自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第55話

新しい生命と許し、母の両輪として

人はみな、海を恋しく思うものです。普段の生活の中でも、ふと海に向かって走っていきたい衝動に駆られることがあります。また、青い海に思い切り飛び込みたいという気持ちになることもあるでしょう。海は母なるもの、母性の象徴です。海は母の懐のように、深く広がっているからです。

また、北米にあるナイアガラの滝や、南米にあるイグアスの滝の前に立つと、感嘆せずにはいられません。その雄大な景色に圧倒され、時には言葉すら出なくなります。


それらの滝は、大小様々な水流を集め、壮大な景色をつくり出しています。数多くの水流が、大きな水流に向かっていくのは、極めて自然なことです。それぞれ出発地は違えども、河川はみな等しく、大海を目指すのです。大きな水流に向かうのは嫌だといってぐずぐずしたり、停止したりすれば、その水は腐るしかありません。

よどんだ水が腐らざるを得ないように、様々ある宗教が自分たちの教理を絶対視してそれに執着していれば、流れが滞って変質したり腐ったりして、広い海に到達することができません。

今や、神様の本性について正しく説明できる宗教団体が現れなければならないのです。神様が人間を創造された根本目的は、人類の父母になることでした。その父母の前では、私たちはみな子女です。しかし今日、人類が神様の前に進み出ることがなぜ閉ざされているのかを、祈りながら研究してみなければなりません。

イエス様が誕生するまで、天は四千年という長い年月の間、人類を救うために歩んでこられました。四百年ではありません。四千年という歳月をかけて摂理される中でイスラエル民族を立て、ようやく「私の息子である」と言える独り子を送られたのです。

しかし、イエス様を迎えた家庭とイスラエル民族が責任を果たせなかったことにより、イエス様は十字架に追いやられました。十字架を背負って歩かれるイエス様をあとにして、家族はもちろん、弟子たちさえも裏切って逃け出しました。支えてくれる人は、周りに誰もいませんでした。十字架上で、ただ右の強盗だけが、イエス様が正しい人であることを証ししたのです。


これまで、この惨儋たる歴史について、キリスト教はもちろん、地上の誰一人気づきませんでした。

イエス様は真の父母として、堕落した人類を重生、復活させ、神様の真なる子女として歩むことができるように導くべき仲保者でした。まさしく、私たちの父母となる方だつたのです。しかし結果は、全く違うものとなってしまいました。責任を果たせなかったイスラエル民族がどのような蕩減を払うことになったか、歴史は如実に示しています。イスラエル民族は二千年間、国のない民としてさまようことになりました。これが歴史の真実であり、天の摂理です。

イエス様は再臨し、「小羊の婚宴」をすると約束されました。再臨の時を迎えたら、キリス卜教文化圏は最後に来る独り娘を迎えなければなりません。この重大な内容に関して、天は一度責任を果たせなかったイスラエル民族を、再び用いることはされませんでした。独り娘を誕生させる国と民族を、新たに選ばれたのです。

天は、紀元前には東夷民族と呼ばれていた韓民族を選ばれました。農耕文化を築いた韓民族は、天を崇拝し、平和を愛する民族でした。この韓民族のキリスト教文化圏から、独り娘が生まれることになったのです。

一七八四年、韓半島にキリスト教が伝わり、一九四三年、独り娘である私が誕生しました。韓半島は一九四五年に解放を迎えましたが、すぐに南北に分かれ、北は共産化されてしまいました。当時、私は北にいましたが、共産主義による統治下では無事に成長することができないことを天はご存じだったので、私が南下するよう、導いてくださったのです。

そして一九五〇年、韓国動乱が起きました。当時、韓国は北朝鮮の侵略を防ぐ準備が全く整っていなかったのですが、天は私を保護するため、国連の十六ヵ国が参戦するという奇跡のような出来事を起こされました。その時、ソ連は国連の常任理事国になっていましたから、韓国動乱への介入にソ連が反対していれば、国連軍は参戦できなかったはずです。しかし、ソ連がその時会議に参加しなかったため、参戦が可能となったのです。

私は一九六〇年に真の父母の位置に進み出ました。その後、夫と私は生涯をかけて、全世界に多くの祝福家庭を生み出しました。今では多くの宗教団体のリ—ダ—が真の父母の願いを受け、世界各地で祝福行事を行っています。

二〇一八年の年初に、私はムスリムの国であるセネガルでアフリカサミットを開きました。そしてその場で、アフリカが天のみ旨に従うというなら、私と共に歩まなければならないと語りました。すると参加した各国の首脳や族長、宗教団体のリーダーたちが、私の提案に対して全面的な支持を表明したのです。

ヨーロッハでは、仏教のリーダーが自分の団体の人々を祝福に導いています。ムスリムも独り娘である私の志に歩調を合わせ、全面的に従うと決意しています。アメリカのキリスト教の人々も同様です。


人類歴史はもうこれ以上、先延ばしにできない終着点に到達しました。今こそ、新しい天一国時代を切り開いていく時です。新しい時代には、それに合う新しい服に着替えなければなりません。天一国の民として、神様の子女となり、孝子、孝女、忠臣の中心人物になることができる時です。私は歴史の真実を話さなければなりません。ためらうことは何もありません。

二〇一八年八月、ブラジルで開かれた中南米ヮールドサミットでは、キリスト教はこれ以上新しい生命を誕生させることのできない「無精卵」と同じであると話しました。その場には力トリックの枢機卿をはじめ、教団のリーダーなどの宗教指導者たちが大勢参加していましたが、私は今ある宗教はすべて、真の父母を受け入れて祝福を受けてこそ、新しい生命を宿すことができると、ためらうことなく話したのです。彼らはみな、私の言葉に同意しました。

私は地上にいる七十七億の人類をみな、神様の真なる子女として生み変えなければなりません。それは私が独り娘、真の母、宇宙の母だからです。

聖書には、「人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイによる福音書一二章三二節)とあります。生命を得るためには、独り娘である母を通過しなければなりません。聖書は、母を否定する者には未来はもちろん、安らかなる死後の世界もないことを訴えています。私はいつも新しい生命を準備する、真の母です。常に心の扉を開き、七たびの七十倍までも許す、真の母なのです。


真の父母だけが人生の羅針盤です

一九六〇年に聖婚式をした後、私は不思議な夢を見ました。私一人、子供たちをおぶったり、その手を引いたりしながら、包みを頭に載せ、一寸先も見えない断崖絶壁の道を歩いているのです。幸いなことに、千尋の谷に落ちることなく、光を求めて進んでいくうちに平坦で大きな道に出たところで、夢から覚めました。

私たちの歩んできた道は、高い山があればそれを崩し、深い谷があればそれを埋めて越えていくような、苦難の連続でした。これまで、私たちのように切迫した心情で神様を解放しようとする人はいませんでした。私たちは聖婚以後、人類を救うために、世界中を回りました。どこにおいても、くつろぐことなどできませんでした。しかし、真の父母の道を歩みながら、私たち夫婦は常に一体となっていました。それは、神様の前に孝情の道理を果たし、平和世界を実現するための道でした。

その路程で過去数十年の間、受けてきた誤解と迫害は、本当に耐え難いものでした。韓国の歴代政権をはじめ、一部の宗教者などによる中傷や謀略も、あまりに悪意に満ちたものでした。

しかし、私たち夫婦はひたすら耐えながら、神様のみ言を伝え、真の愛を注ぎました。そのようにして、あらゆる試練を克服した今では、私を真の母として信じ、従ってくる人が百九十以上の国におり、日々増え続けています。

イエス様は、「私は神の息子であり、神は私の父である」、「私は独り子である」と言いました。独り子とは、天の父母である神様の初愛の実であり、初愛を受けることのできる王子を意味します。だとすれば、独り娘もいなければなりません。独り子は新郎であり、独り娘は新婦です。独り子と独り娘が出会い、結婚しなければなりません。それが聖書に出てくる「小羊の婚宴」です。この婚宴を経て、家庭を築くのです。天の父母様の願いとは、独り子と独り娘が真の家庭を築くことなのです。

人間の願いは、その真の家庭において、真の父母に出会うことです。人間は、真の父母の愛によって完成するのです。真の人間としてこの世を生き、永遠の生を生きるためには、真の父母に出会わなければなりません。たとえ死の道を行くとしても出会うべきなのが、真の父母です。歴史をすべて失い、後孫をみな失うことになるとしても、真の父母に出会えば、歴史を取り戻-未来も取り戻すことができます。

聖書には、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ョハネによる福音書一四章六節)とありますが、ここには「愛」が抜けています。愛がなければ、私たちは何もできません。

「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでもわたしによらないでは、天の父母のみもとに行くことはできない」


このように、愛を加えてこの言葉を新たに心に刻むとともに、このような愛を持たなければならないのです。

地上の七十七億の人類が一人残らず、この地に顕現した真の父母に出会わなければなりません。真の父母によって祝福結婚を受けてこそ、真の生命と真の愛の道に進み出ることができるのです。

真の父母こそが道であり、永遠の真理であり、命であり、愛です。ですから、真の父母がそばにいるということは、とてつもなく喜ばしい事実なのです。人間が神様からいただける最高のプレゼントとは、み言によって生まれ変わって真の父母の子女となり、そうしてさらに、氏族の真の父母になっていくことです。

六千年の間、父母を失っていた人類にとって、父母を見つけ出すこと、それ以上に幸せなことはありません。宗教を持つというのは、このように父母を捜すことです。そして、人間の究極の願いは、父母である神様のすべての祝福を受けることなのです。

私は真の母、独り娘として、そして宇宙の母として、すべての摂理を完成し、新しい時代を開きました。これからすべての人々がその事実を胸に刻み、真の父母の願いと一つにならなければなりません。そうしてこそ、真の父母の印を受け、平和の母、独り娘が導く生命の道を共に歩むことができるのです。


Luke Higuchi