自叙伝・人類の涙をぬぐう平和の母 第40話

訪朝七日目(十二月六日)になって、私たちはようやく金日成主席に会いました。咸鏡南道の麻田にある、白い石造りの主席公館に入ると、金主席が待っていました。どちらが先にということもなく、夫と金主席はうれしそうに抱き合いました。金主席は韓服を着た私に向かって、丁寧に挨格をしました。

私たちは食事をしながら、狩獵や釣りなどの話を気兼ねなく交わしました。金主席は翌年に計画していた三万組国際合同結婚式を、ハマナスの花が美しく咲く元山の明沙十里という所で行うように勧めました。また、元山港の開港も約束しました。それからは急に話すことが多くなり、会話が途切れることなく続きました。夫は四十年以上の時を経て北に入り、出会った怨警を、深く包み込むような愛で抱いたのです。金主席もその真摯な姿に感服し、会談の間、終始明るい表情で私たちの話に耳を傾けていました。

当時、北朝鮮を訪ねることは、まさに命懸けの冒険でした。文総裁は、共産主義者が最も嫌う宗教の偉大な指導者であるとともに、世界一の勝共指導者でした。そのような中、私たちはただ神様だけを頼りにして北朝鮮の地に入り、国の最高統治者に、天のみ旨を受け入れるべきであることを忠告一^たのです。

私たちの北朝鮮訪問の目的は、共同で投資をしたり、事業を興したりすることではありませんでした。ただ神様のみ旨に従って、真実にために生きる神様の心、真の愛を抱き、共産主義者たちの目を覚まさせて、真の統一の糸口をつかむために行ったのです。

北朝鮮に滞在している間、私たちは国賓待遇を受けましたが、一晚も安らかに眠ることはできませんでした。まだ統一の日を迎えておらず、離散家族がその日を待ち焦がれているのに、自分たちが平壌に来たからといって、心安らかに体を伸ばして眠ることはできません。ですから、切実な祈祷を捧げることによって天運をつなげ、統一のための条件を神様の前に立てながら、夜を明かしたのです。

韓半島の統一は、政治交渉や経済交流だけでは実現しません。神様の真の愛によってのみ、統一が成し遂げられるのです。多くの峠を越えて実現した金日成主席との会談により、南北統一に向けた新たな一べージが刻まれました。

私たちが八日間の旅程を終えて平壌を発つと、すぐに北朝鮮.政務院の延亨黙総理が代表団を率いてソウルを訪れ、r韓半島非核化共同宣言」に調印しました。

私たち夫婦は、共産主義の絶頂期に、命を懸けてモスクワに行き、平壌にも行きました。私たちを激しく迫害してきた怨警を、喜んで抱きかかえたのです。そうして彼らの心を動かして和解をもたらし、統一と平和の礎を築いてきたのです。それは何かを得るためではなく、真の愛を与えようとして向かっていった結果でした。夫と私は、神様のためなら許せないことを許し、人類のためなら愛せない怨警をも愛しました。

金日成主席に会った後、北朝鮮に平和自動車工場を建て、普通江ホテルと世界平和センターも建てました。それらはすべて、統一のための礎になるでしょう。韓国の大統領が北朝鮮を訪問し、統一の道を模索していくことになったのも、当時、私たち夫婦が蒔いた種が実った結果です。

密かに今、私たちの精誠を基に平和と統一の芽が育っています。その芽が伸びて大きな花を咲かせるとき、私たち夫婦が残した統一を願う祈りと行動は、永遠に記憶されることになるでしょう。


平和と統一のための第五国連事務局

私はひざまずくことを学ばなかった。私は屈服することを学ばなかった。

これは映画「安市城」で、戦いに臨む主人公の気持ちを表現した台詞です。戦闘を前にして、必ずや城を守るという覚悟が込められた言葉です。映画の舞台となっているのは、かって一世を風靡したものの、次第に国が傾き、下り坂に向かっていた時代の高句麗です。安市城の城主、楊萬春は、当時の権力者である淵蓋蘇文を支持してはいませんでした。しかし、彼は城主として最善を尽くし、何ょり、城内の民と一つになって戦って、強大な唐の侵攻から城を守り抜いたのです。民も自分たちが犠牲になることを恐れず、城を死守するという決意に満ちていたので戦いに勝和することができました。

これまで多くの外敵の侵入を受けながらも、私たちが美しい山河を守り続けられたのは、崇高な愛国精神と犠牲があったからです。真の父母が顕現した韓半島は、将来すベての文明が花を咲かせて結実する、希望の地であり、国です。しかし、過ぎしこの七十数年の間、父母と子女、兄弟たちが民主主義と共産主義という理念の壁に阻まれ、互いの生死さえ分からないまま生きざるを得ませんでした。この不幸な歴史が、今も続いています。


韓半島を南と北に分けた怨恨と痛哭の分断線は、表面的には地理的、血縁的な分断線ですが、実は神様が存在するかしないかをめぐって、有神論と無神論が熾烈に炖峙してきた思想と価値観の分断線なのです。

これまで文総裁と私は、分断の原因である冷戦を終わらせ、南北を一つにするために、人間の限界を超える精誠と努力を重ねてきました。

愛する祖国の統一を早めたいという一念で、「南北統一運動国民連合」と「国際勝共連合」を支援し続けました。大学、高校、中学を回りながら、勝共講演もたくさん行いましたが、新しい世代の子供たちは、韓国動乱がどのように起きたのか、分断された民族の統一がなぜ必要なのかをよく知らないという、心痛い状況にありました。ですから、私たちはさらに一生懸命、働いたのです。

特に、冷戦をこの地球から永遠に追放するための運動に、私たちは身を投じました。一九六八年から世界各地で勝共運動を始めて共産主義の正体を暴き、一九九〇年にゴルバチョフ大統領を説得して、ついには共産主義の帝国を崩壊させるに至りました。

一九九一年には金日成主席に会い、凍りついた南北関係の緊張を緩和させ、統一のための交流の糸口をつくりました。それにとどまらず、韓半島の統一に向けて国際社会が積極的に協力できるよう、百九十三ヵ国に平和団体をつくりました。「ワシントン•タイムズ」のような世界的な新聞社も設立し、北朝鮮の核問題の解決と韓半島の緊張緩和に大きく寄与しました。


このような基盤の上で、二〇一五年からは百二十一ヵ国が参加する「ピースロードプロジェクト」を推進し、全世界が韓半島の平和統一のために力を結集できるようにしたのです。言語や国、人種が違う数十万人の人々が韓半島の統一を願い、このプロジェクトに参加しました。臨津閣に集まり、韓国語で共に「私たちの願いは統一」の歌を歌う光景は、とても感動的でした。この運動は、世界平和国会議員連合の創設とともに、各国の指導者や国民から熱烈な歓迎を受けました。

私たち夫婦は、国連と深い縁があります。一九五〇年六月二十五日未明、北朝鮮の人民軍は「暴風」という攻撃命令のもと、韓国を侵略しました。ソ連の支援を受け、韓国を赤化するという野心を持って起こした行動です。直ちに国連軍が結成され、十六ヵ国の兵士たちが民主主義を守るため、韓半島に駆けつけました。その時代、韓国はその名前すら知られていない、小さく貧しい国でした。国連軍は「コリア」がどこにあるのか、どのような国なのかも知らないまま、自由と平和を守るために駆けつけ、命を懸けて戦ったのです。

私の夫は、死の強制労働収容所と呼ばれていた興南監獄に収監され、重労働を強いられていましたが、国連軍の参戦により、自由の身になりました。国連軍が、韓半島にいる平和の父.独り子と平和の母.独り娘を生かすために、力を合わせたのです。私たち夫婦は、神様のみ意によって生き延びることができました。


私は「愛国歌」の「神様の御加護がある我々の国万歳」という一節を折に触れて思い起こします。なぜ神様は、韓国、そして韓民族を、歴史的に困難な峠にぶつかるたびに保護してくださつたのでしょうか?それは、神様のみ旨を成し遂げるための摂理があるからです。その摂理を完成させるため、六千年を経て初めて、神様の最初の愛を受ける独り娘をこの国に誕生させたのです。

しかしながら、幼い子供が摂理を率いることはできません。その独り娘が人類の救いに対して責任を果たすには成長期間が必要ですから、神様は時が来るまで待ってくださいました。そして、使命を担う独り娘が成長し、自分の意志で決定できる年齢になるまで、保護してくださつたのです。

神様は、選民として立てた韓民族の中に人類のメシヤ、真の父母として来た独り子と独り娘を、守らなければならなかったということです。当時の国連軍の参戦は、天の決断によって実現したものなのです。ですから私たちは、韓国動乱を「天の歴史的な聖戦」と名付けています。

国連は第二次世界大戦の終結とともに設立され、それから既に七十年以上が経ちました。ニユーヨーク、ジユ、K・・・・・フ、ウィーンナィロビの四力所に国連事務局^'あります。

ただ、世界情勢を見ると、地理的にも経済•政治的にも、その中心がだんだんとアジアへ移動していることが分かります。アジア.太平洋時代が到来しようとしているのです。


それにもかかわらず、アジアにはいまだ国連事務局がありません。ですから、私たち夫婦は統一に関する問題について、世界の、特にアジアの人々の関心を高めるため、韓国に第五国連事務局を誘致すべきであると何度も強調してきました。

アジアのあらゆる国が、自国に国連事務局が設置されることを願っています。しかし、世界平和国会議員連合の大会を通して韓国の状況が次々と伝わるにつれ、韓国に国連事務局が存在することの意義について、広く共感を得られるようになりました。そうして、アジアの国はもちろん、世界の多くの国が、韓国に国連事務局をぜひとも開設すべきという認識を持つようになったのです。韓国は真の父母が誕生した偉大な国であり、神様はこの国を通して、み旨を成し遂げなければならないからです。

しかし実際に誘致するまでには、様々な困難が待ち受けています。私はこのことがよく分かるので、天宙平和連合や南北統一運動国民連合をはじめ、多くの団体を後援して、七十年近く前に国連軍が平和のために血と汗を流したこの地に、第五国連事務局を誘致しようと積極的に動いているのです。

私たち夫婦は二〇〇〇年、ニユーョーク国連本部で講演を行い、非武装地帯を平和公園にする構想を発表しました。また、その上で二〇一五年五月、私はオーストリアのウィーンにある第三国連事務局において、非武装地帯に第五国連事務局を誘致することを提案しました。当時の韓国の大統領も、非武装地帯を平和公園にすることを国連と北朝鮮に提案したことがありま


す。南北両国の支持を受けて第五国連事務局が非武装地帯に誘致されれば、韓半島の平和と統一、ひいては全世界の平和に大きく寄与することでしょう。

Luke Higuchi