真の父母経 第153話
真のお父様が食口たちに送られた手紙
16 孝元氏と食口の皆さんへ。この期間、みなお元気でしたか。皆のことを遠くから慕っています。もうお別れをしてから二十数日がたちました。金浦空港を出発した日、多くの食口たちの大々的な歓送を受け、過去と今と未来を心の中で思いつつ、感慨無量でした。千人以上の若者たちが、一人の師に誠心のこもった歓送の思いを表してくれたことに対し、天のみ前に感謝すると同時に、それがただ天の栄光になることを願い、心で申し訳ないという思いを抱きました。食口たちの前で手を振りながら、振り返って別れを告げる時の決意は、今も心の中にみなぎっています。立派に闘うことを願う思いと、今回の巡回に天が定めた高い意義を心に抱きながら広場を回り、デッキに出て手を振ったことが鮮やかに心に残っています。最後に搭乗台に上がる時、故国の地を見つめながら、「四十数年の歳月を共にした故国の地よ、元気でいなさい!」と思い、感謝しながら、何とも言えない感慨を覚えました。
「故国の地よ、食口たちをしっかり養育し、しっかり守ってほしい!」と心から念を押しながら、搭乗台に上りました。同時に、食口たちの歓声の高まりに対して、心の中の祈りで答えながら飛行機に乗り込みました。もう少し、食口たちのほうを向いて眺めようとしたのですが、乗務員の勧めに従い、そのまま中に入ってしまいました。席に着き小さな円形の窓から外を見ながら、二ヵ月間、元気でいることを祈るばかりでした。出発時間になって飛行機が動き始め、食口たちの姿が見えなくなって数分後、離陸しました。
飛行機は、金浦空港を離れて次第に高く上がり、一万メートル以上の上空に高度を定めて東京に向かいました。韓国という故国の地を通り過ぎ、日本の地が見え始めると、すぐに時間となり、東京着陸の信号とともに到着しました。大勢の日本食口の歓迎を受けながらデッキを降りる際、深まっていくたそがれに、羽田飛行場のネオンサインと赤い電気の光が刺激的でした。次の瞬間、日本の食口全体が先生に気づき、大きな歓声で迎接エリアの前のほうに押し寄せる中、返礼の意を表し、空港の税関を通って出口に進むと、食口全体の出迎えに囲まれてしまいました。その後、高速道路を走り、四十分で東京の教会本部に到着しました。道路の周辺を見回してみると、二十数年前からは見違えるほど発展した様子を窺うことができました。
食口全員が参加する中、歓迎集会に臨み、初めて日本語で所感の一端と日本食口たちの新たな覚悟を深めるみ言を伝え、十二時過ぎになって東京での生活に入りました。その後、十五日間は巡回期間として忙しい日程を組み、日本全国を巡回して、十二日にアメリカに向かいました。到着は、十二日の朝五時頃でした。
異色な風情を感じながら、歓迎に出てきたアメリカの食口たちと喜びの中で会い、自動車で空港をあとにして教会に着き、食口の前で挨拶の言葉を述べて歓迎和動会を終え、アメリカでの生活を始めました。多くの名勝地と重要な都市を選び、数日が過ぎて、ようやく遠く韓国を思い、食口たちの名を呼びながらペンを執りました。
天の加護があることを祈るばかりであり、複雑な日程を送り、多くの苦労をしながら過ごしていると思いますが、心配はしないようにします。十九日からサンフランシスコを発ち、全米のすべての州を巡回する路程を出発して、ワシントンDCには三月二十四日か二十五日に到着する予定です。アメリカの巡回に四十日近い日程が必要になるでしょう。この期間の日程表はサンフランシスコから送りますから、便りを伝えようとするときは、そこの住所に手紙を送らなければなりません。そのあとの日程は追って知らせますので、そのように承知して、苦労が多いと思いますが、耐えながら、大きな使命に誠心を尽くしてくださるように願います。食口の皆さん、お元気で。一九六五年二月十五日、サンフランシスコにて。
17 食口の皆さんへ。故国が平穩であることを、皆さんが伝えてくれた知らせを通して、よく知っています。先生が出発する時、故国の山河は冬の季節でしたが、今は春も過ぎ、夏の季節になりました。既に六ヵ月がたちました。自然が移り変わっていくように、み旨の道も移り変わっているだろうと思いながら、はるか遠い三千里の山河、故国を慕わしく思います。四十年以上の生涯を涙と血と汗でぬらしながら手にしたその地と民族、その中でも、食口たちをどうして忘れることができるでしょうか。将来の平安な祖国と食口たちの安泰を、夢にも忘れることができません。いくら外国の文化が優れ、偉大だとしても、心情を通して連結したその崇高な力の前には、自然と頭が下がる思いがします。共に苦労しながら交わした情と、何にも増して強い力は、時代と世界を超越して存在することを痛感しています。そのような私が、どうして故国の山河を忘れるでしょうか。
以前に先生が全国を巡回しながら祈っていた心情と、いかなる他国でも見いだせない痛切な思いを、様々な国々を訪問するほど体験するだろうと思います。日本とアメリカを訪ねていくとき、私たちの先祖たちが責任を果たせなかったことを感じれば感じるほど、子孫である私たちの時代にその責任を蕩減しなければならないことを思いながら、現在の統一食口の立場がそうであることを知っています。
しかし、どれほど長く忍耐して闘っていかなければならないのかを思うと、私たちの行く道で、再び十字架を目標としなければならないことを、より一層感じます。けれども、私たち民族の悲惨な歴史より、天の悲惨な歴史がもっと大きいことを感じます。天宙のための役軍である統一信徒たちが行く道を見つめるとき、私たちの哀れさも大きいですが、私たちを指導し、導かれる天のお父様の苦痛と悲しみがどれほど大きいかを、誰が推し量れるでしょうか。天と地に大きな過誤をもたらした人間の責任が私たちにあることを思えば、心苦しく、焦るような思いで喉が締めつけられ、思わず涙したくなります。
しかし、再び行かなければならない道で、上がるか下がるかの運命を決しなければならない祭物的立場にいる私たちは、四方を見渡すのではなく、祭壇から離れてはいけない犠牲の祭物であることを忘れてはいけません。韓国の困難もありますが、世界のより大きな困難が残っていることを知らなければならない私たちなので、国家的十字架も私たちが忍耐して背負い、世界的ゴルゴタまで越えて意気揚々と前進しなければなりません。私たちに残された国家的十字架と世界的十字架に向かって勇進する若き闘士たちにならなければなりません。
私は、外国を巡りながら、今後の計画のために世界的基盤を準備しなければならないことを痛感し、日本とアメリカから青年たちを各国に派遣するつもりです。今年中に十二ヵ国以上にならなければならず、さらには、早く二十ヵ国に広げなければなりません。外国の青年食口たちが本国の青年食口たちに負けないと決意するのを見て、天のみ前に感謝しています。私は今、ワシントンDCでブラジル宣教師の任務を携えてきた日本の青年を見てうれしく思っています。彼は二一歳の青年で、言語も全く分からない中、命を懸けて他国に向かうのですが、その統一青年の勇気をうれしく思うのです。
本国にいる食口の皆さん、本国の威信と体面を立てるためには、国内だけでも天的な要求に臨む責任を果たしてくれることを、外国の食口たちは切に願っています。本国は、苦労の汗と涙と血を流した十字架の道を行く手本を、全世界の統一青年たちに伝統として残してあげなければなりません。私たちには、それ以外に必要なものは何もないのです。しかし、これ以上に貴い宝がどこにあるでしょうか。忍耐して、また忍耐して歩んでいけば、光明のあすが私たちを待っています。本国の旱魃が厳しいようですが、私たちは、そうであるほど忠誠を果たすべき道が訪れてくると思って越えていかなければなりません。ですから、先生は最も暑い季節に出発しようとするのです。外国の地で熱い汗を流しながら、故国の地で苦労する食口たちの汗と困難を体験したいと思います。
あすは七月一日ですが、これからアメリカでの生活が半分くらい残っています。私は食口たちの将来と天の責任を通じた忠誠を、世界の至る所で輝かせてみようと思います。外国歴訪は、全体が共にあることを手紙で伝えて出発します。天の保護が私よりも食口の皆さんにあることを願うばかりです。
紙を書いてみるとまた苦労しなさいと書いてしまいました。しかし、行くべき運命なのですから、どうすることもできません。師の道と父の道を相続する人たちの世界は、私たち韓民族に向かって訪ねてきているではないですか。耐えていきましょう。精いっぱい忠誠を尽くしましょう。
また、夏季伝道期が訪れます。三年路程と四年路程が私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。今、韓国の事情と世界の事情を見て、耐え忍び、死なずに残って、称賛される人になることを願います。これから出発すれば、十月の中旬くらいに祖国に到着します。大勢の食口たちから手紙をもらいましたが、返信できないことを理解してください。外国の知らせを伝えることができないことを了解してください。書きたいことはたくさんありますが、送別の時間になり、先生の登壇を告げる賛美の声が聞こえてきたので、これで筆を置くことにします。
ソウルの報告によれば、食口たちが一生懸命に活動しているとのことですが、そのように一生懸命に活動する食口たちに感謝します。再会する時まで全員が健康であることを願い、天的な使命に忠僕となることを願います。乱筆をお許しください。常に平安であることを願います。食口の皆さんへ。先生より。一九六五年六月三十日、ワシントンDCにて。
真のお父様が興進様に送られた手紙
18 興進!気品があり、熱い心をもっている私たちの興進。お父さん、お母さんに会いたいだろう。お父さん、お母さんは興進のことを一番愛しているよ。だから、本当に会いたいな。今はアメリカで、韓国に一番近いサンフランシスコに来ている。二十六日にはニューヨークに行くよ。兄弟姉妹同士で愛し合いながら、元気にしていることだろう。お父さん、お母さんが帰る頃には、随分大きくなっているだろうね。勉強を一生懸命にして、お兄さん、お姉さんに自慢しなければならないよ……。ハンサムな興進だから、そのようにすればどれほど格好いいだろう!クリスマスと新年に、たくさんの福があるように。本当に会いたいよ。それでは、元気でね。一九七二年十二月二十四日、サンフランシスコにて。
真のお母様が孝進様に送られた手紙
19 孝進、会いたいな。いつでも呼んで、思い出し、走っていって抱き締め、放したくない、良い子でかわいい、大切な、愛する息子。あなたたちの父母を愛する天の心もまたこれと同じなのですから、孝進、少しの間、離れ離れですが、あなたたちは幸せな天の息子であり、娘です。寝ても覚めても、いつも小さなものから大きなもの、小さなことから大きなことについて天と相談し、天を前に立てて生活するあなたたちになってこそ、さらに大きな祝福と愛が共にありますよ。私たちの孝子、孝進!天の孝子であり、地の孝子であり、全宇宙の孝子、孝子の手本になる私たちの善良で賢い孝子である孝進、愛しています。
この前の子供の日、電話でだったけれど、あなたの凜々しく成長した姿を感じることができました。お父さんとお母さんは、み旨に従っていつも忙しい生活で、あなたたちと過ごす時間が少なくてとても残念だけれど、お母さんもお父さんもあなたがいるから、頼もしく思います。孝進、あなたは普通の子たちとは違います。ほかの子たちと一緒にいても、あなたの根本を、天の品位を損なってはいけません。ですから、他の人よりもさらに一生懸命に学び、努力して、あなたの実力を豊かに育まなければなりません。そのようにしようと思えば、他の人が眠る時もあなたは努力しなければならず、一分一秒が惜しいことを感じなければなりません。世の中の有名だというあらゆる博士たちを、越えなければならないでしょう。孝進なら、やれば何でもやり遂げることができますよね。お父さん、お母さんは、いつもあなたを誇らしく思っています。近いうちにまた会ったとき、お父さん、お母さんをたくさんたくさん驚かせてくれますか。
孝進、写真を何枚か送るので、興進と一緒に見てね。興進のことを、たくさんたくさん愛してあげてね。あなたはお兄さんだから、お父さんの代わりでしょう。おいしいものがあったらまず興進にあげ、良いものがあれば弟を思って世の中にまたとないお兄さんであり、弟でしょう。「お父さん、お母さん、僕よりも弟の興進をもっと愛してください」と言えなければならないでしょう。格好いいお兄さんになるよね。すてきな服を着て、ハンサムなだけが格好いいことではありません。これはすべて殼です。心が、心のもちようが立派であってこそ、本当に格好いい人です。孝進はよく分かっていると思います
お父さん、お母さんはあなたに対して、大きな夢をもっています。格好いい人、本当に格好いい孝子、孝進になってほしいという夢です。お母さんは待ちながら、いつも祈っています。健康でいてください。元気でね。一九七三年五月十二日、ベルベディアにて。