真の父母経 第120話

教役者・教授原理公聴会

一九七〇年十一月二十六日から二十八日まで、既成教会の牧師二十八人が参加する中、第一回牧会者原理公聴会が開かれたのを皮切りに、数十回にわたって牧師たちに「統一原理」を紹介した。一九七一年だけでも、合計十二回にわたって九百十五人が参加するなど盛況を呈し、彼らの大部分は、「統一原理」に多大な感銘を受けたと、感想文を通して明らかにした。

これとともに、一九七一年一月十日から十一日まで、多くの大学教授が参加する中、第一回教授招請統一原理セミナーが開催されたことを契機として、その後も数十回にわたって公聴会を開催した。真の父母様は、このように、各界の指導者たちを対象に統一原理公聴会を開催することを指示された。

9   伝統的キリスト教は、お父様に対して今まで数十年間、反対してきています。しかし、一方通行で反対し続けていると、大変なことになるというのです。反対していた人々が、「統一教会はそうではない」と言いながら、歓迎するようにしなければなりません。

そのようなことをしなければならないので、今に至るまで、反対するキリスト教徒たちを対象に、公聴会を行っているのです。ですから、地方教会でもかなりの問題になっています。「統一教会が牧師たちを連れていって伝道している」と、大騷ぎしているのです。

10  キリスト教の牧師たちを中心として統一原理公聴会をするのに、たくさんのお金がかかります。そのお金で地域本部を造るほうがよいのではないかと思うかもしれませんが、お父様は、そのように考えません。葉は落ちてしまうので、葉よりは枝と幹が問題だと考えるのです。

大韓民国で最高の位置にいる人々が学者たちであり、キリスト教で最高の位置にいる人々が牧師たちですから、第一に、牧師たちに対して、お父様が果たすべき責任を全うするために精誠を尽くさなければなりません。

彼らが私たちの「原理」を一度聞けば、問題にならざるを得ないのです。ですから、一度聞いて(今までのものとは)違うと思い、二度聞いて(さらに)違うと思うのです。

ある人々は、「二十世紀の奇跡である」と言いますが、これは奇跡ではありません。原理原則の立場で、どれほど徹頭微尾、事を進めていくかが問題です。そのような立場に立たなければ、すべて流れていってしまうのです。ですから、精誠を尽くさなければなりません。

精誠は、いい加減に尽くすのではなく、かわいそうな人を思って尽くさなければなりません。お父様は精誠を尽くすとき、ある人がぼろを着ているという思いが湧いてくれば、寒いときでも服を脱ぎ、その人のために祈ることが多くありました。そのような基準があるので、今日、これほどの基盤を築くことができたのです。

11  統一教会は、キリスト教から追われてきましたが、彼らから歓迎を受け始めました。これが一九七一年からです。統一原理公聴会を通し、牧師たちを千人以上連れてきて教育しました。

そこには、「統一教会のために生命を捧げて闘います」という人々が多くいます。統一教会の原理をもって説教する牧師たちも多いというのです。そのような牧師たちが全国にたくさんいます。そのみ言をもって説教さえすれば、信者たちが(聖霊の)火を受けて喜びます。何回かしてみれば、これは間違いなく天のみ言であることが分かるというのです。

12  イエス様の時代に一つになれなかったユダヤ教とイスラエルの国を、今日、私たちが一つにしなければなりません。お父様が今の時代に有り難く思うのは、今日、統一教会とキリスト教の牧師たちが互いに往来するようになったという事実です。

統一教会は、草創期にキリスト教から迫害を受けましたが、今やキリスト教の牧師たちが往来できる圏がつくられたというのです。これは、数千年の歴史を蕩減できる立場に立ったということです。

もともと、牧師招請原理公聴会を三次までするだけでも、条件に引っ掛かりません。しかし、六月までに七次をすることになります。一九七一年は、七千年歴史を横的に蕩減する運勢に匹敵します。ですから、統一原理公聴会を、何としてでも一九七一年六月末までに、七次までは終わらせようと思います。

この公聴会に参加した牧師の数が六百人を一人でも上回れば、条件に引っ掛かりません。しかし、七百人を超えてみようというのが計画です。このようにすれば、お父様の責任を果たすことになるのです。

このことをするために、これまでどれほど苦労したか分かりません。皆さんが知らない中でそのようなことをしてきました。統一教会員の数が問題ではありません。蕩減をどのようにしていくかが問題なのです。

13  完全なプラスと完全なマイナスが一つになるときには、宇宙が永遠に保護します。

私たちがキリスト教と一つになるというのは、キリスト教を生かしてあげようということです。完全なプラスの位置に立って、完全なマイナスの位置にいる彼らを生かしてあげようというのです。マイナスの位置にいる彼らが私たちと一つにならなければ、(代わりに)国が巻き込まれてきます。越えていくことができるのです。

真をもって行動する人は、真の結果と向き合うようになるのです。ですから、この全天地を動員して、法度的な立場で私たちを保護できる絶対安定圏が、私たちの行路にあることを忘れてはいけません。

片方の足では統一ができません。合わせなければなりません。合わせようとすれば、これが対角線にならなければならないのです。ですから、統一しようとすれば、統一教会がキリスト教と一つになり、国と一つにならなければなりません。それが一番の近道です。

キリスト教徒たちは、二週間だけ「統一原理」の教育を受ければ、皆さんより勝るというのです。そのようになり得る事実が、目の前にはっきりと見えるのです。ですから、いかなる困難があっても、このことを実践しなければなりません。

14  復帰路程において、アベルはカインを復帰してから現れます。誇って復帰するのではありません。自然な立場で復帰しなければなりません。

キリスト教牧師統一原理公聴会にも、お父様は現れません。現れないのですが、彼らが私に反対したので、彼らが訪ねてきて、頭を下げなければなりません。大韓民国が復帰されるまでは、(原理公聴会に)現れないというのです。神様の威信があるのです。私が口下手だからではありません。理由があり、天の法則があるというのです。

皆さんの使命は、カインを救ってあげることです。個人においては個人的アベルなので、個人的なカインを救ってあげなければならず、家庭的アベルであれば、家庭的カインを救ってあげなければならず、氏族的アベルになれば、氏族的カインを救ってあげなければならず、民族的なアベル統一教会であれば、民族的なカイン教団を救ってあげなければなりません。それでこそ、そこから初めて、国家と向き合うことのできる資格をもつ人になるのです。

今、最も急を要することは、どのようにアベルになるかという問題です。そのようになれば、統一教会の願いは一度にすべて成し遂げられるのです。

15  一九七一年の正月から十二月初めまで、キリスト教牧師統一原理公聴会を開催し、今まで八百人以上の牧師たちが公聴会を経ていきました。また、大学を中心としては、教授招請統一原理公聴会を四回行いました。

大学は、私たちでなければ、学生たちが新しく行くべき道を提示することはできません。文教部当局も、そのような見地から私たちを見ています。また、勝共路線を中心として見るときも私たちでなければならないという立場が浮き彫りになっています。

このような実情を見るとき、み旨を中心として絶頂まで来たと考えるのです。このような時が来たので、統一教会の食口たちは、全体を代表する個人として、その価値を表さなければなりません。

ですから、そのような問題を前にして、私たちは全国的に新しい活動体制を整えて動き始めました。祝福家庭の婦人たちが今、全国に出ていって活動しているというのです。婦人たちが出ていって活動するとともに、この家庭と関係のある食口たちも、ここに歩調を合わせているのです。

16  大韓民国は、このまま行けば滅びます。思想が弱々しくて腐敗しているものを掃除し、清算できなければ滅びるのです。ですから、ここには私たちの思想が必要です。間違いなく必要だというのです。

最初に、「統一教会でキリスト教牧師統一原理公聴会をする」と言った時は、「牧師たちが来ると思うか」と嘲笑しました。それは、天倫を知らずに口にする言葉です。今や、来るなら来て、やめるならやめなさいというのです。そこの代表となる三、四人の人さえ協助するようになれば、あとからすべてが支持するようになるのです。

17  統一教会が生きていける道は、どこにあるのでしょうか。統一教会自体では、絶対に駄目です。

統一教会が生きていこうとすれば、必ずキリスト教を中心にした宗教界を動かさなければならず、その次には、大韓民国において政策を樹立する数多くの背後の人物たちを動かさなければなりません。そのような準備をするために、教授たちを教育するのです。

前回の第三回統一原理公聴会にも五十数人が参加しましたが、相当な効果がありました。私たちが莫大な経費を使いながら、大学の有名な教授たちを中心として統一教会の「原理」を研究させ、各自の専門分野から見た「統一原理」に対する批判とともに、彼らの所感を添付したものを早く冊子にしようと思うのです。著名な教授たちが公認した冊子を見る人々は、反対することができないでしょう。

ですから、それを一刻も早く作らなければなりません。今まで、三度にわたる教授たちの公聴会を通した実証的な証を通して見るとき、誰もが認めざるを得ないというのです。

Luke Higuchi