イエス様の生涯と愛 第37話
洗礼ヨハネは霊界が役事していたときは、我知らずイエス様を証しました。しかしイエス様が本当に主、または救世主であるということは、夢にも思わなかったのです。洗礼ヨハネは三十年の間、彼の生涯のほとんどを捧げて主のための道を準備してきながら、彼はしばしば人々の想像するように、主は素晴らしく見える人であり、外的にできないことがない人だろうと期待しました。様々な面で、主は実際の自分よりもはるかに優れていなければならず、はるかに崇高でなければならず、はるかに立派な人でなければなりませんでした。彼は、自分の親族が主になり、世界の救世主になるだろうとは夢にも思わなかったのです。
イエス様は様々な面で、ヨハネとは比較にもなりませんでした。洗礼ヨハネは信仰の道を歩み、高い教育を受け、人々に多くの驚くべきことを見せました。大工の助手であるイエス様からは、人々は何も特別なものは発見できなかったのです。
イエス様が洗礼を受けようと洗礼ヨハネの所に来たとき、洗礼ヨハネは霊的に感動してイエス様を証しました。洗礼ヨハネは、聖霊が鳩のようにイエス様の上に降りてくるのを見て、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイ三・17)という声を聞いたときは、イエス様を証しました。しかし彼が、元の精神状態に戻ったときは違いました。聖霊が自分から去ってしまうと、それは夢のようでした。
洗礼ヨハネの使命は、イエス様が来る時まででした。そしてイエス様を証したのちには、喜んで自分のすべての弟子を連れて、イエス様に従わなければなりませんでした。イスラエル民族はみな、彼のことを最も偉大な預言者であると信じました。ではイエス様を証したのちに、何が洗礼ヨハネをイエス様に従えないようにさせたのでしょうか。そこには大きな理由がありました。彼は、「イエスは庶子である」といううわさを聞きました。洗礼ヨハネは、イエス様のことを「いとこ」にも考えていなかったのです。彼の母エリサベツが、彼にそのように話したのです。
エリサベツとマリヤ、そして洗礼ヨハネとイエス様との間には、ある感情がありました。洗礼ヨハネは高等教育を受け、尊敬され、偉大な預言者として認められていましたが、イエス様は日常的な問題に対しても無知で、十分に教育も受けていない人として知られていたのです。
私たち人間は、どのような者として生まれたのでしょうか。神様の嫡子として生まれず、サタンの嫡子として生まれました。それが今までの内容です。このような内容を復帰するために、イエス様が来られたのです。このような使命を果たすために生まれたのです。
ユダヤの国は、どうなっていたのでしょうか。神様は、父母はいないけれど、子女の形態を中心とした家庭形態、親成形態、氏族形態、民族形態、国家形態をすべて築き上げていたのです。これが選民思想です。この選民圏を築き、そこに一つの主権を中心として、そこにメシヤが来て一つの国家主権さえもったならば、天と地が連結するのです。
国家を代表して、この基準を連結させるためには、復帰歴史なのでカイン的な、言い換えれば養子のような国家型であれば、その国家を収拾するためには養子の代表的な人がいなければなりません。それが誰でしょうか。養子代表国家の預言者として現れた人が洗礼ヨハネです。この洗礼ヨハネとは、どのような人でしょうか。アダムが堕落してサタン世界に引っ張られていきましたが、洗礼ヨハネは、再び捜し出されたアダム型の人物です。
その捜し出されたアダム型の人物とイエス様とを見るとき、どちらがサタンの防御陣をつくらなければならないのかというと、堕落はアダムがしたので、捜し出されたアダム型である洗礼ヨハネが完全に防がなければならないのです。これを完全に防いできていたならば、イエス様は堕落しない本然の息子の立場に立ち、長成期完成級を越えた神様の愛を中心として誕生した方なので、サタンの侵犯を受けないのです。
ところが洗礼ヨハネは外的基準において、堕落したアダムを復帰する使命を完結することができなかったのです。サタンを防ぎ民族を率いて、イエス様の前に屈服させ得る主導的な役割をすべきなのに、洗礼ヨハネが責任を果たせず挫折することによって、長成期完成級まで…。
長成期完成級、ここで堕落したので、イエス様はどこで生まれたかというと、堕落したアダムの基準以上の位置で誕生したのです。堕落する前、長成期完成級に上がったそれ以上の位置で、イエス様が神様と関係を結んだのです。しかしながら、蘇生、長成、完成級の圏内まで堕落の侵犯圏にあるので、ここにおいてサタンを完全に防いで神様のみが干渉できる、そのような権限を備えることができなくなるようなときは、この圏は再び、サタンの侵犯を受けることは自動的な結論なのです。
ところでイエス様が神様の愛する息子であるならば、なぜサタンから三大試練を受けなければならないのでしょうか。この完成圏を抜け出していなかったからです。完成圏を抜け出していたとすれば、サタンは神様の息子を試練することはできないのです。長成期完成級圏内から完成圏内に向かって乗り越えなければならないその基準で堕落して、三段階圏内が侵犯を受ける圏内にあるので、洗礼ヨハネが挫折することになれば、サタンはイエス様までも試練できるのです。イエス様までも打ちのめすことができるのです。イエス様までも堕落させることができるのです。
洗礼ヨハネを中心として、それをなぜ復帰しなければならないのでしょうか。それは縦的歴史を横的に展開させようというのです。今までイエス様とアダムは縦的でしょう?この縦的歴史を横的に連結しようとすれば、昔、堕落したアダムを復帰した型を横的な代表者として立てることによって、縦的歴史を横的に蕩減できる基盤が成立するのです。
なぜ洗礼ヨハネを選び立てたのでしょうか。縦的な歴史型を横的に蕩減するためです。横的に広がったこの地球星の上で、洗礼ヨハネが防御することによって、サタンが侵犯し得る圏を解放させることが目的です。それで民族を代表した代表者、国家を代表した代表者の権限をもってイエス様を証したのであり、イエス様に従うことができたのですが、洗礼ヨハネが責任を果たせなかったことによって、サタンがイエス様にまで再侵攻できる道を開いてしまったのです。これが、今まで数千年の悲運の歴史を延長させた原因になったのです。