自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第46話
世の中を新たにする天地開闢鮮文学堂
I九八九年十一月三日は、私にとって忘れることのできない一日です。その日、韓国.忠清南道天安市の成和大学で開かれる昇格および本館竣工記念式に参加するため、私は信徒たちと共に現地に来ていました。するとそこに、ソウルから電話がかかってきたのです。
「洪順愛お母さまが危篤状態です。もうあまり時間が残されていません」
私は記念式が終わった後、急いでソウルに戻りました。意識が次第に薄れていく母を囲んで、信徒たちが聖歌を歌っていました。私が抱きかかえると、母は少しの間、目を開いて私をじっと見つめ、■また目を閉じました。それが私と母の、この世での別れでした。
母が聖和した時、同じ氏族として訪ねてきたのが、私がのちに鮮鶴平和賞の委員長を委嘱した洪一植博士です。彼は生涯を大学教育に捧げてきた人で、孝の思想に造詣が深い大家です。
洪博士から見て、母はおばのような立場に当たるため、彼は母の聖和式に来て、礼を尽くしたのです。
洪博士は一九七〇年代に『中韓辞典』を作ろうとしていたのですが、当時は韓国社会が中国語の必要性を認識できておらず、政府や大学でプロジェクトを支援しようとする人はいませんでした。そのことを知り、文総裁と私は彼の仕事を快く手伝ったのです。それがきっかけで、彼は統一運動に積極的に協力してくれるようになりました。
母は成和大学が正式に大学として昇格し、本館が竣工することをとても喜んでいました。その記念式が行われる日まで、意識が途絶えないようにしていたのです。
その後、成和大学は鮮文大学として新たに生まれ変わり、今や世界の名門私立大学として成長しています。その始まりは、一九七二年まで遡ります。その年、京畿道九里市にあった中央修練院に統一神学校を開校し、将来大学へと発展できるよう、礎を築いたのです。
「成和大学」という名称を経て、約二十年後の一九九四年、「鮮文大学」という新しい名を持つようになったこの学校は、今や韓国を代表するグローバル大学となりました。私たちは「天地開關鮮文学堂」という揮毫を掲げて、鮮文大学の設立精神としました。この言葉には、天地間のすべての原理と道理を人々に教育することによって、新たに変化を起こす、という根本哲学が含まれています。
しかし、大学教育を始めた当初は、様々な困難にぶつかりました。統一教会が運営する大学、という先入観を持たれていたためです。私たち夫婦は学問が発展することを願って、全面的な支援をしました。海外の有名な博士を招き、講演をしてもらうということも頻繁にありました。たった一時間の講演のために、数千万ウォン(数百万円)を払ったこともあります。学校の隣に飛行機が離着陸できる場所を造り、専門分野を担う海外の学者が直に大学を訪問できるようにするという計画まで立てたほどでした。
文総裁は教授陣を非常に尊重しましたが、与えられたミッションを彼らが疎かにすることは決して許さず、教授を評価するのは設立者や他の教授ではなく学生であることを強調しました。そのように精誠を込めて投入する中で、徐々に優秀な学生やその父母たちに支持される大学へと変貌を遂げていつたのです。また、外国人留学生が韓国内で最も多い大学となりました。最近では様々な評価で最優秀ランクに認められるとともに、政府が主管する教育事業に何度も選定され、実績を築いています。
鮮文大学は伝統を重んじつつ、時代を変革していく大学です。学生を教えるに当たって模範となるため、そして世界の知識人たちと学問の交流を図ることができるように研鑽を積むため、夜でも研究室の明かりが煌々と輝いています。その光は、明け方になっても消えることはありません。深く根を張るほど木がよく育つように、深く学問を研究し、深く教えるほど、大学が成長するのです。
鮮文大学は、企業と社会が求めるカスタマィズ型の教育カリキュラムを実施して社会で活躍できる人材を育成するとともに、学問を発展させるために海外交流を積極的に支援することで、世界の名門大学へと生まれ変わりつつあります。鮮文大学を設立した目的は、韓国だけのためではなく、世界のためなのです。
世の中の勉強をすることも大切です。良い大学に行き、良い職場に勤めることも大切です。しかし、それは地上での生活のためにすることにすぎません。私たちには、永遠なる天上世界があることを知らなければなりません。
二世圏の若者たちは、ダィヤモンドの原石です。磨けばどこに行ってもキラキラと輝く、最も価値ある宝石になるのです。私は鮮文大学を世界的に優秀な大学、世界最高の大学にし、卒業生が世界に出て、「鮮文大学出身です」と_信を持って言えるようにします。
鮮文大学は今後も、グロ—バル人材を育成していきます。中でも神学科は、誰もが行きたいと思うような士官学校として、世界的な指導者を育成する役割を担うことでしょう。
生捱をかけて私たちが設立してきた学校は、幼稚園から大学院に至るまで、世界各地に非常に多くあります。それは、より多くの人材が、神様の心情を抱き、平和世界を築くことに献身できるようにするためです。子女が神様のみ旨の中で純潔を守り、美しく成長できるよう、父母として、情熱を持って汗を流さなければなりません。息子、娘を自分の子女としてではなく、建学理念を通して神様の子女として誇らしく育てることが、私たちの真の願いなのです。
青年学生連合は私たちの未来であり、希望
「文総裁の使用されていたへリコフターをお売りになるらしいですよ」
「歴史的に貴重なものなので、博物館に展示して保管すべきではないでしょうか?」
文総裁の聖和後、私が最初に取り組んだのが、未来を担う人材を育成するために「圓母平愛奨学苑」を設立することでした。伝道をし、伝統を相続することも大切ですが、後代を育成できるようにしっかりとした基盤を準備することも重要だったからです。そのため、文総裁が使用していたへリコプターを売却して元手とし、様々な事業の収益金を合わせて、毎年百億ウォ
ン(約十億円)以上のお金を奨学金として使えるようにしたのです。
これを通して、韓国はもちろん、日本、東南アジア、アフリカなど、世界中の優秀な学生に奨学金を支給し、彼らが勉強に打ち込めるように支援しました。周りからは、文総裁が使用していたへリコプタ丨を処分することに対して残念に思うという声も多く寄せられていましたが、私は未来を担う人材を育てるため、決断しなければならなかったのです。
私はこれ■まで、地の果てまでみ言を伝え、多くの人々が祝福結婚式に参加できるように心血を注いできました。しかし、それに劣らず大きな比重を置いていたのが、未来を担う人材を育成することなのです。
子供たちがコマを回すとき、最初は大変ですが、一度回り始めれば、力を加え続けなくても回るようになっています。奨学財団も同じで、最初に設立する時は大変ですが、一度設立すれば回っていくようになり、後進を育てるに当たって大きな役割を果たすことができるのです。
教育には時間がかかります。特に青少年教育は、なおさらそうです。彼らが美しく、正しく成長できるように垣根をつくって風を防ぎ、二十四時間、見守らなければなりません。人が誕生するまでには、母親のおなかの中で十力月という期間を過ごす必要があります。そのように長い準備期間を経て誕生したとしても、その赤ん坊がすぐに歩き出すことはできません。成長期間がさらに必要なのです。
一九九四年、文総裁と私がアメリカのワシントンDCで創設した「世界平和青年連合(YFWP)」は、韓国では一九九五年に社会団体として登録されました。青年連合は左翼と右翼の理念の壁を超え、和解とために生きる生活を通して、真の愛を実践する共同体を目指しています。中国の北京で韓国と北朝鮮の大学生が参加する中、平和セミナーを開催するなど、南北の青年交流にも大きく寄与しました。また、世界各国に支部を置き、青少年純潔キャンぺ一ン、エイズ予防教育など、様々な活動を展開してきました。
二〇一七年二月には、「世界平和青年学生連合(YSP)」という新たな名称を掲げ、京畿道加平郡にある孝情国際文和財団の大講堂で総会および出征式を行いました。私は参加者に、「天一国建設のための精鋭部隊になってほしい」と呼びかけました。同年六月、タイのバンコクで一万二千人の青年が参加して行われた「YSPアジア•太平洋圏創設大会」では、「孝情の心情文化の主役となり、世を照らす灯火になろう」と訴えました。
二〇一九年九月、アフリカのサントメ•プリンシぺという国で、アフリカサミットと祝福行事が行われました。そして、祝福結婚式の翌日には青年や学生が四万人集まり、「青年学生平和祝祭」が開かれたのです。
美しい海を望む広場全体が若者たちで埋めつくされる中、「孝情文和苑」という組織の主管のもと、「YSP青年学生歌謡祭」や多彩な孝情文化公演、アーティストによる特別公演が行われました。これはサントメ.プリンシぺにおいて、若者による最も大きな祝祭、国のすべての青年や学生が参加した国家レベルの祝祭となったのです。首相夫人をはじめ、大臣がみな出席し、この青年学生祝祭を祝いました。
私は集まった青年たちに、希望と励ましのメッセージを惜しみなく伝えました。
「サントメ.フリンシぺの希望は皆さんです。ヒユアウォー夕ーである皆さんによってこの国に天の父母様の願われる地上天国ができるのです」
十八世紀、フランス革命が起きた当時、ルイ十六世は自国の民を信じることができず、スイス人の傭兵に頼りました。こうして、スイス人の傭兵が、フランスの王宮を守るために戦うことになったのです。彼らは最後まで一人も逃げ出さず、責任を果たしました。現在、バチカンを守っているのもスイス人の傭兵です。
今、真の父母を迎え、神様の夢を成し遂げるための天一国の役事が起こっています。天一国時代、真の父母に侍る青年学生連合は、まさにスイス人の傭兵のように、いかなる困難に遭っても決して退かない、不屈の精神を持たなければなりません。青年学生連合の一人ひとりが、真の父母を誇り、み旨をかなえる孝子、孝女、天一国の忠臣の位置に立っているのです。