イエス様の生涯と愛 第82話

イエス様は殺されました。イスラエル民族から追放されました。寄る辺がありませんでした。それでイエス様が死んだのです。そうなったので、やむを得ずどこへ行くのでしょうか。神様のみ旨が、本来祝福を受けるべき所で失敗した場合には、怨讐の世界に移されるのです。それが公式です。サタンがもっていったということです。ですからサタン世界に入らなければならないのです。そうではありませんか。失敗したらサタンに渡るのです。ですからこれを取り戻すためには、怨讐の国に入っていかなければならないのです。そうして戦って勝利して、怨讐がもっていったものを取り返さなければなりません。そのような勝利者になれば、世界を支配するということなのです。

言ってみれば、その時に、イエス様を中心として失ったものを取り返すことができたなら、世界へ行くのです。国家的基準でアジアや中東を動かせるように、世界的基準を手に入れることができるのです。それゆえキリスト教は、本来アジア諸国と共に統一的世界観を形成しなければならなかったにもかかわらず、イエス様が死ぬことによって、本来祝福したすべてのものをサタンに渡してしまったので、やむを得ずローマの懐に入っていかざるを得なかったのです。それがキリスト教の悲惨な運命なのです。

ところがキリスト教というのは、霊的基盤を中心としたものです。イエス様の体が侵犯を受けたので、霊的基準で復活したその復活基準を中心としてキリスト教は出発し、ローマ帝国に行って四百年間戦ったのです。そうして霊的にキリスト教文明をつくり上げたのです。

それでは、キリスト教がすべきこととは何でしょうか。個人的な蕩減と家庭的な蕩減と氏族的な蕩減と民族的な蕩減を、霊的にでも再びしなければなりません。このような問題が起きるのです。

ですからキリスト教全体がローマに入って、個人的に犠牲になり、家庭的に犠牲になり、氏族的に、民族的に犠牲になるそのような供え物の過程を通過しました。イスラエル民族は個人的にヤコブが勝利し、あるいは氏族的にモーセが勝利しましたが、キリスト教徒は、そのような実力以上の実力をもって怨讐に屈せず、自己の生命を捧げ最後まで主体的思想を引っ張っていったのです。そのようにしてローマ帝国をひっくり返したのです。

四千年の歴史を四百年で蕩減したのです。あらゆる犠牲に遭いながら、打たれれば打たれるほど福を奪ってきたのです。四千年の福を引き継いだのです。このようにして、天の側において福を受けられる蕩減条件が立てられたその時から、初めてローマを屈服させ一つのキリスト教中心国家を形成したのです。

その時のキリスト教徒は知りませんでしたが、イエス様が死なずに成し遂げるべきだった福をサタンがもっていったのです。ローマが奪っていった立場にあったのです。それゆえ、それを取り返すためには、それだけの代価を払わなければならなかったのです。そうせずしては、天の側に取り返してこれないことは当然なことです。

キリスト教の思想は、どこにあるのでしょうか。ローマ帝国から戦ってきたその思想、すべての使徒たちが立てたその思想を受け継いで世界的な伝統に移し、一元化されたキリスト教文化圏を形成しなければならないのです。そうすることによって、それからはローマ民族、イタリア民族が、初めて神様のみ旨の前で世界を支配し得る中心民族になるのです。神様はイスラエル民族に世界を任せて失敗したので、イタリア民族を中心として世界を制覇しようとされたのです。

Atsuki Imamura