自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第61話
二〇一六年の末にアメリカで世界平和国会議員連合の創設大会を開くための準備に際して、上院議員会館の担当者が私たちに、由緒あるケネディ•コーカス•ルームで大会を開けるよう、配慮してくれました。
「大会を開催できる部屋はいくらでもありますが、重要な大会ですから、私どもがケネディ.コーカス.ルームを準備しておきます」
ケネディ•コーカス•ルームは、ション.F.ケネディが一九六〇年の大統領選挙への出馬宣言をした場所です。それを記念して名付けられたこの部屋では、これまでアメリカや世界の歴史にとって重大な意味を持つ大会だけが行われてきました。担当者たちは、人類歴史に新しい里程標を打ち立てる重要な世界平和国会議員連合の創設大会を、意義深い場所で開催できるょうにしてくれたのです。
二〇一六年十一月三十日、冬の雨がしとしとと降る中、五十六ヵ国から来た国会議員と主要参加者約五百人が会場をいっぱいに埋め尽くしました。そのうちの大部分は、各大陸で先駆けて開かれた行事に既に参加しており、隣国の人同士、抱き合いながら再会を喜んでいました。大国から来た人たちもそうですが、特に小国から来た人々は、世界的な行事に参加できたことに、言い表せないほどの喜びや希望を袍いていたょうです。アフリカのベナンの国会副議長が語った言葉が、人々の深い共感を呼びました。
「私は青年時代に文鮮明総裁、韓鶴子総裁の平和原理を学びました。今でもその教えを実践しています」
私たちが平和への新しい道を示したことに対して、多くの人々が感謝の気持ちを述べてくれました。創設大会には、長きにわたり私たち夫婦と親交を結んできたアメリカ議会上院の重鎮、オリン.ハッチ議員も駆けつけてくれました。彼は、私のスピ—チ後に演壇に上がると、私たちが数十年間、変わることなく平和運動を展開してきていることに対して、深い感謝の意を表してくれました。一九七七年からずっとアメリカの上院を守ってきたハッチ議員は、私の平和運動を積極的に支援してくれました。上院で民主党を代表する一人であるエド•マーキー議員も、私たちが環境保護に貢献したことについて感謝を述べ、これからもずっと支持することを約束してくれました。
ワシントンDCでの大会をゴールに、世界平和国会議員連合創設のための長い長い路程は一段落しました。一年かけて、地球を一回りしながら六大陸で開いた大会には、合わせて百九十ヵ国の現役国会議員約二千五百人と共に、二万人以上の人々が参加し、まさに大成功となりました。
大会と共に、自転車に乗って国土を通過するピースロードも開かれ、市民の熱い歓迎を受けました。ピースロードは、「韓半島の平和統一」を祈願しながら、自転車に乗って大陸を通過するプロジェクトです。同時に、国際ハィウェィを通して全世界を一つの交通網でつなぎ、世界で起こっている紛争と葛藤を解消して、人類を一つの家族にしょうという願いもこのィベン卜に込められています。
リトルエンジェルスは各大陸の行事において、韓国の美しい伝統舞踊と歌を紹介するとともに、大会開催国の国歌や民謡を歌って、参加者たちの心を強く揺さぶりました。
有史以来、これほど多くの国の国会議員が集まったのは初めてのことです。彼らは国家という垣根を越え、人種の違いを意に介さず、宗教の違いをも超えたのです。一時は怨讐のような間柄だった隣国の国会議員との間でも、三、四日間向かい合って座って過ごす中で、「これから我々は、平和のために何をすべきか?」と、真剣な議論が始まったのです。
義人を探し、神世界の希望の岬に立つ
「なぜ人々は、アフリカを『暗黒大陸』と呼ぶのでしょうか?」
私は昔から、アフリカに多くの関心と愛情を抱いていました。アフリカは抑圧と紛争、不幸の歴史が絡み合う「暗黒大陸」でした。しかし、困難に満ちた生活がいつまでもアフリカで続いてはいけません。アフリカの最南端に行くと喜望峰がありますが、私は国際ハィウェィの出発地を喜望峰に定めました。人類を救うべき平和の母、独り娘として、私はアフリカに希望を与え、その涙をぬぐってあげなければならないのです。
二〇一二年、文総裁が聖和した時、私は「これからは地上の重荷を降ろし、天に安らかに入城して、天の父母様を慰労してください」という言葉を贈りました。聖婚した日、「私の代でみ旨を成してさしあげます」と天の前に約束したことを、私は一時も忘れたことがありません。
神様に対する孝情の精神で、東から西、南から北へと飛び回りながら、私は休むことなくみ言を伝えました。口の中がただれ、足がむくみ、時には立っていることすらできないこともありましたが、「必ず私が成し遂げる」という約束を守るため、地球の至る所を訪ねて回りました。
神様の願いと理想を成し遂げるため、一度としてまともに休むこともできないまま、ひたすら歩いた涙の路程でした。
神様に侍るための神氏族、神国家、神世界創建のための路程は、決して生易しいものではありませんでした。「二〇二〇年までに必ず七ヵ国を復帰する」という決意の中、「私だけが残りました」という立場で、天に向かって何千回も祈りました。
そうして、ついに天から答えが届いたのです。二〇一七年七月十七日のことでした。家庭連合世界本部の尹焕鎬事務総長が、文総裁から啓示を受け、黄金でできた三つの鍵を受け取ったのです。当時、尹事務総長は才1ストリアにおける「神ヨーロッバ希望前進大会」を皮切りに、二〇一八年にはブラジルにおける「中南米ヮールドサミット二〇一八」など、大小様々な行事を準備していました。
私はその報告を受け、これまでに縁のあつた義人三人をアメリカの行事に招請しました。それはセネガルのマンス—ル•ディウフ師、南アフリカのサミュエル.ハデべ預言者、ジンパブエのヨハネス•ウンダンガ牧師の三人です。