真の父母経 第115話
6 個人は、国のために生き、世界のために生きる道を模索していかなければなりません。その次には、家庭がその道を模索していかなければなりません。ですから、「祝福家庭から出発しなさい」と言ったのです。
家庭が国を愛する道を行かなければなりません。夫だけが国を愛してはいけません。妻も子女たちも愛したという条件を立てていかなければなりません。これが、四位基台が備えるべき条件です。
いつ家庭が神様を愛し、国を愛してみましたか。愛することができなかったので、四位基台的な愛の一つの起源を準備するために、統一教会は仕方なく、統一運勢の時代が目前に迫るこの時に、祝福家庭の婦人全体を動員しているのです。
7 皆さんたち祝福家庭の婦人が総動員され、地方に出ていけば、どのようなことが起きるでしょうか。夫と息子、娘を残して出ていくことによって、皆さんの家庭の四位基台は、母親を中心に分かれるのです。ですから、皆さんの息子、娘は母親を慕うようになります。
また父親は、妻が地方に出掛けて活動することを中心として、息子、娘を教育するようになります。「今、あなたの母親は、国と天のみ旨のために出ていって闘っている」と言いながら、子女たちが改めて母親を尊重する方向に教育できるのです。それこそ、母親を中心として、母子一致の基準を決定できる良い機会です。それだけでなく、夫婦が互いに協助して完成できる良い機会でもあります。
言い換えれば、家庭の四位基台が一時に協助し、目的を完成できる機会だというのです。そのような機会は、この期間しかありません。神様は六千年間、母子協助の基盤のために苦労してきましたが、ここでは、母子協助の完成はもちろんのこと、夫婦協助の完成までして、四位基台完成の協助基盤を決定することができるというのです。
8 一九七〇年十二月一日から、祝福家庭の婦人たちは総動員されなければなりません。男性たちが、「今回は、妻たちだけが動員されるので私とは関係ない」と考えるとすれば、妻とは何の関係もない人になります。
誰々の妻を動員し、誰々の母親を動員するというのは、家庭を代表して動員するということです。家庭を代表するだけでなく、教会を代表して動員するのです。ひいては、大韓民国が責任を果たせずにいるので、大韓民国を代表して動員するのです。大韓民国だけでなく、世界を代表して動員するのです。世界だけでなく、霊界の霊人たちと数多くの先祖たちを代表して動員するというのです。ですから、今回の動員にやり甲斐を感じなければなりません。
9 家庭を第一線に立たせるときは、夫よりも妻を立たせなければなりません。初めに堕落したのは、アダムではなくエバです。エバが天使長と非原理的に一つになることによって、神様と一つになれる道を壊してしまい、神様の子女になれる道も壊してしまい、アダムと永遠の理想的な夫婦になれる道も壊してしまいました。また、神の国と世界まで、完全に破綻させてしまいました。この張本人がエバです。
エバがこのような結果をもたらしたので、今日、統一教会の祝福家庭の婦人たちが、サタン世界の家庭を復帰するために第一線に進み出るようになったのです。これは、エバが天使長と堕落する前の段階の立場を再現し、家庭を代表してその立場に立ったのと同じです。
祝福家庭の婦人、千二百人を百二十ヵ所に派遣したのは、全体の数を代表して派遣したのです。派遣された所は大韓民国の地ですが、大韓民国という限定された地ではなく、世界全体の国家を象徴的に代表する地だというのです。
10 女性たちの開拓路程にも、蘇生、長成、完成の三段階の路程があります。それは、なぜでしょうか。神様は、今まで六千年間、復帰摂理をしてくるとき、男性を中心として三度行ってきました。それは、女性を解放するためのものでした。このように、縦的な面で男性たちが蕩減してきたので、女性たちは横的な面で先頭に立って蕩減しなければなりません。縦的な蕩減を横的にしなければならないというのです。
このように、三次の路程を通して個人を復帰し、家庭を復帰し、氏族、民族、国家を復帰しなければならないのが神様の摂理です。ですから、国家復帰の路程までは、女性たちが三次の開拓路程を経ていかなければ、蕩減原則の路程が完結されません。
11 いくら困難な道があるとしても、いつでも一つになり、祝福家庭婦人の三年動員期間を越えていかなければなりません。一九七〇年代を目指していくこの時に、願った基盤が一九七〇年から一九七二年までの三年の期間にできれば、韓国は心配することがなくなります。今は、韓国に協助してくれる方も神様だけであり、信じる方も神様しかいません。
北朝鮮は、武力で大韓民国を南侵できる万全の準備を整えており、さらには中国とソ連が背後で加担しています。このような共産圏を東北部において迎えているのが、大韓民国の実情です。
ここにおいて、日本は今、中国と手を結んで進む立場にあります。これを見るとき、大韓民国の進む道は、前後が塞がっています。このように、周辺国家によって包囲された状況の中に大韓民国がいることを理解すれば、大韓民国の国民として安逸な生活を送ることはできないというのは、言うまでもないことです。
12 イエス様は、三年の公生涯路程を行きました。その三年の公生涯路程の目的とは何でしょうか。何を求めるためのものなのでしょうか。エバを探し求めるためのもの、すなわち家庭を探し求めるためのものです。家庭を探し出して氏族を求めるためのものであり、氏族を探し出して教会を求めるためのものであり、教会を探し出して国を求めるためのものです。これが、イエス様が三年の公生涯路程で願った最高の望みでした。
その望みの限界点が(これから)選別されるのではなく、選別された基盤の上に立てる時代圏内に入ってきたのですが、その時が一九七一年だというのです。
ところが、ここで問題になるのは、祝福を受けた家庭が、真の父母様の家庭を中心として、完全に一つになっているかということです。サタンが讒訴する立場ではなく、完全に団結して、真の父母様の家庭と一つになっているかが問題です。完全に一つになって、国境線を越えなければなりません。サタンと闘って、最後の境界線を突破しなければならないのです。
祝福家庭の婦人たちの活動方針
祝福家庭の婦人は、くじ引きで任地を決定し、三十六家庭、七十二家庭などの先輩たちが班長になって活動を開始した。
真の父母様は、「本来は一人で任地に向かわなければならないが、世の中の環境には危険があるため、十人で一つの班を編成し、配置することになった」と語られた。また、イエス様の十二弟子が分裂した立場を蕩減し、族長編成の基盤を代わりに完結するため、すべての婦人は自分の生活習慣を捨てて、一つにならなければならないことを強調された。
韓国の国民が「統一教会員と一つにならなければ、韓国は生きることができない」と認めた勝利基盤の上で、真の父母様はアメリカを中心として、世界に進出されたのである。
13 愛する夫と子女を犧牲にし、み旨の道に従って国と世界のために行こうという家庭は、神様のみ前に残るのです。このように、夫をあとにし、子女をあとにして、か弱い女性が国のために生き、世界のために先頭に立って進んでいく歩みの前に、神様が共にいらっしゃることは間違いありません。
父母様は、祝福家庭婦人の動員を断行しながら、内心で少しの呵責も受けませんでした。私自身が安楽な生活をしようというのではないからです。その人たちを立てて、父母様が利益を得ようというのでもありません。利益があるとすれば、私の利益ではなく、国の利益として、世界の利益として、歴史の利益として、人類の利益として、神様の喜びとして残そうというのです。それが私たちの願いであり、それが私たちの行くべき頂上の標準です。
ですから、そのようにできる喜びが統一教会内の喜びとしてだけでなく、民族と国と世界の喜びとして残り、仰ぎ見る対象、記憶の対象にならなければなりません。そのためには、このような道しかないので、父母様がこのようなことを断行するようになったというのです。
14 祝福家庭の婦人たちが動員され、第一線に出ていくときには、乳飲み子を連れていってはいけないと、特別命令を下しました。乳飲み子を預けておく父母がいなければ、遠い姻戚に預けて出掛けなさいというのです。
そのようにすれば、統一教会が悪く言われることを私は知っています。「結婚するやいなや、どうして三年間、家を留守にするのだ」と言いながら、父母や親戚たちが批判するようになっているというのです。乳飲み子をもった母親たちは、乳飲み子を実家の父母に預け、父母がいなければ、おじの家に預け、そうでなければ嫁ぎ先の家に連れていって預けて、任地に行きなさいというのです。
そのようになれば、否が応でも引き受けてくれるのです。そのまま放っておいて見殺しにすることはできません。そのように、その乳飲み子を育ててあげることによって、彼らが恵沢を受けるようになります。
家庭が滅びるしかないのですが、福を受けさせるためには、無理やりにでも連れていって預けなさいというのです。批判はすべて浴びてあげるというのです。そのようにすれば、批判しながらも乳飲み子に関心をもつようになります。批判しても幼い乳飲み子に情が湧き、自分たちが言い過ぎたと思うのです。
その次には、親戚と一族が関心をもつようになり、国家が関心をもつようになります。また世界も「女性がどのようにして世界を救うのか」と言って、関心をもつようになります。ひいては天宙、全被造万物と天使世界が関心をもつようになるのです。歴史始まって以来、初めてのことを統一教会で行うのです。
15 お父様が、一九七〇年十一月一日から水澤里で行っている祝福家庭婦人動員修練会に行くと、ある人が来て、「子供たちをすべて家に置いて動員に応じなさいというのですが、どのようにすべきでしょうか」と尋ねました。それで、「どのようにしなければならないかは、あなたたちが分かるだろう」と答えました。どのようにすべきかは、皆さんがもっとよく知っているというのです。
その道は、私が行く道ではありません。私が行くべき道は、既にすべて通過しました。私が行く道にも患難時代があり、波風がありましたが、すべて通り過ぎたというのです。
今や皆さんが種になって、春の季節を迎えて植えられなければなりません。実になるためには、その環境をすべて整理しなければならないのです。葉が落ちて枝ばかりが残った木に付いている一つの実は、つまらないものではありません。つまらないものがくっついているのではないのです。純粋なものを植えなければなりません。
家庭であれば家庭において、一番貴重なものを抜き取って植えなければなりません。家庭で一番貴重なのは、父親でもなく、息子、娘でもなく、母親です。ですから、母親たちを動員したのです。
16 一九七〇年に、全国にいる統一教会の祝福家庭の婦人たちを動員しました。祝福家庭の婦人たちに「この国が悲運の運命を迎え、非常事態が差し迫っているので、この民族が生きるためには、家庭と子女を犠牲にしてでも、国を守護できる道を行かなければならない」と主張し、三年間、子女たちを預けさせ、乞食の姿ですべて送り出したのです。
そうして、批判する親戚の家に、「この子は私たちの息子ですが、私が三年間、行ってこなければならないので、少し面倒を見てください」と言うなど、ありとあらゆる悲劇的な背後を残して行脚の路程を出発し、闘ってきたのです。
統一教会を悪く言う人々にも、「統一教会は悪いが、三千万が統一教会の人のようになれば、この国、この民族は滅びないだろう」と言える思想を植えてあげなければなりません。流れていく歴史と、行く当てもない天地において、歓迎を受けられない姿で排斥される立場に立ち、それが歴史的なその何かとして残ることを願いながら命令するお父様も、かわいそうな男なのです。