自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第60話
私は南米に行って、何度も涙を流しました。広大な地で苦労しながら生きる人々の苦しみに涙し、学習意欲にあふれながらも文字すら学ぶことのできない子供たちを見ながら、心が張り裂けそうになりました。一日一日を生きるので精いつぱいの人々に、神様のみ言を伝えるのは本当に難しいと訴える宣教師たちの言葉に耳を傾けながら、私たちは彼らの肩を静かに抱き、ただただ、一緒に祈りを捧げました。
「後日またここを訪れ、幸せの地にいたします。神様、ここをお忘れにならないでください」
基本的な社会的施設が不足しているチャコには、子供たちを教育する学校が必要であり、病院も必要でした。また、彼らは何よりも、飢えから脱するための生活基盤を必要としていました。そのため、私たちは世界中の信徒から寄付金を集め、チャコに注ぎ込んだのです。一朝一夕ですべてを変えることはできませんが、子供たちに希望を与え青年たちに「我々も豊力に暮らせる」という展望を持たせることができただけでも、信徒たちには慰めとなりました。
崩れゆく生態系を守るためにも、私たちは汗を流しました。開発という美名のもと、アマゾンの密林を無差別に伐採してしまうと、地球全体に取り返しのつかないほど悪影響を及ぼします。魚の乱獲、無意味な動物の殺生は、どこであっても決してそのまま見過ごすことができない深刻な問題でした。
全世界で八億人が飢餓にあえいでいた時代には、南米もその例外ではありませんでした。南米のいくつかの国では、牛肉やとうもろこし、大豆が豊富にあるにもかかわらず、栄養失調で苦しむ子供たちがたくさんいました。私たちは彼らを救うために農場を造り、牛や豚などを育てました。また自然保護のため、資源をどのように活用するか真剣に悩み、研究しました。
才オカバマダラは、羽を広げても十センチほどにしかならないチョウですが、カナダからメキシコまで、五千キロの距離を飛んでいき、冬を越します。それを誰かが教えたわけではありません。これこそが真実であり、自然の法則なのです。
自然と私たち人間は、不可分の関係にあります〇自然についてしっかり学んでこそ、自然に表れている神様の創造の神秘を悟ることができます。神様が私たちのために万物をお造りになった時の限りない喜びと愛を感じ取ることができるのです。そうすれば、私たちも愛と感謝の気持ちを持って一日一日を生きることができます。その真理を学べる地が南米です。その天恵の大地において、「神様のもと、人類は一家族」という立場で家族愛を実践することで、私たちは本郷を訪ねていくことができるのです。
全世界の国会議員を一つに結ぶ大遠征
ネパールは、海がない代わりに、世界で最も高い山を持つ自然の豊かな国です。数多くの登山家や観光客が訪れますが、生活環境はあまり良くありません。カトマンズ空港に降りると、待合室の床で二匹の犬が穏やかに昼寝をしています。誰もその犬を追い出そうとはしません。
二車線の道路を自動車やバィクが走っていると、突然一斉に停車することがあります。前方で一頭の牛がのそりのそりと歩いているからです。その牛が道を空けると、ょうやく車を再び走らせることができるのです。
中国とインドの間に挟まれたネパールは、鎖国していたこともあり、経済的には遅れを取らざるを得ませんでした。しかし、家庭連合に出会ってから、大きな変化が起こったのです。特に二〇一六年の夏は、この先、長く忘れることのできない年となりました。アジアの各国から、政治•経済.宗教.教育界の指導者数百人が一斉に訪ねてきたからです。歴史上初めて、世界平和国会議員連合を創設するためでした。
世界平和は一人、二人の努力だけでは成し遂げられません。一般市民から政府の高官に至るまで、様々な階層を越えて、多くの人が積極的に立ち上がらなければならないのです。世界のあらゆる国には、大なり小なり国会があります。そこに集う議員はみな、国民の貴重な一票によって選ばれた人物であり、民意の代弁者です。世界各国を巡回している時、巡回先でその国の国会議員が訪ねてくるたびに、私は彼らに、国家と国民によって与えられた大切な使命を忘れないようにと何度も伝えました。そして、ただそのように伝えるだけでなく、平和を定着させるため、実質的な活動をすることにしたのです。
「各国の民意によって選ばれた国会議員を集め、世界平和国会議員連合を創設しなければなりません。議員たちが額を合わせて、『平和のために何をすべきか』と知恵を絞り、心を合わせれば、平和はより早く、白然な形で訪れます」
私のこの言葉を出発点として、世界中の国会議員を一つに結ぶ長い長い大遠征が始まりました。国家、人種、文化を超えて、人類の生活を脅かす頭痛の種を解決しようとしたのです。
それは決して簡単なことではありませんでした。どの国の国会も与党と野党に分かれ、葛藤と対立を起こしています。そのため人々は、「政党の違う議員が快く一堂に集まるだろうか?」と心配していました。しかし、私には少しの不安もありませんでした。私の提案を受け入れない国会議員はいない、ということがよく分かっていたからです。
世界平和国会議員連合は二〇一六年二月、韓国の国会議員会館で開かれた国際指導者会議で創設決議案が採択されたのを最初の一歩として、大陸ごとに巡回しながら、大会を開いていきました。大会のテーマは、「私たちの時代の主な挑戦課題の解決——政府、市民社会、宗教団体の役割」に決めました。
日差しの強い真夏のネパールに人々が続々と集まり、ついにアジア.オセアニア圏の大会が始まりました。二十ヵ国から来た百六十六人の国会議員を含め、合わせて五百人以上の人々が、遠路をものともせず、参加したのです。ネパール国民はもちろん、大統領までが直接足を運んで、深く感謝の意を表してくれました。当初の大方の心配とは打って変わって、最初の大会から大盛況となったのです。皆が、「韓総裁には.«;眼がある」と驚いていました。その後の大会も毎回、会場は満員となりました。
ネパール大会に続いて、ブルキナファソの国会議事堂で行われた西.中央アフリカ圏の創設式には、二十四ヵ国から六百人以上が集まり、共に熱い議論を交わしました。秋にィギリスのロンドンで開かれたヨ—ロッバ•ユーラシア•中東圏大会には、四十ヵ国以上から約三百人が参加しました。私は®設者として、彼らに次のようなメッセIジを伝えることを忘れませんでした。
「永久なる平和世界を建設するためには、各国の政治に責任を持つ指導者が正しい人格を備え、良心の声と道徳の価値に従わなければなりません。世界中の国会議員が一つになって平和のために協力し合えば、世の中は変わるでしょう」
十月にはコスタリカで中米・カリブ海圏大会、パラグアィで南米圏大会が行われ、十一月の初めには東アフリカのザンビアで東アフリカ圏大会が行われました。ザンビアは暑い日が続いていましたが、その暑さをものともせずに集った参加者たちは私の平和思想に共感し、苦しみの歴史を清算して、希望の平和時代を築いていくことを決意しました。
こうして残る国は、日本とアメリカだけになりました。果たして日本の現職国会議員は何人参加するだろうか、と人々はハラハラしていました。しかし、そのような心配をよそに、閣僚を含む六十三人の国会議員と共に、有識者二百人以上が集まり、大会は大盛況となったのです。政治理念と文化の違いを超えて平和世界をつくっていこうという趣旨に、ためらうことなく集まった彼らに対して、平和を渴望する私の志とその実現への道を提示すると、みな心を一つにして、歓迎してくれました。
最後に残ったのは、これまでの成果を集約し、世界的な舞台において、歴史になかった世界平和国会議員連合を誕生させる大会でした。その最後の勝利大会の場所は、アメリカのワシントンDCに決定しました。