導者になることができます。そのような体制をつくらなければなりません。そして、高校生たちには牧場を守る仕事をさせます。そうして、牧場を開発し、運営するすべての内容を教えてあげるのです。

高校を経て、大学を卒業する十六年間、博士コースまで合わせて二十年間に、牧場でこのような専門的な教育を行うのです。一旦、私たちの体制に入ってくれば、自分たちの家で食べる物を心配する必要がありません。すべて、自給自足することができるのです。

14  ジャルジンに学校を造っておきました。小学校から中学・高等学校全体を収容することはできないので、本部では特殊な素質のある人々を連れてきて教育します。幼稚園は各都市で運営し、その次に、小学校、中学・高等学校を造って教育するのです。そこで優秀な人々は、これから私たちの大学に送って勉強させます。ここでは水産事業の方法、山林を育てる方法、農業の方法、工場で物を作る方法など、全般的なことを教えるのです。

そして、ジャルジンに造ったものを拡大して、そのようなシステムを備え、単科大学を中心として総合大学を造る計画をもっています。そのような建物をすべて建てることができるようにするのです。

その次には、中南米三十三ヵ国の三十三ヵ都市に、そのように教育できる小学校と中学・高等学校を造ります。教室を二つ造るのに七十坪あればよいのですが、五百人を収容できるようにするのです。そのような講堂を造ります。教室の仕切りを引き戸にすれば、二つの教室を六つにも七つにもして、いくらでも使えるのです。そうすれば、私たちの観光客が何百人行っても、その家一棟にすべて収容できます。観光用の宿所にもなり、その次には、教育できる場所にもなり、その次には、訓練場所にもなるのです。

15  私が南米に渡って、涙を流したことがあります。アルゼンチンとウルグアイの境界線を越え、アンデス山脈の峠を越えながら、太陽がだんだんと沈んでいく中、ブラジル宣教師と話をしていて涙を流したのです。「後日、私が訪ねてきて、開発します。(天の)お父様、お忘れにならないでください」と祈りました。

日本は、どこに行かなければならないのでしょうか。韓国の代わりの国として定めたパラグアイに送ろうと思ったのですが、日本の食口たちが南米に行ける状況にはなっていませんでした。反対したりしていました。仕方なく国家メシヤたちをパラグアイのプエルト・レダに送ったのです。

八万へクタールになるそこに配置したのですがその土地を奇跡的に購入し、開発することになりました。疲弊した都市形態を、新しい都市、自然と和合した文化都市の形態にしようというのです。レダからビクトリア農場までは六時間かかります。それを連結するのです。「インディオの十九の部族が暮らすその村に広場を造り、病院、学校、その次に、運動できる体育館などに代わる総合センターを造りなさい」と言ったのです。「土地も買いなさい」と言いました。そのような準備をさせるために、二時間かかる距離ごとに基地を設定したのです。その基地の代わりに、パラグアイ川とアマゾン川に、五十キロメートルごとに百八十二ヵ所の歩哨所(見張りの兵士が立つ所)のようなところを造るのです。

日本人が歩哨所のようなところを造って観光案内をするのです。そうして、人々が訪ねてくれば、主人の立場で、新しい家庭出発の教育ができる基地を造るために、杭を打ち込みました。そのような歴史を経てきたので、皆さんは、それが他人事ではなく、自分のことであると思わなければなりません。父母様が、行くべき峠を越えるための平地化作業をしたことを考え、いつでも涙を流しながら、その地域を巡回しなければなりません。

16  天宙のすべての復帰の中心的使命がエバ国家にあります。このパンタナールの地で、誰が汗を流し、苦労しなければならないのでしょうか。日本は海水に囲まれています。塩水に囲まれているのです。水というのは、もともと海水でした。それが蒸発して循環運動をし、淡水によって山川草木が育まれているのです。

それと同じように、ここで精誠を尽くし、雲をつくって世界に新しい水を分け与えることが皆さんの仕事です。苦労するのは、自分たちが豊かに暮らすためではありません。未来の幸福の基地を造るためです。犠牲にならなければ、未来の幸福の基地は永遠に造れません。皆さんはお父様以上に苦労して、パンタナールにおいて世界の母のような立場で、世界にお乳を分け与えなさいというのです。

17  皆さんをパンタナールに四十日間派遣しました。四十日を条件として、四十年、四百年でも行うのです。クリスチャンは四百年、カタコンべで迫害を受けながら、勝利の天国を着陸させました。日本人も、このように世界の福地を建設するために、四百年でもしなければならないというのです。四十年だけではありません。世界を生かすためには、喜んでしなければなりません。

この地をそのような基準に上げておけば、未来において観光王国になります。世界の万民がここを通過しなければなりません。ここは、神様が創造したすべてのものが、そのまま残っています。美しい地球星をつくらなければなりません。そのようなことをするために、日本人に責任を与えたのですが、不平を言ってはいけません。日本が母の国として、その使命を果たさなければならないのです。

18  日本の国家メシヤたちに、「早くパラグアイのプエルト・レダで農場を開拓しなさい」と言いました。エバ国家が一つの農場でもモデルを造って、世界の人々を教育できる場所を準備しなければならない責任があるというのです。

19  ペルーのような国では、鰯(いわし)が無尽蔵に獲れます。それで、鰯を獲る人々に、「私たちがパウダーにしてあげよう」と言いました。すべての条件が、私たちに有利になってきています。天がすべてそのようにするのです。このようなことを抱えて仕事を処理する人がいません。

海洋還元をするためには、私たちが海洋事業に関心をもたなければなりません。それを準備するために、日本人たちを通して、レダを中心としたパンタナールに定着し、その活動を行うのです。アマゾン地域で最も重要なことが自然保護です。公害を防止しながら、食糧問題を解決できる事業を行うのです。

20  ブラジルは黒人とスパニッシュの混血が多く、パラグアイはアジア人とスパニッシュの混血が多い国です。それで、私は一九九五年五月十六日、中南米十七ヵ国の巡回講演をパラグアイから始めたのです。

グアラニー族、インディオたちを包摂しなければなりません。この周辺にいる人々に船を出してあげて、燃料代がかかっても、聖日のような日に、一ヵ月に一度ずつは教会に集まれるようにしなければなりません。それで、レダ農場に大きな家を建てているのです。そこで集まりをもとうと思います。ですから、韓国食口たちをみな呼んで一つにしなければなりません。日本食口たちは別に行うのです。別途に韓国人が開拓し、その次に日本人が開拓し、その次にアメリカ人が開拓するのです。その次には、六大州の責任者たちが開拓して、自分の地域に関連させて配置すれば、世界化ができるのです。

21  パンタナールに冷凍会社を造って、現地人たちが獲った魚を世界に売ることを計画しています。それをするためには、冷凍コンテナが必要ですが、その冷凍コンテナを貸してくれる会社があるので、初めはそれを借りて使っても大丈夫でしょう。私たちは百八十の基地を造ろうとしているのですが、レダ農場で日本人たちがそれを準備しています。冷凍コンテナを借り、そこに獲った魚を冷凍保管しておいて、売ることができます。新鮮度をどのように維持するかが問題です。そのようにすることができれば、世界のどこであっても販売市場を開拓するのは問題ありません。

Atsuki Imamura