御旨と海 第12話
東洋文化の理解
今我々はその重要な点について知りました。皆さんは神学校卒業生で、この運動の指導者になるのだから、この点について真剣にメンバーを教育しなければなりません。皆さんは彼らを良く教育しなければなりません。今、韓国語を勉強している人達にしてもそうです。先生の英語は進歩しているけれども、皆さんに英語で話すつもりはありません。特に皆さんと韓国で会うような場合、先生は英語は話しません。もし先生と話したければ、皆さんは韓国語を使わなければなりません。
別の言語を学ぶことは不可能なことではありません。食口は誰でも約二年間、韓国に滞在すべきだと先生は思います。皆さんは社会の最下層へまず行って、そこから一段ずつ上へ上って行くべきです。そうすることによって、皆さんは間違いなく韓国語を学ぶことができます。そういうことをしたくないと考える人は、皆さんの中には一人もいないと思います。皆さんは霊界へ行って、先生の話すことが理解できなければ恥ずかしいと思うに違いありません。皆さんは先生がこれを気まぐれで言っていると思いますか、それとも本当にそうだと、特に霊界では本当にそうだと思いますか。今から二十年後の西暦二〇〇〇年までに、皆さん全員が韓国語を話さなければなりません。今まで皆さんには他にやることがあったので先生はあまりそのことを強調しませんでした。一九八〇年以降、我々はこういう点にもっともっと力を注ぐようになります。韓国語を学ぶ時間を正式に持つようになるでしょう。必要なことです。そうだと思いませんか。
ある人々は韓国語を覚えるのは非常に難しいと言うけれども、そんなことはありません。韓国語は論理的に構成されています。皆さんの頭はいずれにせよ、論理的に物事を考えるようになっています。そのように皆さんは創られています。韓国語はあらゆる音声を含んでいます。だから韓国人が別の言語、例えば英語を学ぶ場合、非常に早くそれを修得し、とてもうまく話します。日本人は決して韓国人のようにうまく、英語を習得することはできません。日本人にはとても難しいのです。なぜならば、日本語はたくさんの音声を欠いているからです。韓国人達が中国語を学んでそれを上手に話す時、彼らは実は外国から来た人だとは中国人には思いも及びません。韓国人が日本語を上手に話す場合にも同じことがいえます。この人はもともと韓国人であるとは、日本人は考えることすらしません。韓国語はそのぐらい幅広い音声と発音を含んでいます。また韓国語の形容詞、特に宗教用語は豊富で変化に富んでいます。心とか魂の内面世界を表現するものがたくさんあります。こういう意味で韓国語は原理に非常に近いのです。ここでは皆さんは「ゆっくり」と言うけれども「ゆっくり、ゆっくり」とは言えません。あるいは「早く行け」と言うかも知れないが「早く、早く」とはいえません。韓国語には、こういう意味を強調できる言葉、アイデアをより鮮明に伝えることのできる言葉が含まれています。
韓国では人々はスプーンと箸を使います。お膳立ての仕方、例えばどこに皿をおいて、ご飯茶碗と湯のみ茶碗はどこに並べるかについての、厳しい規則が韓国にはあります。そしてそれらの配置には必ず主体、対象の関係があります。中国はその最古の文明を自慢し、日本もその歴史を誇りとします。しかし彼らは韓国が持っている数多くの特質を持っていません。だから中国と日本と韓国を見て、それらは皆同じものだと、皆さんに思ってもらいたくないのです。それらの文化の間には無限の隔たりがあります。先生は「将軍」の本と映画について報告書を受け取りました。皆さんは間違って発音をしています。「ショー・ガン」ではなくて「ショー・グン」です。皆さんは「gun」とあるから「ガン(銃)」のことを思い浮かべて、そのように発音をするけれども、そのように発音をすると意味を持たなくなります。「ショー・ガン」と発音したならばガン・ショー(銃の展示会)のようになってしまいます。その点が先生は気になっていました。
「将軍」とは「大将」のことですが、特別の種類の大将です。将軍とは天皇の次の位に当たる人です。いずれにせよ、人々はその番組に大変興味をそそられました。アメリカ全人口の五〇パーセントがその番組を見ました。彼らはそれを見て、東洋について知識を得ていると思いました。しかし、実際は大したものは含まれていないので、先生はそれについて大したことを語ることができませんでした。一カ所、二カ所興味を引かれるシーンがあったに過ぎませんでした。東洋について何らかを理解するためには、入り口に立つのですら、皆さんにとっては何千というシーンが必要になります。
一つ面白い所に目が止まったのですが、それは日本人が「切腹」と呼ぶ、自分の腹を切る儀式でした。彼らにとってそれは名誉ある蕩減方法なのです。自分の責任を成就できなかったならば、解雇される代わりに自らの命を断ちました。もし本当に本気であったら、それ以上のものは何もありませんでした。皆さんは映画の中でそのシーンを幾つか見ましたね。現実には歴史の上ではそれは日常茶飯事の出来事でした。苦痛をやわらげるために、必ず誰かがそこにいて、首をスパッと切ってくれます。そうすることによって迅速に命を断ち、苦しむ間もなくすみます。それを誰が行ったか。その人の敵ではなくて最も身近な人がやりました。親愛の友とか、最も近い親戚の人が首を切ってくれました。一つの務めに伴う名誉というものは、それほど重要だったのです。またそれほどの真剣さが、生命と直結していました。彼らの生命はいつも危険にさらされていたわけです。この国アメリカにはこれと同じような概念は全く何もありません。責任を果たせなかった場合にはそのようになるということを、一度でも考えたことがありますか。日本人は侍の歴史の中でそういった誠実さと真剣さを経験しています。侍は武士階級に属しますが、もちろん武士は戦争時にはその力を最高に発揮しました。
日本は今は戦争中でないけれども、その侍精神の一部を維持しています。だから急速に発展してきました。世界経済の中で彼らは大きな業績を成し遂げています。彼らは物事について怠惰ではありません。仕事の分野で、自分達の首が危険にさらされていることを、彼らは本当に感じています。彼らは、仕事に成功しなければ切腹しなければならないという思いを、ある程度今でも抱いています。過去数週間、このドラマを見ながら先生は「ああ、これは絶対アメリカ人には分からないだろうな。今後も長い間分からないだろうな」と何度も独り言を言いました。しかし自らを真剣な立場に置けば、絶対に分からないということはありません。皆さんに最も近い者が皆さんの首をはねるということ、そしてそうするためには愛が必要であることを考えてみなさい。自らの生命を心配するよりも、命令を実行することの方がもっと重要であるということを、これは示しています。日本人はこういう背景と気持ちを持っています。
死なんとする者は生きると聖書に書いてあります。日本人はその伝統のゆえに、摂理の面で最善を尽くします。一度神様の御旨を理解すれば、そういう猛烈精神を持って、彼らは責任を果たそうとします。皆さんは日本人の中に多くの欠点を見いだすかもしれないけれど、その一点ゆえに、日本人は多くの障害を乗り越えているし、またしばしば他の諸国を陵駕することにもなります。話を続けた方がいいですか、それとも今朝食をとりたいですか。朝食をとるべきか、それともとらざるべきか。朝食は既にできていますが皆さんは欲しくない顔をしています。まあ、海が近いのですから、それをそのまま投げ捨てることもできます。魚が大変喜ぶでしょう。それでも良いですか。時には皆さんは働きたくないと思う時がありますが、食べたくないと思うことはないのです。しかし食べることと同様、あるいはそれ以上に働くことを愛するならば、皆さんの成功は保証されていることになります。働くことによって失敗するということは決してありません。そのために、食事と食事の間が長くなりすぎれば、自然と胃袋が皆さんを導くようになります。