真の父母経 第130話
天国実現
11 一九七五年は、「天国実現」という表題を掲げて歩まなければなりません。皆さんは、このみ旨に従って、どのようにしなければならないのでしょうか。これからは、何が一番早い道でしょうか。世の中に出掛けていって伝道して回る必要はなく、すべて自分の故郷に帰りなさいというのです。故郷に帰って、世の中で働いていたより、もっと一生懸命にやりなさいというのです。もう少しだけやれば発展します。これを知って、家庭を中心として氏族を糾合し、民族を糾合できる道に従って、進まなければなりません。
一九七五年からは、これが完成的な基準なので、自分の氏族に平面的な基準で接触できる時が来ます。ですから、今後はすべての道が容易に開かれるだろうと見るのです。皆さんがどれくらいの版図で天国実現を可能にするかによって、天の国にとどまる皆さんの所有権が決定されるのです。誰であっても、実践する人に与えるというのです。皆さんが天国実現に対する新しい方案を中心として、実践しなければなりません。
12 一九七五年の標語を「天国実現」と定めたのですが、私たちがすべきことは、天国を実現することです。言葉だけでなく、天国をどのように実現するかが、大きな課題になっています。天国を実現するのですが、本来の天国基準は、神様の創造原則を中心として設定されるのです。
堕落したその世界は地獄になりましたが、堕落していないその世界は天国でした。神様は絶対的な方なので、その方が立てたみ旨は変わりません。唯一無二であられるその方のみ旨なので、人間が堕落したとしても、そのみ旨は唯一無二のみ旨として残っているのです。ですから、その絶対的なみ旨を立てて完結しなければ、創造主として、全知全能であられる神様として、威信と権威を立てることはできないのです。
そのため、今まで僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代へと反対に通過して上がってきたのが歴史的な路程でした。このような観点から、天国には神様が再び現れなければなりません。創造の過程が必要ない立場に立たなければならないというのです。再創造しなければならない立場では、天国実現はできません。創造が終わり、創造目的が実現されてこそ、天国が成し遂げられるのです。
子女による天国実現
13 一九七六年の標語は、「子女による天国実現」です。皆さんによる天国実現であって、父母様による天国実現ではありません。一九七五年までは、漠然と「天国実現」と言いましたが、今や子女による天国実現なので、天国実現の内容が具体的です。
愛の公約を中心として宇宙が回るようになるとき、全体の影響圏が「私」によって広がるので、私は個人ですが、天国の雰囲気を導くことができ、家庭が天国にとどまることができるのです。すべて通じます。また、統一教会の氏族圏において天国が広がり、国家圏において天国が広がり得るのです。このようになってこそ、地上天国が実現されるのです。
14 一九七六年一月一日のみ言の題名は、「子女による天国実現」です。神の子女による天国が実現されるためには、昔の息子、娘ではできません。完全に変わらなければならないというのです。皆さんが完全に変われば、ここから新しい分野の天国実現が一歩一歩、近づくのです。ですから、神様によって天国が実現されるのではなく、息子、娘によって天国が実現されるということです。アダムとエバが神様を絶対的に信じたならば、神様の息子、娘になったでしょう。
しかし、アダムとエバは、神様のみ言を絶対的に信じることができなかったことにより、サタンの息子、娘になりました。堕落してしまったというのです。ですから、この時に神様のみ言を絶対に信じる息子、娘にならなければならないというのです。そのため、父母様のみ言を神様のみ言として絶対的に信じるようになれば、神様の息子、娘になるのです。
理想家庭による天国実現
15 一九七七年の標語は、「地上天国と理想家庭」、すなわち「理想家庭による天国実現」です。今まで神様の願いは何だったのでしょうか。堕落した世界で、サタンの讒訴を受けない世界的な道の上に立った一つの家庭を追求してきたのが、復帰摂理のみ旨です。堕落することによって、神様の直接主管を受けられる家庭の起源を迎えることができなくなりました。ですから、完成した家庭が出てくるためには、サタンの侵犯を受けて堕落することなく、神様の愛を直接受ける圏内に入って、神様と一つになり得る家庭の起源を、言い換えれば、理想的なアダムとエバの完成基準を成就しなければなりません。
これからは、統一教会を中心として、神様の愛を直接受けられる家庭圏内に入ることによって、サタンが反対すればするほど、かえって天に利益をもたらすことができ、天に復帰され得る反作用的作用をする時代に入ります。ですから、これからは、反対すれば反対するほど、その反対する程度によって、サタン世界は崩れていき、私たちは拡大していくでしょう。
16 統一教会の当面の課題は、天国を実現することです。そのようにするためには、理想的な家庭の基盤を皆さん各自で、あるいは皆さんが置かれた所で、成就しなければなりません。そのようにしてこそ、崩壊したサタン世界圏をすべて吸収する一つの起源になり、足場になり得るのです。
今から皆さんは、どのような考えをもたなければならないのでしょうか。堕落していない本然の世界で、神様とアダムとエバが完全に一つになったのと同じ生活圏(を形成し)、真の父母を中心として、その父母と内的な生活においても外的な生活においても、すべての環境的な生活が一致化する生活圏を形成しなければなりません。そのようにしなければ、神様が主管できる真の家庭になれません。本来、神様の創造理想から見れば、子女は父母と永遠に一緒に暮らすことができ、永遠に別れることができません。そのような立場にいることを自ら感じる自分たちにならなければなりません。父母様と皆さんが父子の関係にあるとすれば、ここに真の父母と真の息子の関係が成立しなければならないのです。
ところが、その真の父母と真の息子の関係は、皆さんと父母様がいくら結ぼうとしても、結ぶことはできません。神様がここに介在しなければならないのです。父母様の家庭に神様が共にあると同時に、皆さんにも神様が共にあって、神様が束ねてくれてこそ、ここで新しい天の家庭の心情を体恤することができるのです。
公式路程を通しての天国実現
17 一九七八年の統一教会の標語は、「公式路程を通しての天国実現」です。これを成し遂げようとすれば、まず父子の関係である父母と息子、娘が、神様を中心とした一つの心情を備えなければなりません。家庭と同じように、責任者たちは母の立場なので、そのような心情的絆のつながりをもたなければなりません。それを中心として、雄々しく勇進しなさいというのです。そのように闘っていかなければなりません。ですから、神様の愛を中心としてこの表題を掲げ、実践していきなさいというのです。
18 家庭を拡大したものが国です。アメリカは、数多くの民族が集まっています。数多くの民族が集まったその背後には、数多くの文化的背景がそろっています。国の主権者は、国の神様です。国において、神様の代身者だというのです。また、国の主権者は国の父です。皆さんの家では、父母が神様です。神様の代身者です。
同じ公式が国家にも適用されます。その主権者が妻と完全に一つになり、息子、娘と完全に一つになれば、その国が完全に一つになるのです。その主権者と息子、娘たちは、自分の家庭のために生きる人々ではなく、国のために生きる人々です。国のための生命であり、国のための愛でなければならず、国を中心とした環境で生活しなければなりません。大統領も、神様を中心として個人天国を実現することができ、夫婦同士、家庭を中心として家庭天国を実現できなければなりません。それを核心として、国と一つにならなければならないのです。
家庭教会を通じた天国完成
19 一九七九年、新年の標語は「家庭教会を通じた天国完成」です。家庭教会という言葉は本来、エデンの園から始まらなければなりません。教会と言えば、宗教のことを言うのですが、宗教は神様を抜きにしては語ることができません。宗教という文字を解いてみれば、「宗となる教え」です。家で言えば、棟のことです。すべての教えにおいて、原理的であり、原則的であり、中心になる教えという意味があります。ですから、神様を抜かせば、宇宙はすっかり崩れてしまうというのです。
宗教は、新しい宇宙の家を造るための摂理の基盤なので、土台を築き、柱を立て、すべてのものを備えたとしても、この棟木を載せなければ、すべてのものができ上がらないのです。
20 家庭教会の役軍(担い手)は、神様のように教えてあげることができ、神様のように愛することができる人でなければなりません。父母の立場で愛し得る教会、そのような人、そのような国民、そのような世界人類になれば、神様が地上のどこにでもお出ましになって、天国になり得るのです。第一は教育、第二は愛です。ですから、犠牲にならなければなりません。そのようになるとすれば、そこからは神様が離れることができず、神様を父母のように侍らざるを得ず、神様を師のように侍って学ばざるを得ず、神様と一緒に暮らさざるを得ないというのです。
このような思想を立て、このような思想を教えてあげるために、アベル的な人、天の側の人がいなければなりません。そのアベルの中に、王がいなければならないのです。個人的チャンピオン、家庭的チャンピオン、氏族的チャンピオン、民族的チャンピオン、国家的チャンピオン、世界的チャンピオンがいなければなりません。歴史始まって以来、天地を中心とした神様の摂理の中で、初めて全体を代表したチャンピオンがいなければならないというのです。