自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第59話

中南米に注いだ精誠の中で最も意義深かったのは、「南北米統一連合(CAUSA)」を設立したことです。一九八〇〜九〇年代、中南米で社会主義が勢力を伸ばし、大陸全体が共産化される危機にさらされていました。

もしメキシコが共産国家となれば、国境を接しているアメリカはそのメキシコに対吭するため、世界各地に派遣している米軍をすべて自国に呼び戻すでしょう。そうすれば、韓国や日本は言うまでもなく、アフリカやョ—ロッパにまで、共産主義の魔の手が伸びることになります。全世界が共産化されるのも、時間の問題となります。

文総裁と私は、この事態を何としても止めなければなりませんでした。そこで、中南米に左翼政権が次々と発足し、露骨に共産化政策を進めていく状況の中で、CAUSAをつくり、指導者と青年たちに「統一思想」を教えたのです。そうして、数多くの青年が共産主義に染まるのを防ぎ.ました。またパラグアイ、ウルグアイ、ブラシル、アルゼンチンの四ヵ国を経済的に結びつけ、中南米が一家族になるように導きました。

これにとどまらず、十七ヵ国を巡回しながら、「真の家庭と私」というタイトルで講演も行いました。その際、八ヵ国で大統領に会いましたが、彼らはみな一様に、私たち夫婦が共産主義の浸食を阻止したことに深い感謝の言葉を述べてくれたのです。

自然はそのままのときが一番美しい

一艘のボートが、けたたましいエンジン音を鳴らしながら、青々とした川の流れをかき分けて進んでいます。エンジンこそ付いていますが、ひどく古びたボートです。一人が急に立ち上がると、ボートがぐらつき、そこら中から悲鳴が上がります。ひよっとして沈みはしないだろうか、と瞬間的に恐怖に襲われるのです〇揺れが収まり、もう大丈夫だろう、と安堵したのも束の間、また誰かが突然、声を上げます。

「うわつ、これは何だろう」

大きな魚が一匹、水の上を飛び跳ね、甲板にドスンと落ちたのです。鋭い歯を何十本も黽かせるその魚は、熱い日差しの下で跳ねています。そばにいた二、三人が怯えて後ずさると、同乗してした先住民^'長レ棒でその角を拾い上けの中に戻してやります。

「驚きま—^た。何という角ですか?」

「ドラドといいます」

ブラジルのジャルジンの川には、奇怪な魚が数え切れないほどたくさんいます。南米は、いつも春か夏の気候であり、常に花が咲き、食べ物も豊富です。そこは、人間が暮らす上で最も良い地であると同時に、あらゆる動物と植物が共生している所なのです。

緑豊かなその地は、動物や植物と共に生きていく地上の楽園です。その楽園の中でも最初にモデルとなり得る地が、ジャルジンです。

原生林と湿地から成るこの巨大な奥地は、生命の楽園と呼ばれる地域で、多くの生き物が生息し、最も自然が躍動している土地です。鳥や昆虫、魚がどれほど生息しているか、自然がどれほど生き生きとしているか分かりません。ジャルジンをはじめ、その周辺地域には湖のように澄んだ川が流れ、二十以上の滝があります。


私たちがジャルジンを訪れたのは、一九九四年の十二月でしたが、ブラジルは真夏の気候でした。ジャルジンの地に着くと、そこはどこまで行ってもアリの巣ばかり見える平原でした。その月は禁漁期間でしたが、私たちは警察の保護を受けながら、川で釣りの修練を行いました。日差しが強くなってくると、警官は川に入って仰向けにプカプカと浮かびながら、私たちが魚を釣る様子を不思議そうに見守っていました。

昔から、ジャルジンには「主が来る所」という預言が伝えられていました。パラグアィ川やアマゾン川は、奇怪な木々や蔓、巨大な樹木が絡み合っており、体をかがめてようやく抜け出せるような、危険な場所ですが、私たちは小さな船を頼りに、夜明けに出発し、猛暑と蚊の大群と闘っては、夜中に帰ってくるという極めて過酷なスケジユールをこなしました。一番大変だったのは、体を洗うことでした。狭い船の中で適当に衝立を立て、川の水で体を洗ったのです。

私は、そのような原始の自然がとても気に入りました。私たちはそこにジャルジン教育本部を建て、「ニユーホープ農場」を造って、神の国を建設する実践の場としました。そこで最初に指導者修練会を開いた時は、修練所として、トィレや食堂すらない古びた簡易倉庫を使いました。この上なく不便な所でしたが、指導者たちをいつもそこに集め、生き生きとした体験ができる教育を行ったのです。汚染されていない、本然の自然の中で釣りと訓読をしながら、何の分け隔てもなく生活を分かち合う心情修練でした。

生態系がしっかりと保全されているジャルジンに農場を造った理由は、神様が太初に創造されたエデンの園を再現できるからです。そうして、そこに世界中の人々が集まり、自然と共に愛を感得しながら暮らすことのできる共同体をつくったのです。

もう一つの地上の楽園であるパンタナールは、神様が創造されたすベての生き物が、パラグアイを中心に、本然の姿のままで命をつないできた所です。魚をはじめ、動物、植物がすべて太初の姿のままなので、エデンの園とはまさにここのことではないだろうか、と深く感銘を受けるほどです。

そこではスルピ、ハクー、カヒハラ、レア、ワニ、ペッカリー(へソイノシシ)が気ままに、たくましく生きています。ピラニアは群れをなして泳ぎ、人にも危害を加えます。パンタナ—ルは世界で最も大きな湿地であり、その一部がユネスコの自然遺産としてそのまま保全されているため、理想村を築くために選ぶことのできる唯一の土地でした。四方が危険に囲まれている環境ですが、これからの人類の食糧問題を解決するため、必要な場所でした。

中でも最も大変だったのは、チヤコという地域です。そこはボリビア、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジルにまたがるグランチヤコの一部で、まさに奥地の中の奥地です。一九九九年、私たちは日本の元老信徒に、チヤコのプエルト.レダを開拓するよう頼みました。レダはチヤコの中でも最も生活するのが不便な所でしたが、信徒たちは袖をまくり上げ、汗を流して働きました。数年もせずにそこは人と自然が美しく共生する所に生まれ変わり、誰もが住みたいと思う理想村になりつつあります。

養殖場を造って住民の生活を改善させ、飢えに苦しむ貧しい人々の手助けをしました。牧場で牛や豚などを育て、百六十ヵ国に分け与えて育てさせる計画も立てました。また、パラグアィ川近くの何もない土地に、苦労に苦労を重ね、木を植えました。

Luke Higuchi