イエス様の生涯と愛 第54話

イエス様を不信したユダヤ民族

今日、キリスト教がメシヤの来臨を望んでいることは、あたかも今から二千年前にユダヤ教徒がメシヤを待ち望んだことと全く同じ立場です。今日のキリスト教について見れば、二千年間、メシヤが来ることを待ち望んできましたが、ユダヤ教からすれば、天は四千年間、数多くの預言者を送って犠牲にしながらメシヤを遣わすことを約束したのです。

神様がメシヤを遣わすことを約束したので、その民族は四千年間、その方が来ることになれば鉄石のように固く一つになり、神様のみ旨を成し遂げようと誠を尽くして信じてきたのです。

そうして神様は、メシヤたるイエス・キリストを約束どおりその民族に送りました。また、約束どおりその民族は、受け入れなければならない立場に立っていました。ところが、メシャが来ることを望んでいた民族が、メシヤを受け入れるどころか、むしろ迫害して捕らえ、殺してしまいました。それはなぞではないでしょうか。

例えるならば、今日、キリスト教徒が主メシヤが来ることを待ち望んでいるところにメシャが来たのですが、そのキリスト教の最高指導者であるローマ法王や、カーディナル(枢機卿)、ビショップ (司教)、牧師のような者たちが総動員して、メシヤを捕らえて、殺したことと同じなのです。そのような結果をもたらしたのです。簡単に「死ぬために来た」ということは通じないのです。理論的に合わないのです。死ぬためならば、何をしに来るのでしょうか。四千年間、数多くの預言者を殺し、イスラエル民族をあれほどまでに苦労させて送ったメシヤが、死ぬために来たのでしょうか。

ですから今からは、ユダヤ民族があれほどまでに待ち焦がれたメシヤを神様が送ってくださったにもかかわらず、どうして彼らは捕らえて殺したのかを、はっきりと知らなければなりません。

なぜ捕らえて、殺すことになったのでしょうか。第一に、旧約聖書が捕らえて殺すようになっています。なぜでしょうか。旧約聖書のマラキ書は、新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書第四章5節以下を見ると、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と明確に預言されています。

エリヤというのは、イエス様が来られる九百年前に火の戦車に乗って昇天した人です。神様が、この民を愛し、このように時を決めてエリヤを送ってあげようと言われたので、火の戦車に乗って天に昇ったエリヤが先に降りてくるだろうと思っていたのです。

エリヤが再び来ると聖書には固く預言されているのに、エリヤは来ませんでした。聖書というのは、どのような本かというと、四千年間イスラエルの民族思想の基調になり、ユダヤ教の信仰の中心になっており、四千年の間、命のすべてを注いで信じてきた本です。そのような聖書を、イエス様の話を聞いて捨てられるでしょうか。

主が雲に乗って天から降りてくるのを待ち望んでいるのに、ある人が来て「私が主だ」と言うことと同じです。それを今のキリスト教が信じられるでしょうか。

そのような事件ゆえに、イエス様はひどい目に遭ったのか、遭わなかったのかということを、イエス様のみ言を通して調べてみましょう。マタイによる福音書第十七章10節以下に、次のような場面があります。イエス様の弟子たちは、聖書をよく知りません。無知の者たちがみな、イエス様は救世主だと信じて伝道に出掛けたのです。

「メシヤが来たので、メシヤを信じなさい」と言うときに、信じない祭司長たちが「お前たちの先生がメシヤなら、聖書のマラキ書には間違いなくメシヤが来る前にエリヤを送ってくださるとあるのに、そのエリヤはどこにいるのか」と言ったのです。無知の弟子たちは分からないので、イエス様に尋ねる場面が出てきます。

もしエリヤが来たとするならば、イエス様は目の不自由な人でもよく、耳の不自由な人でもよく、足の不自由な人でもよいのです。エリヤが来なかったがゆえに問題なのです。

聖書には次のようにあります。「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。・・(中略)...』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ一七・10~13)

洗礼ヨハネがエリヤですか。皆さんならば信じますか。エリヤは来ていなかったのですが、エリヤを洗礼ヨハネに取って付けたのです。「お前が、洗礼ヨハネのことをエリヤだといって取って付けたのは、メシヤを装った詐欺師だからだ」というのです。

そうしてイエス様のことを、四千年間、神様が立てられたイスラエル選民を滅ぼし、イスラエル、ユダヤ教を滅ぼす頭だ、ベルゼブルだと決めつけてしまったのです。

Atsuki Imamura