御旨と海 第15話
チャンピオンを作る
さあ始めましょう。皆さんが今必要なものは何でしょうか。そして皆さんが最も必要なものは何でしょうか。人が必要なのでしょうか、それとも金が必要なのでしょうか。どちらがより必要でしょうか。人ですか、それとも金ですか(人です)。そうですね。私達は人材を必要としています。さて、どんな人でも仕事ができるでしょうか。あらゆる種類の人間がいます。教えることのできる人とか、技術面で才能のある人とか、海を航海することができる人などがいます。あらゆる種類の人達がいます。どういう人が必要ですか。船乗りになるのが皆さんは好きかもしれないけれども、いろいろな種類の船乗りがいます。
先生は皆さんを船乗りにするために神学校に送ったのではありません。先生の目的は皆さんを船乗りにすることではありませんでした。先生が欲しいのは、また教会の誰もが望んでいるのは、霊的面を優先し、他の人々に仕えることのできる人です。そういう人は与えられたどのような責任分担においても、正常に、そして正しく使命を果たすことができます。我々は、霊界を代表しこの地上で原理にのっとって喜んで働くことのできる人を必要としています。
その人はどういう人でしょうか。その人は、サタン世界に関係している人々を喜びをもって引き上げ、神様の道に従わせることのできる人です。我々はそういうことができるチャンピオンを必要としています。チャンピオンを作り出すためには、そのためのチャンピオンが必要です。例えば、体育館があり、そこにコーチとかトレーナーがいて、彼の下で訓練を受けるために若者達が集まってきます。コーチは彼らを十分に訓練した後、コンテストに送り出します。彼らが競技に勝てば、あるいは選手権タイトルを勝ち取れば、トロフィーを体育館に持ち帰ることができます。体育館にいる時、そのチャンピオンはいつも練習して、いつも戦っています。このようにして彼は自分を磨いています。
訓練を受ける人がいなければ、彼はその人達を募集しなければなりません。誰が募集するのですか。そのチャンピオンが募集しなければなりません。彼の代わりにそれをやってくれる管理責任者はいないでしょうか。いません。ということは他の人達を連れてきてその中からチャンピオンを作ろうとする以前に、皆さん自身がチャンピオンにならなければならないということになります。皆さんが体育館を持っていなければならないし、皆さん自身が定期的に訓練することのできる十分な技術を身に着けていなければなりません。人々を集め、その人達と何か行う前に、皆さん自身がそういう能力を身につけていなければなりません。
人を訓練する時には、皆さんも相手の目を見て戦わなければなりません。もし相手が皆さんの目を真っ直ぐに見ることができなければ、真っ直ぐに見て、目をそらしてはならないことを彼らに教えなければなりません。手や足の正しい用い方も彼らに示さなければなりません。時には彼らを殴り、はっきりとどうすべきかの模範を示す必要があります。チャンピオンは絶えず一つひとつの動作についてどうすべきか、相手に示します。どんな小さなことについても、決して彼らをほったらかしにしません。
このようにして皆さんは何人訓練したことがありますか。お金よりももっと人が必要だというならば、皆さんはそのような人を育て上げなければなりません。皆さんの所に人々を連れてきて「彼らは既に訓練を受けています。どうぞ使ってください」などという人は誰もいません。皆さんが彼らを訓練しなければなりません。しかし皆さんは人を訓練する前に、自らがそれを全部こなすことができなければなりません。皆さんは自分の力で一つひとつやり遂げなければなりません。皆さんにとってそれは必死なことです。誰かを必要とするならば、皆さん自身がはっきりしていなければなりません。誰でもいいというわけにはいきません。適切な人を見つけ「そうだ、彼が必要なのだ。この人が必要なのだ」と言います。それから皆さんはその人のために最善を尽くすように努力しなければなりません。彼のことを考え、彼のために祈り、彼を復帰するために皆さんはあらゆることをしなければなりません。つまり彼を訪問し、彼と共に一生懸命働かなければなりません。彼の周りにいる人達は皆さんに反対するでしょうが、それでも皆さんは何度も何度も彼を訪問しなければなりません。皆さんは心からその人を復帰する決意をし、諦めてはいけません。
一方的な愛というのを聞いたことがありますか。皆さんはそれを片想いと言います。一旦決意したならば、他の人達がどう思おうと関係ありません。重要なことは、皆さんが彼らのことをどう思うかです。皆さんはその人達の所へ行って仕えます。そして彼らが皆さんに反対し、迫害し、殴って血を流させるようなことをしたとしても、それでも皆さんは諦めてはなりません。反対に皆さんはそのことにより刺激され、もっと熱心にその人に仕えるようになります。そうする頃にはもはや限界などというものはなくなっており、その人は「他の人々からこれほどまでに注目されているとは、一体自分は何者なのだろうか」と考えるようになります。
皆さんの周りにたくさんの人々がいたら、どの人がその中で最高の人か、よく見回して観察するんですね。皆さんが神の側へ復帰したいと思う最高の男性、あるいは女性がどの人かを決定しなさい。次に、決めた以上は絶対に逃がさないという決意をしなさい。そしてその人の心情を勝ち取るまで働き続け、かつ祈り続けなさい。それから、その人をよく知るようなってから、皆さんは自分の心を打ち明けるのです。この国が衰退しつつあることは、またその傾向をくい止め、この国を立ち直らせたいと思う人に自分は会いたいのだということをその人に伝えなさい。その人が皆さんの考えに同意したならば、一緒に働いてくれないかとその人に頼むことができます。
最初から原理について話す必要はありません。その人はすぐには原理に興味を示さないかもしれません。例えば、ある人が格闘技を得意とし、それを誇りに思っていれば、そして皆さん自身少し筋肉に自信があれば、その人の所へ行って二、三教えてくれるように頼みます。そうやって彼から幾つか学ぶことができます。もし皆さんがあることに興味を持っており、その人がその分野である程度才能を持っていれば、そのようにして彼に接近することができます。最初は彼から何かを学ぶことができます。
皆さんの関係が発展し、さらに互いに信頼しあうようになれば「筋肉はまあそんなところでしょうが、その筋肉を正しく使うためには、君は頭を使わなければいけない。賢くなければならない。しかし、君は頭でこうしなければならないと思っても、体が必ずしも動いてくれない場合があるのではないですか」と彼に言うことができます。どのように闘うべきか、またなぜそうしなければならないか等、そこで自分の意見を述べるのです。そういう会話の中でも原理は説明できます。一つだけ避けるべき点は自分自身に限界を課することです。「私は歌えない。それは私の一番やりたくないことです」などというようなことは絶対に言うべきではありません。「一番やりたくないもの」などというものはないのです。皆さんは何でもやってみるべきです。
最初からそれでは滑稽ですね。極端なことをやってみます。つまりできないと思うことをやってみます。誰もが予想だにしなかったことを何かやってみます。そうすれば人々は皆さんのことに気が付き、耳を傾け始めます。先生はこういうことを長い間研究し、また実践もしてきました。先生にも限界があるのだけれどそれを乗り越えてやってきました。皆さんも同様に自分の限界を乗り越えなければなりません。何が先生の限界でしょうか。先生は統一教会の指導者です。だからやり方は知っていてもやれないことがたくさんあります。先生はとてもたくさんの分野で専門家だけれども、それを必ずしもできるとは限らないのです。
とても単純なことだけれどもリングの上のチャンピオンになるには、皆さんは自らを訓練しなければなりません。何を訓練するのですか。ただ一つのことではなく、いろいろな技術を訓練します。何百という方法があります。頭の動かし方、手の動かし方にもいろいろなやり方があります。例えば、頭を低くして拳を上に上げる場合もあります。皆さんが真剣であり、そしてもし闘わなければならないならば、つまり本当に闘う必要があるならば何とかできるものです。頭や手や尻を使っても良いのです。もし皆さんが真剣なファイターであり、追い込まれるようなことにでもなれば、そういうものも使わなければならなくなります。皆さんはチャンピオンですか、それとも傍観者ですか。チャンピオンならばどういうチャンピオンですか。他のどんな人よりもより多くの関心を持ち、より多くの動き方を身に付けた人が最強のファイターになる人です。そのようにしてチャンピオンは作られます。皆さんは心も体もすべて完全に投入しなければなりません。