自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第47話

第八章

家庭は最も貴い宝石です


自らの命までも捧げる家族愛

「愛している」

これは最も甘い言葉であり、あらゆる命が宿る時になくてはならない言葉でもあります。しかし一方で、原理を外れると、これは無責任な言葉にもなるのです。愛は人間にだけあるのではありません。神様は動物にも、愛と繁殖の権利をお与えになりました。ですから動物もつがいとなり、子供を産んで育てるのです。しかし動物には、オスとメスの間における責任はありません。一方、人間においては、愛の自由と共に、必ず責任が伴うのです。

夫婦が愛の神聖さを信じ、責任を果たすとき、幸せが宿る家庭が築かれます。人はみな、真の愛によって真なる夫婦となり、子女を生んで真なる父母にならなければなりません。「家和万事成」という言葉は、昔も今も、変わることのない価値を教えてくれます。幸せな家庭を築く上で最も重要な要素が、真の愛です。それは、愛せないものまでも愛し、時に、自らの命までも喜んでなげうつことができる愛なのです。

二〇一九年の初め、中米のベリーズで、非常に心痛い事件が起こりました。一九八八年に祝福を受け、み言を伝えるため、九六年に夫人がベリーズに赴いた後、家族で現地に移住していた家庭があつたのですが、ある晚、彼らの家に強盗が銃を持って押し入ったのです。当時十九歳だった息子が、先に襲われた父親をかばって代わりに銃弾を浴びて亡くなり、父親も重傷を負いました。

私はその報告を受け、しばらくの間、目を閉じたまま、何も言葉にできませんでした。皆が常に平坦な道を歩むということはできませんが、このような事件は、本当に胸が痛みます。私は誰よりも、家族と別れる苦しみ、それも今生の別れとして家族を送り出す苦しみを知っています。私もまた子女を四人も先に送り出しま-^た。

ベリースの寧件で子供^'親を力ばったように、親もまた、子供が危険にさらされたときは水火も辞せず、助けようとするものです。家族愛は、神様が本来願われていた愛であり、中でも親子間の愛は神様の愛をそのまま表す、最も献身的な愛です。

このように外から突然降りかかる不幸もありますが、一方で、家庭内のことが原因となって起こる不幸もあります。私たちが生きるこの世界がいまだ平和でない主な原因の一つが、夫と妻の不和です。地球には七十七億の人が住んでいますが、突き詰めれば、それは二人に集約されます。男性と女性、すなわち夫と妻の二人です。

無数の人間が共に暮らし、様々な関係を結ぶ中で、毎日複雑な問題が起きているように見えますが、実のところ、あらゆる問題が、男性と女性の二人の間で起きたことが発端になっているのです。その二人がお互いを信じ、愛し、責任を果たせば、誰もが夢見る、幸せな世の中になるのです。

幸福は、自分が暮らす家庭で平和を実現することにより得られます。真なる父母と真なる夫婦、そして真なる子女が平和な家庭を築くなら、幸福は自然に訪れます。仲睦まじい家庭を築くには、父母と子女、孫が心を一つにしなければなりません。

その家にいくら難しい出来事が起こつたとしても、父母が子女を愛する心、祖父母が孫を愛する心は変わってはいけません。孫は祖父母を尊敬し、愛さなければなりません。このようにして、三代が一つ屋根の下で共に暮らす家庭が、一番幸せなのです。

父母が子女のためにしたのと同じように、子女が親にすることができれば、その子供は本物の孝子です。忠臣になる前にまず孝子となり、兄弟姉妹も愛さなければなりません。

また、男性も女性も、結婚するまでは真なる孝子、孝女にはなれません。結婚して夫婦となり、親に自分の子供を見せてあげてこそ、真の孝子、孝女と言えるのです。

家庭は、世の中で一番大切で、幸福な場所です。父母がいるからうれしく、兄弟姉妹がいるから温もりを感じるところです。

人は誰しも、故郷を慕いながら生きています。異郷の地に住んでいたとしても、心の底から慕わしくなるのが故郷であり、本郷の地です。中でも、その切ない郷愁を最も強く感じるのが、家庭なのです。


Luke Higuchi