真の父母経 第143話
12 統一教会がしようとすることは、イエス様がこの地に来てしようとしたことです。イエス様が探し出そうとした個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成の基準、すなわち神様が探し出そうとされた家庭と氏族と民族の基準を、私たちが広げてきました。そして、百二十四家庭を韓国の各地に配置しながら、聖地を選定してあげたのです。
その聖地を中心として、一体的な関係を備えていきながら、使命を果たすことを要請しました。このようにすれば、個人的な使命を果たしたことが基準となり、世界史的な全体の責任を中心として、世界と連結される勝利の時代が訪ねてくるようになります。それで、ソウル地域に東西南北の四大聖地と中央聖地まで、五つの聖地を選定したのです。
このようにして、世界と連結される勝利の時代が来たので、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日を期して、ソウルの五ヵ所の聖地から土と石を採って、外国に持っていく準備をしました。この土と石は何でしょうか。アダムが堕落することによって、神様はアダムだけを失ったのではなく、世界をすべてサタンに奪われました。しかし、今や神様が訪ねてくることができる勝利的な基盤が整えられたので、地を取り戻せる時代圏内に入ってきました。ですから、聖地にある土と石は、神様が臨在される基盤になるのです。ですから聖地を宣布したのです。
13 聖地を条件にして、三千里半島を愛さなければなりません。この地で暮らしたいと思い、この地で汗を流したいと思わなければなりません。この地に血のにじむ歴史の伝統があることを知って、父を記憶しなければならないというのです。祝福を受けるのは、途方もないことです。祝福を受けた人は、神様に代わって、「私が決めれば天宙も従う」という思いをもち、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が具備されて、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。
聖地と聖物を守ることができなければなりません。これらを守ることに総力を傾けなければなりません。祝福を受けた家庭を貴重に思わなければならないのです。祝福家庭は、皆さんが守らなければならないというのです。高潔に生きて死ぬことができる、神聖な地を探し求めなければなりません。聖地と聖なる民を、早く復帰しなければならないのです。
14 神様と人間と聖地が一致すれば、どのような関係が広がるでしょうか。堕落する前のアダムとエバが復帰された基準を立てることができるようになります。聖地を選定することはエデンの園で失われた人と地と万物を復帰できる地を備え、人を探し出し、神様と向き合える焦点を決定することです。
また、聖地を決定すれば、どのようなことが起きるでしょうか。アダムとエバが堕落する前は、霊界が正に天使世界でした。天使世界は、アダムとエバが早く完成し、神様の愛を受けられる生活圏内に入ることを願っていました。天使世界は、アダムとエバを協助し、アダムとエバが神様の子女となり、神様を中心とした家庭を形成して、神様の愛を受けられる平和の基盤を築くことを願ったのです。ですから、聖地は神様から祝福を受けた家庭のように聖別された所なので、そこに霊界が協助することができるのです。
15 今後、民族的な運勢とともに、世界的な運勢が歩調を合わせていく時が来ます。ですから、韓国の首都ソウルで選んだ聖地を、世界的に連結するのです。国内だけでなく、世界的に連結するのです。このように聖地を選んだ基盤の上に、神様が愛する息子、娘を送れば、神様をお迎えできる基盤を築けるようになります。そのようになれば、霊界が協助しなければならないのです。
世界の国々を歴訪しながら聖地を選定しておき、統一信徒たちを一日も早く配置しなければならないと考えました。ここに配置される人々を、復帰されたアダムとエバの基準に立て、今まで霊界が接し得なかった基準を蕩減させるでしょう。そうすれば、地上で横的な闘いを展開できるようになります。天使が堕落させたので、天使たちがこの地に来てサタンを追放するために、協助しなければなりません。これが蕩減復帰の原則です。霊界を動員し、地上からサタンを追放しなければなりません。
第一次世界巡回で百五ヵ所の聖地を選定しました。聖地を百二十ヵ所、選定しなければなりません。これによって天の領土が生じるのです。このように聖地を祝福することによって、国家主権が天の側に越えてくるようになるのです。
16 人を探し出したあとは、地を探し求めなければなりません。お父様が四十ヵ国を巡回した理由は、聖地を選定するためでした。韓国で堕落前の基準を立てたので、聖地を選定することができたのです。世界四十ヵ国で百二十ヵ所の聖地を選ばなければなりません。百二十家庭は、百二十ヵ国を象徴します。韓国では七十数を中心として、七十二ヵ所を探し出して条件を立てなければなりません。アメリカよりさらに多くの聖地がなければなりません。聖地が選ばれたということは、人間を創造する前に地を造ったのと同じ立場です。ここに聖徒が立てば、人間と地が創造されたのと同じです。ですから、天使世界と霊界が協助せざるを得ません。それゆえ、百二十ヵ所の聖地をもつことは、百二十ヵ国の領土をもったことになるのです。
17 百二十四家庭を祝福することによって、イエス様が願われた相対的な理念を取り戻した基盤ができました。それによって、人間をすべて取り戻した基準ができたのです。その次に、万物を取り戻すべき立場に立ちました。このような立場で、四位基台を中心として、世界の国家を代表した四十ヵ国に百二十ヵ所の聖地を定めました。
四十ヵ国を中心とした百二十ヵ所の聖地は、百二十ヵ国を象徴します。それは、お父様が四十歳の時、すなわち一九六〇年に聖婚式を行ったので、四十年を代表したものです。その四十歳を基盤として、世界的に百二十ヵ国と連結させたのです。四十ヵ国で百二十ヵ所の聖地を選んだということは、世界的百二十ヵ国と私たちのみ旨が、物質的関係において一致したことを意味します。万物を復帰できる条件を立てたというのです。
それによって、統一教会は、神様が取り戻そうとする息子、娘を探し出し、氏族と民族を代表する代表者を探し出し、世界を代表する人を探し出し、万物を代表する聖地を探し出したので、ここから天の国の運勢は、統一教会を中心として回り始めるようになったのです。
18 世界的に百二十ヵ所の聖地を選定しましたが、その時、お父様と崔元福(チェウォンボク)、金永雲(キムヨンウン)、崔奉春(チェボンチュン)がそこに参加しました。摂理的に見れば、崔奉春はエバ国家である日本を代表し、金永雲は世界的な天使長国家であるアメリカを代表する立場で、アダム国家を中心として四位基台の型が備えられたので、この四人が世界を巡回することになったのです。
そこにおいて、男性がエバ国家の立場になり、女性が天使長国家の立場になりました。このように互い違いになったというのです。それは、内的なアダムとエバを象徴的に合わせておいたのです。
このように重要な巡回が第一次世界巡回路程でした。その時、世界を巡回しながら、主にその国の中央官庁や博物館を訪問しました。歴史と現実の主権とを結びつけて見てみようとしたのです。
そのようにしながら、韓国から持っていった石と土を聖地の至る所に埋めて、その国の石と土を持ってきたのです。韓国から土と石を持っていったというのは、み旨を中心として「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めた勝利的基盤全体を持っていったのと同じ結果になります。それをそこに埋めたというのは、その国に福を運んであげたのと同じです。また、そこから持ってきたというのは、韓国がその国とやり取りできる恵沢圏内に入る道を開く基盤になるというのです。
19 お父様は、なぜ世界を巡回したのでしょうか。今まで勝利した基準を、世界的に分配してあげなければならなかったので、世界巡回を行ったのです。韓国で成し遂げた使命は、韓国を中心とした勝利的基準なので、それを世界の全人類に分け与えなければなりません。
聖地を決定すれば、堕落する前の天地が生じた基準と同じです。人間を創造する前に、万物が生じたのと同じです。ですから、霊界が地上に役事(働き)する基台が成立し、そこにアベル格であるアダムの勝利圏、堕落していない心情基準をもった私たちの天の子女を送れば、その人を中心として、み言の実体再創造と心情基準の出発が成し遂げられます。それで、世界的に宣教師を早く送ろうとするのです。
20 お父様が聖地を選び、祈ることができる地を定めておきました。追われ追い回されるとき、祈る所がなかった私たちにとって、神様のみ前に訴え得る聖地が選定されたということは、歴史的であり、世界的な勝利の立て札を立てたことになります。このような基準を拡大するために、一九六五年に世界を歴訪しながら、四十ヵ国に百二十ヵ所の聖地を選定しました。多くの経費を使いながら、様々な国に聖地を選定し、そこの石と土を韓国に持ってきたのですが、(それは、)そのようにしなければならない神様の摂理があるからです。このようなことは、歴史にないことです。
このようなことをするのは、天地の運勢に拍子を合わせ、神様の摂理的なプログラムに合わせるためです。四十ヵ国、百二十ヵ所の聖地は、神様の選民圏を守ってくれる地です。この地は、肉身をもった人々が守れないとしても、霊界の霊人たちが守ってくれます。神様が共にいらっしゃることのできる立て札を打ち込んで闘える基盤をつくり、民族復帰運動の闘いを勝利に導く基点を立てるためのものなのです。
21 私が聖地を探し出すのに一番難しかった所は、レバノンのベイルートでした。ベイルートの海辺は、軍隊が守っていました。軍隊が守っているのに、午前三時に月と星が輝く天を見ながらそこに向かい、ベイルートの海岸地帯に聖地をつくりました。中東で聖地をつくった所が、レバノンとシリアです。
シリアの聖地とレバノンの聖地をつくるために、夜にこっそりと、誰にも分からないように四人が入って聖地の選定をしました。そして、イスラエルのエルサレムまで行って聖地をつくりました。闘いの中でも、これほどの闘いはないという激戦の途上で、聖地の境界線をつくったのです。
22 シリアに行って聖地を選ぶときは、七時間以上かかりました。ですから、世界の聖地の中で最も印象に残っている所がシリアです。そこに行った時、東ヨーロッパを中心とした国際博覧会が開かれていました。そこで、ソ連の衛星国家が自国の産物を展示していました。私はソ連の展示館に入ったのですが、その時の印象が忘れられません。
昼には聖地を選ぶことができず、夜に選んだので、多くの時間を消耗しました。昼に道で立って祈るキリスト教徒がいれば、人々が石でたたき殺そうとするのです。それで、一緒に座っていたセルビア人の助けを借りて聖地を選定しました。このように聖地を選んだのが、ついきのうのことのようです。