イエス様の生涯と愛 第21話
マリヤの役割
赤ん坊を生もうとすれば、多くの人たちからじろじろ見られるだろうし、名門の娘が非嫡出子を身ごもり、おなかが膨らんでよたよたと歩くのを、その両親は見ることができたでしょうか。体面と威信を知らぬはずのないマリヤですが、そうかと言って死にたくても死ぬことができないのです。
自分一人が死ぬことは問題ではないのですが、天使ガブリエルが現れて、間違いなく神様の息子を懐妊すると言ったので死ぬこともできず、そうかと言って事情を打ち明けることもできない立場でした。孤独な心情を独り抱えて、女性としての最高の死地で身もだえせざるを得なかったのです。
ですからマリヤは、機会さえあれば神様に切に求めたのです。「神様!私はこの群衆の前で赤ん坊を生める事情ではありません。私が赤ん坊を生むとすれば、旅人の境遇でもよく、ジプシーの境遇でもよいので、国境を越えることがあってもこの地域を抜け出して、赤ん坊を生めるようにしてください。そのようなことが可能な道があるならば、その道を選ぶのが私の願いです」と祈ったでしょう。
日ごと募る思いで、このような祈祷をしたことでしょう。神様はこのようなマリヤの心情をあまりにもよく知っていらっしゃったので、住民登録をするために行く途中、ベツレヘムでイエス様を生ませたのです。これはみ旨を思うマリヤの心に対する、神様の手厚い愛であることを知らなければなりません。
このようにしてマリヤが赤ん坊を生めば、両親は孫を見て喜び、兄弟や親成もみな喜んで歓迎しなければならなかったにもかかわらず、そのような立場になっていないのでイエス様を連れて故郷に帰ることができたでしょうか。帰ることができなかったのです。そのようなときに神様は、ヘロデ王がイエス様のことをねらっているという事実をヨセフとマリヤに知らせ、エジプトに身を避けるようにしたのです。
それゆえ故郷に背を向け、エジプトに行って三年間過ごし、ヘロデ王が死んだのちに再びガリラヤのほとりに戻って暮らしながら、イエス様は人知れぬ成長過程を経てきたのです。継子の身に生まれたイエス様が、ヨセフの家庭で三十年間大工の仕事をしながら、楽な生活をしてきたかというのです。
ヨセフはマリヤとの情が薄れたので、イエス様の事情を分かってあげようとはしませんでした。イエス様の事情を一から千万に至るまで分かってあげる、そのような家庭になれなかったのです。マリヤもそのような事情圏内で暮らしながら、夫ヨセフを見つめるたびに過去のすべてのことを男性の立場で考えれば、そうならざるを得なかったという思いもするようになったのです。
ですから、イエス様を抱いてヨセフの前で誇らしく乳を飲ませられる立場になれなかったのです。イエス様は、大きくなりながらこのような交錯する心情を体得するようになると、自分の母の膝のもとに行って座ろうとしても、ヨセフの顔色をうかがわなければならなかったのです。継子は義理の父母に従わないものです。しかも弟たちにも歓迎されない局面になったので、イエス様はどんなに孤独だったでしょうか。私たちは、イエス様の恨を解かなければならないのです。
それでは、神様が四千年間苦労して立てられたイスラエルの国とユダヤ教は、誰のために立てたものでしょうか。イエス様一人を愛するためでした。またイスラエル民族を代表し、ユダヤ教を代表して、ユダ支派のヨセフの一族を選んだ理由は、どこの誰よりもイエス様を愛するようにするためでした。イエス様を愛するようにするために、ヨセフとマリヤを選び立てたにもかかわらず、ヨセフはイエス様を愛することができず、マリヤもまたイエス様を愛することができなかったのです。
マリヤは本当のイエス様の母として、イエス様の深い心情を知り、今後すべきことは何かとイエス様と話し合いながら、ヨセフとイエス様とを仲立ちする役割をしなければなりませんでした。その家庭で、イエス様が自由に生活できる舞台をつくってあげなければならなかったのです。
そのような主導的な役割は、イエス様御自身が直接できません。マリヤがしなければなりませんでした。しかしマリヤは、このような責任を果たせる立場になれませんでした。過去からヨセフと交錯した心情が累積している事情に追われたマリヤは、知りながらもヨセフの顔色をうかがう立場でイエス様に対さざるを得なかったのです。そのような生活の中でイエス様は、三十年余りの生涯を送られたのです。