御旨と海 第100話

人間の性質をさらけ出す

 先生は、希望のない人達をいかに訓練するかを知っています。彼らを海に連れて行って、三ヶ月間海の中に蹴飛ばすのです。彼らがその海でいき延びれる限りそうするのです。そうすれば、彼らは最初のうちは惨めで、また青りんごのように青白く見えるかもしれません。そして体の中の穴という穴から何かが出て来ます。

 しかし、先生はちゅうちょすることなく「彼らを海に蹴飛ばせ」と言います。そうすると一人ずつ出て行きます。船酔いをした人も病院は必要ありません。陸地にしばらく置いておけば良いのです。そうすればやがて食欲も戻って来るし、回復してきます。これが一番良い方法です。健康が回復すれば、また彼らを蹴飛ばして海においやります。そして、このサイクルを繰り返します。そしてまた海から戻って来て、ほとんど死にそうになって戻って来た彼らを休息させ、そして三度目、再び海に蹴飛ばすのです。これを三回繰り返せば、どんな希望のない人間でもチャンピオンにすることができます。希望のない人間を再び希望ある者とすること、それがオーシャン・チャーチの真のチャレンジであり、それこそこの国にとって良いことです。

 さらにまた、海に対して適応性のある健康な人々はいつでも海に行く用意ができています。タイラーは最近、博士号を取ったばかりです。彼はオーシャン・チャーチに人事されるとは夢にも思っていませんでした。それでも先生は、彼に海に行くようにと蹴飛ばしたのです。彼はきっと、自分は統一神学校で良い教授になれるし、本を書いたり、他の大学に行って教えることもできると考えていたと思います。きっと彼はそういうことを考えていたに違いありません。タイラー・ヘンドリックは本当の紳士タイプのような人間です。非常に丁寧で誠実な人間です。しかし、一度海に行けば、そこにはバスルーム(御手洗い)もありません。たとえニュー・ホープであってもありません。

 今年の夏、先生は女性達と男性達に船を与え、共に働くようにさせました。そして、トイレへ行く時がくるとどうしますか。何とかしなければなりません。何とかしてすっきりしなければなりません。周りにいくら女性達がいようと男性達がいようと違いはありません。そうなると腹が必要となります。自分をすっきりさせるという使命を達成しなければなりません。男達はそのような状況に直面してパニックに陥ることなく、自然にそのことに対処します。彼らはそれに対処する腹を持っていなければなりません。女達が海に行くといつものように、上品で素敵な顔つきをするようなことはありません。女も男のような顔つきになって、何とか海に対処して生き残らなければならないのです。時には、女は自分の尻をさらけ出さなければならないこともあります。しかし、そのことに構っておれません。ただ「私のお尻がちょっとさらけ出されているけれども、男の人達は目を閉じてくれるでしょうから、自分自身を盾で隠さなくてもいいわ」と考えるでしょう。

 女にはそういう腹が必要です。また男達が自分の用をたす時、女達は目をつぶってくれるということを男達は知っています。だから問題はありません。そのようにするのです。もし目を閉じない者がいれば、そういう人はその結果に苦しむことになります。

 海の訓練は生々しい裸の経験です。それゆえに、それを通して基本的な人間の性質が現れるのです。海の訓練は、あらゆるものをさらけ出します。海の上では隠すことはできません。だから皆さんが海に出かけて行く時には、自分自身をさらけ出さなければなりません。それを通して自らについて学ぶことができ、他の人についても学ぶことができ、また他の人といかにして調和するかを学ぶことができるのです。

 別の点は、陸上で生活する時には、記録を破ったり、新しい記録を樹立するといったことは余り考えません。しかし、海に行く人は皆、いつも記録を作ったり記録を破ることを考えます。こういう人々、はいつも目標を目指して進む人達です。

 この世の生活は非常に複雑です。だからそういう世の中で出世したり、出世する場所を見つけることは不可解な状態です。しかし、海に行けばチャンスがあります。誰もが皆、出発点に立っているからです。そこではゼロの時点まで下がって行き、そこから出発し、起き上がって再び勝利するのです。皆さん、男達、女達が海に行くときにはチャンピオンになるように、また新しい記録を樹立するようにしなさい。先生はそういう目標を目指した生活が大好きです。



オーシャン・チャーチのビジョンと摂理
1983年 8月28日

 キリスト教、ユダヤ教、その他すべての偉大な宗教は山と何らかの関係を持っていました。モーセは四十日間祈るために山に行きましたし、イエスも山の上で断食祈檮をしました。また釈迦も山の中で霊的な探求をしなから六年間過ごしました。統一教会もそのようなことを経験しましたが、我々はそこで止まるのではありません。我々はさらに進んで、歴史上初めて「オーシャン・チャーチ」を創設するのです。

なぜお父様はオーシャン・チャーチを創り出したか

 皆さんは地球を見るときに、地球表面の三分の二は水です。だから、海と陸地とどちらの方がより多くの生き物がいると思いますか。水の中です。地球上の人口は約四十億と推定されます。しかし海には何百億、何千億もの生き物がいます。海と陸地のもう一つの違いは、すべての海はつながっていて一つの海から次の海へと行くことができるということです。陸地もまたつながってはいますが、海は、一つの調和がある全体としてお互いに動いています。海は生きており、適宜に動いています。死んでいるのではないのです。この地球を覆う水面が生きているがゆえに、地球が生きているということを理解することができるのです。

 これまで海は輸送のために用いて来ました。しかし、人々は海の中に隠された資源を探すために、海を掘り始めることをしませんでした。最近になってある国々は、二百海里領域を「領海」として主張しています。ますます海の資源を巡る争いが、国々を鋭く分裂させつつあります。もし捕る魚がいなくなったら、二百海里の制限というものは意味を持つのでしょうか。

 人々が海の中の資源を発見し始めるようになると、恐らく彼らは三百マイル、あるいは千マイルも自分の国の領域として主張し始めるでしょう。そうすると「海の真の主人は誰か。誰が本当の主人であるか」という問題が起こるでしょう。

 もし突然、ある巨大な陸地が海の真ん中に島として現れたとします。その陸地を自分のものとして主張できるのは誰でしょうか。火山の爆発は至る所で起こり得ます。自然は自然の法則に従うのです。

 神様が「自分が海を創造したのだ。誰がその主人公となるのか」と言いながら被造物を眺めている時に、神様は何を探しておられるのでしょうか。神様はビジョンと勇気を持った人々を探しておられるのです。実際、神様はそのような海の挑戦するために組織され、それに投入している人々の団体を探しておられるのです。もしそのような海を愛する人々の献身的なグループを見出だすことができれば、神様は彼らに祝福を与えられるでしょう。そのような人々が、最終的に海に対する主管主たる候補者となるのです。彼らは、創造主の心を持って考えているに違いないからです。そのような勇気ある人々が世界中から一つに集まって来て、そして一つの共通の目標に向かって団結するにつれて、一つの理想、ビジョンはすべての国家や人種の障壁を越えるに違いありません。そのような国際的なグループが確立されるならば、いかなる国もそれに挑戦することはできないでしょう。なぜならば、そのようなグループは、世界的な展望を持っているからです。

 オーシャン・チャーチは将来何をするのでしょうか。その目的は何ですか。それはいかに海を愛し、創造主の理想のもとでいかに海を利用し、また創造目的に従ってどのように海を主管するかということを教えることです。

 海と陸地を分ける境界線は海岸です。従って、海岸はその二つの世界の結び目を表します。いずれは海岸線が最も重要となるでしょう。海岸線の財産がすべての内で最も価値のあるものとなるでしょう。

海の美しさ

 海には信じられないほど様々な雰囲気が含まれています。静かな海は、美しい女性のようです。そして浜辺の砂は、まぶしい位の美しさと平和の絹のようです。しかし、それが海が与えてくれるすべてではありません。少し風が吹くと海は踊り始めます。少しだけです。どのようなバレリーナや踊り子といえども、海の踊りとは決して比べようがありません。踊り子は小さな限られた舞台の上で踊るだけですが、海は際限もなく踊るのです。その踊りの舞台には際限がありません。

 海では鳥が飛び回ります。飛んで来てまた飛び去り、止まったり羽ばたいたり、すべてが様々に異なる形をして飛びますが、すべて調和が取れています。かもめがやって来て歌を歌い、美しい調和ある動きをします。時々このような美しい光景が、巨大な鯨が水の中から飛び上がって来る突然の火山の爆発のような動きによって、劇的に変化します。水しぶきが輝き、光を反射します。これも信じられない程の美しさです。それほど多くの変化と様々な動きがあります。

 海が腹を立てる時にはあたかも「誰でも自分の方向に向かって来る者は飲み込んでやるぞ」と言っているかのごとく、威厳と力を示します。海はそこに浮かんでいるすべてのものを飲み込むことができるのです。

 普通の場合、高速の船は静かな海をあたかも絹のハイウエーのように美しく走ります。しかし、一度海が怒り狂って高波のしぶきを上げる時には、そのような船も無力となります。波が高まれば、船は「はい、はい」と答えるしかありません。波が突然下に落ちれば、その船もまたそれに従うのみです。なぜならば、自然は最も強力であり、海は「お前は私の言うことを聞け。ここに私がいる」と言っているからです。このような理由で、海を愛する人は男も女も高慢になったり、傲慢になったりすることができません。彼らはそのような自然の圧倒的な力の前で、いかに謙遜にするかを知らなければならないからです。

 陸地には緑が見えます。時として、そこではチョウチョウや鳥が飛び回っているのが見えます。しかし、すべては静的です。しかしながら海では、魚の変化はあらゆる動きであり、しかも一つの場所から他の場所へと動きます。そして自らの美を示すのです。海と陸地では、どちらがより多くの美や信じられない程の神秘がありますか。(海です)

 皆さんが、自らを神様の立場において「なぜ神様が海を創り給うたのか」と尋ねれば、「それは神様が陸地には二、三日で飽きてしまうが、海は決して退屈しないからです」と答えるでしょう。それゆえに、将来のビジョンに関係する者は誰しも、海に興味を持たなければなりません。このようにしてその人はビジョンのある人となることができます。

Atsuki Imamura