御旨と海 第88話
海の道
1986年 8月28日 モーニング・ガーデン
皆さんは誰ですか。ここで何をしているのですか。皆さんはどこへ行こうとしているのですか。どこへ行くつもりですか。目的、あるいは目的地がはっきりしたものでなければなりません。さもなければ、目的のない行進をしたことになるでしょう。もし皆さんが神様に会って、「神様、あなたはどこへ行こうとされているのですか」と尋ねれば、神様は何と答えると思いますか。神様は御自身がどこへ行こうとされているか知っておられ、また御自身が何を願っておられるかを知っておられます。神様は、はっきりとした願い、目標、目的を持っておられます。
その目標は、小さな村や町や市や国だけのものですか。それとも全宇宙のためのものですか。もちろん、小さなものは大きなものの一部です。しかし、重要なことは、どんなに小さかろうと、大きかろうと、すべて究極の目標や目的につながっているということです。その究極の目標、目的とは何でしょうか。一言で言えば、それは一つの世界――平和な世界、理想の世界、完全なる世界ということです。
それはこの地上での目標のみならず、霊界での目標でもあります。従って(霊界と地上界の)一つになった世界、これが目標なのです。この目標は神様だけで達成できるでしょうか。それとも他に誰かを必要とするでしょうか。皆さんは原理を知っているので、その答えを知っています。原理は、神様だけではその目的を達成できないことを教えています。神様は、人間を必要としておられます。
重要なことはこういうことです。神様は、そのような世界をいかにして創るかを知っておられます。神様はその世界の構造を知っておられます。しかしながら、問題は人間がその神様の計画を理解していないということです。それゆえに、神様は人間を準備するために、前もって神様の計画を発表しなければなりませんでした。適当な時、神様が人間の道を導き、人間に対していかに生きるべきかを教え、無知に陥らないようにするためにメシヤを送られるということです。
歴史を通して、人間は価値を追究して来ました。しかし、その価値を自分なりの方法で解釈してきたのです。言い換えれば、人間は自分自身の幸福というものを追求してきました。例えば、日本は日本中心の目標を持っています。中共では、マルクス・レーニン主義が自分たちの国にとって良いだろうと考えました。しかし、それが間違いであることを発見しました。このアメリカでは民主主義が自分達の国にとって最善であると考えています。それぞれの国が何らかの目標を打ち立ててきましたが、今日、そうした中でもがいています。
我々が目指している究極の目的
「最も近く、最も価値あるものとは何か」ということを考えてみましょう。人々はこういうものを至る所で見つけようと探していますが、余りにも遠くを見過ぎています。彼らは自分自身を遥かに越えた所を見ているのです。皆さんにとって、とても近くて価値あるものは何でしょうか。皆さんは真の愛と言うでしょう。よろしい。しかし、その愛にどのようにすれば火をつけることができるでしょうか。その愛の本質、起源は何ですか。
真の愛はどのようにして始まるのでしょうか。それは兄弟や友人から始まるのでしょうか。真の愛の起源は神様から来るのです。それゆえに、人類の根本的な関係は神様と一つになるということです。しかし皆さんが人類と言う時、男と女の両方を意味します。最もダイナミックな関係は男女の間で起こります。そのような関係が神様を中心としている時、それは真の愛の三位基台となります。神様と男と女です。これこそが全ての人類の必要を満たす、基本的で最も本質的な関係です。
男と女に対する神の位置は何でしょうか。教師でしょうか。どのような教師でしょうか。どうも教師というのは、真の愛の関係を十分に表現し得るものではありません。教師以上のものでなければなりません。では主人というのはどうでしょうか。主人と僕でしょうか。これもまたぴったりではありません。それは真の愛というものに十分つながりません。そうして真の愛に最もぴったりした概念に到達します。親のみがそのような種類の愛を含むことができるのです。さて、最初の人間であるアダムとエバが親であれば、神様から離れることができるでしょうか。神様とは何でしたか。もし我々がアダムとエバを親と呼ぶことができるならば、神様に対してはどのように呼ぶことが適当でしょうか。
幸いなことに人間は霊というものを持っています。人間はその存在の一部として霊的なものを持っています。人間には二つの面があります。霊と肉体です。このようなわけで我々には肉の親と同時に霊の親というものを持つことができます。神様は人間の魂の中に宿ることができ、我々は神様を我々の霊の親として持つことができます。また肉の親として我々の肉親を持つことができるのです。真の愛を中心として、神様は地上の親と一つになって住みます。このような基準が生まれなければ、霊界と地上界を一つにする道はありません。これがまさに、神様が人類を目覚めさせようとしてこられた中心点であり、焦点なのです。我々がこの目標を知る時、神様と人間の間のこの関係において、我々は何であり、どこへ行くのかということが分かるようになります。我々は霊的にも肉的にも真の愛を具現するものです。我々は神様の似姿とならなければなりません。我々が目指している究極の道は、真の愛の完全な似姿になることです。それゆえに神様は、このような真実の基準、すなわち真実の愛を受肉しようとしている人達と共にあるのです。神様は常に彼らと共にあるでしょう。
皆さんが親にしっかりつながっていて、しかもその親達の中に神様が臨在されている時には、皆さんは真の愛をつかんでいます。では神様の愛はいかにして我々の中に住むのでしょうか。神様は真の愛のみを中心として人類の中に住み給うのです。これこそが人類が歴史を通して追求してきた最高の理想です。では皆さんはどういう人達ですか。ムーニーとは誰ですか。我々はこのような理想を宣伝し、それを成就し、それを現実のものとしようとしている人間です。
もし皆さんが自分自身を切ったとしたら、その中に何があるでしょうか。どんなに多くの場所を切ったとしても、その中にあるものが同じであるということが分かるでしょう。もっと多くのムーニーであり、さらに多くのムーニーであり、さらにムーニーです。皆さんの体はムーニーの塊なのです。真のムーニーはサタンによって消化されることはありません。真のムーニーは、真の愛の精神の人格化されたものであり、真の愛の権化なのです。それゆえに、真のムーニーとは本物の金のようなもので神様の本当の精神を含んでいます。そのような人に対して、サタンは何らの主張もすることができないのです。
皆さんはここに物差しを持っています。皆さんは、ポンドとかインチということで測ります。一インチとか一ポンドというものには、その本来の基準があるのです。その基準は二つの異なったものですか、一つだけですか。アメリカのどの工場や家庭でも、インチやポンドを用いて物を測る道具を持っています。そしてそのインチやポンドがどれだけあるかによって長いとか短いとか、あるいは重いとか軽いとかということになるのです。しかし皆さんがどこへ行こうとも、一インチは常に一インチであり、一ポンドは常に一ポンドです。統一教会の一番最初の本来のインチは何でしょうか。
皆さんは直ちに「お父様です」と言いましたね。だから先生は、皆さんがそれほど馬鹿でないことを認めることができます。どうなりますか。皆さんは自分がどういう人間であるかということを見て、そして先生の物差しに合わせて測ってみると、自分がどれだけのものであるかということを見いだすのです。そして皆さんはそれを見て「ああ、自分は少し背が低い」とか、「自分は少し軽すぎる」等と言うのです。皆さんはこういった種類の物差し、測る能力を持っていますか。どこにあるか先生に見せなさい。驚くべきことは、皆さん一人一人がこのような物差しを持っているということです。皆さんはこのことを心の中で知っています。皆さんは、内的に自分がどこにいるかを測る能力を持っているのです。
そもそも、皆さんはどうしてここに来たのですか。皆さんがここに来たのは先生のゆえです。先生がいなければ、誰もここには来なかったことでしょう。皆さんは、先生がある種の海洋事業を始めようとしていることを知っています。また、先生が、海に対するあるビジョンを持っていることを知っています。そして、皆さんは「もしお父様がこのことに興味を持っているならば、自分も興味を持たなければならない」と自分に言い聞かせ、それゆえに来たのです。