真の父母経 第400話

19  真の父母様のみ前では、無条件にみな孝子、孝女にならなければなりません。そして、兄弟たちが真の愛によって一つにならなければなりません。父母は、優れた子女よりは、足りない子女に対して、より心配をするようになります。子女たちを育ててみれば、みなそのような心情が分かるでしょう。それと同じように、困難な状況にある兄弟たちに対して、さらにために生きる心で愛するようになれば、私たちの基盤はもっと大きくなるでしょう。

私たちには、真の父母を中心とした、真の家庭の固い絆があります。皆さんが、み旨を中心として、環境を広く、深く、高く創造するに従い、私たちの基盤は、より一層、大きくなるでしょう。私たちの目標は一つです。天の父母様と天地人真の父母様を中心とした一つの世界、統一世界をつくることです。

20  兄弟間の争いは、父母の気持ちが分からず、父母の深い心情をよく推し量ることができないために起きるのです。真の愛を中心として心情関係を結んでこそ、父母の気持ちが分かるようになります。また、真の父母様と一心、一体、一念、一和を成し遂げるようになります。考えと感情と言葉と行動が一つになって現れるのです。そうして、真の父母に似た真の子女の生活をするようになれば、相手と自分が別々ではなく、一つの血統であり、同じ兄弟姉妹であることを感じるようになるでしょう。

誰もが願う幸福な人生と平和な世界を、私たちは築くことができます。隣人を自分の体のように愛し、怨讐までも赦しながら、世界平和のために一つにならなければなりません。天の父母様に侍る一つの世界、人類が同じ兄弟姉妹として大家族になるその日まで、力強く、勇ましく進まなければなりません。

21  祝福結婚とは、堕落した人類が真の父母様によって新しい生命を受けるようになることを意味します。堕落世界が、汚染され、混濁した所であるとすれば、祝福家庭は澄んだ水、生命水と同じです。しかし、澄んだ水も、よどんでいれば腐ります。大海に向かって流れていかなければなりません。生命水が流れていくところでは、死にゆく生命体がよみがえるのです。澄んだ水、生命水によって、混濁した世の中を清くしなければならない責任が、氏族メシヤにあります。今、氏族メシヤ運動が巨大な波となり、タイとフィリピンを越え、アジア諸国を経て、ヨーロッパ大陸、南北米大陸、アフリカ大陸、オセアニア、中東を経て大海に押し寄せています。この波が通過するところには、無数の生命体が新たに誕生するでしょう。

今、世の中には、私たちが期待できるものが何もありません。私たちが世の中に、真の父母を知らせてあげる道しかないのです。「私」の家庭と氏族、国、そして、世界が、摂理のみ旨の前において真の父母様と一つになり、巨大な波をつくって、五大洋六大州を駆け巡るとき、天の父母様が願い、人類が願った、「神様のもとの一つの世界」、すなわち地上天国が実現されるでしょう。その日のために、世界の祝福家庭は、天の父母様はもちろん、真の父母様と一心、一体、一念、一和になり、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情で、世の中に堂々と真の父母様の顕現を知らせ、世界人類が天一国の民になるように導く美しい孝子、孝女、忠臣にならなければなりません。


第四節   天一国定着の道

真の愛、真の平和の道

愛と平和は、真の父母様の生涯にわたるテーマであった。そのため、真の父母様は、真の愛の道を歩まれながら、個人、家庭、氏族、民族、国家と世界を塞いでいた塀を撤廃し、超国家、超人種、超宗教活動などを通して、世界を一家族にし、永久的平和を定着させるためのビジョンを提示されたのである、真の父母様が歩まれた真の愛、真の平和の道を誰もが行くとすれば、神様と人類の願いである天一国が定着するであろう。

1   私は、神様のために愛の道を行きました。愛のために夜を明かし、愛のために痛哭し、愛のために千里の道を走り、愛のために大洋を渡り、愛のために異民族を愛そうともがき苦しみました。それは、どれほど困難な道でしょうか。皆さんは易しいと思うかもしれませんが、とても困難な道です。唖然とする時がたくさんあります。すぐに荷物をまとめて立ち去りたい時がたくさんありました。私がしなければ、また別の誰かがしなければならないので、私がするのです。

2   真の愛の道は、開拓の道です。踏んでいくのです。父母が行った道を、「私」も行かなければなりません。神様が何億万年前に行った道を、私たちの縦的な一代の先祖たちが厳然とたどっていかなければならなかったのです。それが原理の道です。

知らずに堕落したので、復帰の道を訪ねていくのです。父母様が原理を知って復帰の道を訪ねていくためにどれほど苦心し、サタン世界の困難な個人的、家庭的な讒訴の道を越えるためにどれほど苦心したか分かりません。これは、原理原則的な足場がなければ越えることができません。しかし、父母様は原理の道をたどり、サタンの個人的讒訴条件を原理原則で越えたので、サタンの讒訴が離れていきます。家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的基準まで、原理の道をたどってきているのです。

3   真の愛は、生命を投入して忘れてしまうところから始まります。そこに神様が臨在します。それが父母の愛です。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうのです。堕落以後、神様はそれを継続してきました。全人類が救援されるまで行うのです。どれほどかわいそうな神様でしょうか。そのような神様を父母として、侍らなければならないことを知ったので、一生の間監獄に入り、ありとあらゆる悪口を言われても変わりませんでした。

4   人間始祖が堕落したのちに、多くの壁が立てられました。個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な壁が生じました。その七段階の壁が、皆さんの道を塞いでいます。それらをどのように崩すのでしょうか。その壁が立っている基盤が体です。それゆえ、常に体が問題です。個人的な壁、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的な壁、すべてのものが体を基盤としています。体は、その数多くの壁を崩すことができません。ですから、残っている壁は、常にサタン側に属するようになるのです。皆さんも、それを否定できないはずです。父母様はそのような事実を知りました。

ですから、父母様にはいかなる迫害が来ても問題ではありません。「道をまっすぐに行かなければならない!」といことが問題です。ジグザグに神様の道を行くことはできません。真の愛の道は直短距離です。直線で行くのです。それゆえ、父母様は一生の間、サタンの迫害を受けました。

5   真の愛は、作用をすればするほどマイナスになりません。入力より出力が大きくなるのです。自然の力は、入力より出力が小さいのですが、真の愛は、入力より出力が大きいというのです。このような内容で、それが持続します。ですから、父母様は生涯を通して、すべて投入して忘れてしまいました。

それでは、真の愛の結果はどのようになるのでしょうか。世界が集まってきます。父母様が一生の間、このような公的な道を代表して、苦労しながら歴史をたどってきたことを思えば、皆さんも、我知らずに涙がぼろぼろ流れます。誰がそのように泣かせるのですか。真の愛には、万民を越え、宇宙を越えて感動させる力があります。

6   真の愛は、どのような悲惨な状況も克服させます。そこには不平がありません。完成、成功、成就があるのみです。私たちは賢い人々です。私たちは、その概念をすべて把握して自動的に従っています。天が開かれるのです。

このようなことを父母様は構想しながら、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に迫害される環境をすべて経て、個人的な勝利、家庭的な勝利、氏族的な勝利、民族的な勝利、国家的な勝利、世界的な勝利の版図をつくり、今日まで宗教界で最高の頂上の位置、政界でも最高の頂上の位置、文化面やあらゆる面で、最高の頂上の位置に立ちました。迫害を受けることにおいても、歴史上、最高の迫害を受けましたが、最高の位置に到達した人は、歴史始まって以来、父母様しかいないというのです。

7   復帰というのは再創造ですが、救援というのは「改造」です。病気になった人が、ただそのまま治ればよいのです。それが救援です。堕落したので再創造、蕩減復帰をしなければなりません。皆さんは、ただそのままでは救われません。

再創造の過程を経なければなりません。ですから、父母様を絶対に信じなければなりません。神様を知る道で、自分の考えをもってそのようにしたのではありません。「このような原則によって、このような動機から出発しなければ、真の愛ではない」と思いながら、原則を明らかにしていったのです。真の愛を知ったので、すべて明らかにしたのです。真の愛は直短距離を通ります。このような原理を探し出すために、お父様がどれほど身もだえしたか分かりません。冬の三ヵ月(陰暦の十月、十一月、十二月)にはいていた綿のズボンが濡れて絞らなければならないほど涙を流す、苦痛の道を経てきたのです。人類を子女として救うために、全身の皮を剥ぎ取って売り、肉を剥ぎ取り、骨を削って、骨髄まで絞って犠牲になっても、行かなければなりません。

神様の心情を知ったので、自分には無慈悲なのです。サタンの後継者になって、サタンの血統を残しておいてはいけません。自分のすべてのものを否定しなければなりません。

8   愛は神秘的です。そして、終わりがありません。終わりがなく、どんどん進んでみると元の位置に来るというのです。そのように継続していく人は、成功するようになっています。億万年進み続けることのできる力の動機、そのような源泉をもつことができる何かがあります。これは、いくら投入しても嫌気がさしません。

私がそうです。今まで一生の間、毎日のように、ほかの人と同じように眠ることはしませんでした。人と同じように、時間を守って御飯を食べて生活することができませんでした。人と同じように楽に暮らしてみたことがなかったというのです。ひたすら、せわしなく駆け回りながら生きていますが、それでも私は疲れを知りません。愛の心は青春です。心は老いることがありません。

生涯を通じて、愛を中心として苦労するほど、そこには爆発力があるというのです。ですから、世の中で最もハンサムで、最も代表的な若者がいるとすれば、その方は神様であり、その次にはお父様でしょう。

9   ダンベリーでいつも忘れなかったことが愛の道でした。どんなに困難でも、大きな愛の道を願ったというのです。過去に私たちの信仰の先祖たちがそうだったように、イエス様が死を覚悟して行ったのと同じように、お父様も命を懸けてそのようにするのです。その愛は、命以上のものだからです。生命は愛から出発します。ですから、その愛の道を訪ねるためには、命以上のものとして訪ねなければなりません。そのようにしなければ、真の愛の道を訪ねていけません。死の道を行ったとしても、愛の道を選ぶのです。これは絶対的です。

そのような人は、歴史始まって以来、お父様しかいないというのです。このような内容をもって実践躬行するために、歴史時代に四十年間、あらゆる辱めや受難を受けても、死の峠を越えても、この道を捨てませんでした。それは、真の愛というこの絶対的な宝物を知ったからです。このように歩んでみると、今や世界的に有名になりました。何かの栄光をつかむことや成功を願いながら歩んだのではありませんが、人々から「滅びる」と言われる立場で歩んでみると、私も知らないうちに、このように成功したと結論を下せる世界的版図ができていたというのです。

10  宗教と政治は別のものではありません。別のものになっていれば、平和の世界は成し遂げられません。二つに分かれては、平和の世界になることができないのです。平和の世界は一つです。理想世界は二つではありません。一つなので、一つの方向に収拾しなければなりません。

世界的に、宗教と国々を収拾する人は、父母様以外には誰もいません。父母様に従ってくれば、世界平和に至る一番の近道を行くことができます。父母様は、新しい理想世界、第三の世界を願っています。父母様以外には、共産世界と民主世界を動かして一つの理想世界に進むことのできる道を知っている人はいないのです。

Atsuki Imamura