真の父母経 第144話
23 お父様は、私たちの教会がある所に行くたびに、「これからアベル的な存在の基盤を復帰しなければならない」と祈ります。このための摂理的な計画によって、聖地を選定してきました。
聖地を選定することは、環境復帰の基盤を整えることでもあります。ですから、それぞれの場所にアベル的な財政支援をしなければなりません。それで、訪ねた国ごとに貯金をしてあげました。アメリカに行けばアメリカのお金で、日本に行けば日本のお金で、ドイツに行けばドイツのお金で、預金通帳をつくってあげました。
その通帳に預金できるというのは、子女が、万物と向き合える心情的な関係に同参(一緒に参加すること)できる特権を父母から付与されたのと同じです。皆さんがお父様の行く道に同参するのは、世界史的な誇りです。それは、物質復帰のためのアベル的な祭壇を築くときに重要な条件になります。
24 世界四十ヵ国の百二十ヵ所に設定した聖地では、火が消えてはいけません。そして、韓国が一つの放送局になり世界に電波を送らなければなりません。韓国から電波を送れば、世界の聖地でその電波を受信し、天のみ前に感謝と頌栄を捧げることができるのです。聖地は、神様の地上の哨所(先鋒の施設)であるにもかかわらず、その哨所を守る人がいません。統一教会の預言者や食口たちは、神様のみ前に悲しみの群れとなってはいけません。聖地に対する神様の思いはこの上なく深いのに、子女たちが現れないので、神様の心はどれほど悲しいでしょうか。聖地に対する神様の悲しい気持ちに対しては、皆さんが謝罪することもできますが、神様のみ前に忠孝の道理を立てると約束しておいて、その約束を履行できず、神様がそれによって悲しみを感じるようになるときには、取り返しがつかなくなります。このようになれば、再び忠臣、烈女になることができないのです。
日本第一次巡回
真のお父様御一行は一九六五年一月二十八日、第一次世界巡回の最初の地である日本の羽田空港に到着し、日本の食口たちから熱烈な歓迎を受けられた。この日、日本の本部で歓迎大礼拝が行われた。翌日、真のお父様は、統一旗を日本教会に授与され、統一教会の印を押したハンカチを全員に下賜された。その後、東京と名古屋などの地を歴訪しながら聖地を選定され、二月十二日の午前、アメリカに向かわれた。
25 お父様は、日本を離れてから二十年ぶりに日本に来ました。日本についての思い出がたくさんあります。命を懸けてこの道を出発し、今まで歩んできました。何度死ぬ覚悟をしたか分かりません。悲惨な死の状況に直面したときに、どのような態度を取るかを決定してから出発したのです。私が韓国で今までこのようなことをしてきたのは、食べるものがなかったからではありません。名誉に駆られてではありません。誰かが慕わしくてではありません。ただ、神様と神様の心情を知っているからなのです。
26 世界の人類全体ができないことを、日本の国民が先頭に立って行えば、日本の国民は世界をリードする国民になります。そのような人格にふさわしく、そのような理念をもって、神様の心情を体恤しながら暮らす人は、神の国に残り得る天国の民です。
まず、日本を復帰しなさいというのです。お父様以上に国を愛してください。お父様が愛する以上に世界を愛してください。お父様が愛する以上に父なる神様を愛しなさいというのです。もし、皆さんの前でお父様が倒れても、泣いてはいけません。お父様が愛する神様を誰が愛し、お父様が愛する人類を誰が愛し、お父様が愛する天宙を誰が愛し、お父様が担っている責任を誰が担うのかというのです。そのように愛することができない立場で、神様に嘆いてはいけません。これが、皆さんに残したい言葉です。
27 お父様は、皆さんに会い、皆さんの苦労をたたえ、涙で「立派だ」と言ってあげたいのですが、まだ言うことができません。闘って疲れている皆さんに、「さらに行かなければならない」と言いたいのです。私たちの道は、世界的な城壁を積み上げていくものです。それは、私たちの血と肉で積み上げなければなりません。(ですから、)皆さんに「十字架を背負いなさい」と言うのです。死ぬ場に出ていきなさいということです。神様が闘志に満ちた心情をもつ勇士を送り、打ってまた打っても終わらないサタン世界です。六千年の怨讐です。人類の怨讐であるサタンをこの手で屈服させなければなりません。私たちが神様の子女として生活してきた忠孝と、私たちが残した功績に対して、すべての万物が公認しています。その公認の価値は、いかなるサタンでも讒訴できません。このような立場に立って闘う一人の人が日本にいるとすれば、神様は日本を捨ててでも、その一人を選ぼうと言われるでしょう。世界にそのような一人がいるとすれば、世界を捨ててでも、その一人を選ばれるのです。
28 お父様は、日本の地に足を踏み入れたとき、心の中で「神様の心情にふさわしい、真をもった私を迎え入れる人がいれば、その心情を神様が記憶してください」と祈りました。私は、いまだに行かなければならない十字架の道を残しています。この十字架の道で、兄弟たちの迎え入れる心が衰えることはないと感じました。
私たちは、神様の世界、希望の一つの世界、神様が理想とされる目的の地を建設するまで、涙で歩まなければなりません。歩む道には、蕩減もあり、茨の道もあり、崖道もあるでしょう。一発の砲弾となって敵中に飛び込んでいかなければならないこともあるでしょう。しかし、私が逝ったあと、「誰がこの心情を引き継いで歩んでくれるのか」と尋ねる神様を刺激できる勇猛な心をもって歩む人がいるとすれば、その人は人生路程における勝利者です。私たちはいつでも、「神様の目的に応えているか、その真ん中に立っているか、すべての生活がその目的に向かっているか」と、自らを分析してみなければなりません。
そこには、神様の願われる世界だけが存在しなければならず、神様との関係だけが存在しなければならず、その意味だけが存在しなければなりません。神様に対する希望、神様に対する事情と心情だけが存在しなければなりません。神様を中心とした独立性と融合性、統一性だけが存在しなければならないというのです。そのような人間になれば、その人は世界をリードすることができます。
29 私たちは、日本に与えられた使命に対して、責任感をより強くもたなければなりません。天を代表する人に、「平安に暮らしたい」という考えは決して許されません。神様がどんな願いをもっているのか、直接体験しない限りは分かりません。自分が死ななければ、その心情を知ることはできず、苦労を通してのみ、それが初めて分かるのです。神様の心情の中に生きる人にならなければなりません。お父様は、全世界が反対しても、必ずこの道をかき分けていくでしょう。一人でも闘うという決心が既にできているのです。
北米巡回
真のお父様は、一九六五年二月十二日、アメリカのハワイ、ホノルルを経由し、十三日にサンフランシスコ国際空港に到着された。そして、三月二十九日までの四十三日間、アメリカの四十八の州を走破される旅程の中で、五十五の聖地を選定された。また、三月三十一日に再びワシントンDCに到着したのち、三ヵ月間の滞在中、アメリカ全域にわたる宣教基盤の確立と、世界十二ヵ国の宣教地のために陣頭指揮を執りながら、具体的な方法を練られた。そして、二十一日修練会などに参加した食口たちに、多くのみ言を語られた。六月二十五日には、ペンシルベニア州のゲティスバーグで、アイゼンハワー元大統領を表敬訪問し、会談された。
30 お父様は、外国人はあまり泣かないと思っていました。ところが、アメリカに行ってみると、むしろもっとよく泣くというのです。私が何時に到着するか分からないのに、その日に来るという知らせだけを聞き、飛行場に来て一日中待っていたのです。待ちわびて気持ちが高ぶっていたのか、お父様が到着して飛行場にゆっくり現れると、待っていた人々の中には、泣く人、笑う人など、様々な人がいました。
文化が違い、歴史が違いますが、同じ統一教会員になってみると、笑うのもみな同じであり、泣くのもみな同じでした。笑うときに歯が見えて、泣くときに涙を流すのも、韓国人と大差なかったというのです。
31 私はアメリカにおいて、四十三日間で四十八の州を巡回しました。一日に七百キロメール以上、車で走らなければなりませんでした。サンフランシスコでは、ツインピークスという名の聖地を選定しました。母の聖地と父の聖地です。アメリカ全体で、五十五ヵ所の聖地をつくりました。その聖地を守る人がいません。聖地を守る人がいないので、統一教会が発展できないのです。
一週間のうちに、東部で大会を行い、西部でも行いました。三日に一度ずつ、東西を行き来しながら行ったのです。車に乗って、ロッキー山脈を一週間に一度ずつ越えました。アメリカに愛国者がいたとしても、私に学ばなければなりません。私の記録を破ることはできないのです。
エピソードもたくさんあります。ホテルに行って眠るのではなく、車の中で眠り、砂浜があれば砂浜で眠ったりもしました。眠りから覚めて、寝袋から顔を出すと、星が光り輝きながら「ぐっすりお休みになりましたか」と言うのです。そのような時でも、夢を多く抱いていました。
32 アメリカの四十八の州を回る時、食パンとベーコンだけを持って回りました。それを一食に一切れずつ食べたのです。パンとベーコン、それからキムチです。若い人なら一食に三つずつ食べても足りないのですが、一つずつしか食べませんでした。逸話がたくさんあるのです。
夜十二時頃になると、早朝五時に起きなければならないので、三時間眠るためにホテルに行くことはできません。ですから、「車が故障した」と言って、道端に車を停めて休むのです。道端で一眠りすればよいのです。四人なので、ホテル代が一人、八十ドルだとすれば、三百二十ドルを節約できます。それだけあれば、一週間食べて暮らせるというのです。そのように節約しました。
そのようにしながら、いくら大変でも、一日に七百キロメートル走らなければなりません。千三百キロメートルまで走ってみたこともあります。そのようにして、四十三日間で四十八の州を巡回したのです。
33 お父様は、アメリカに行った時、民主主義思想を基盤としてつくられたアメリカ文化を見て回りながら、「全世界に号令をかけることができる中心本部が正にここだ。これから創建する新しい文化世界は、ここを踏み上がることができる世界でなければならない」と考え、そのために祈りました。
なぜ、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを誇るのでしょうか。これは、流れていく一時代の自慢の種にはなり得るかもしれませんが、新しい世界を創建するときには、一つの立て札にも、塔にもなれないのです。新しい福地の文化を中心として、新しい世界、新しい歴史を創建しようとされる神様の願いは、それよりもっと高い境地にあるというのです