真の父母経 第113話

12  お父様は、地方巡回をたくさんします。江原道の険しい道を自動車で走りながら感じたことは、「道が少しだけ、一尺だけでも広ければ」、という残念な思いでした。それは、運転手と搭乗者が共通に感じたことでした。私たちは、個人や家庭がかろうじて通れる狭い道を築いてはいけません。道を築くときに、さらに苦労して犠牲になったとしても、広く築かなければならないというのです。

それでは、歴史的な運命の道を開拓する統一教会の食口たちは、どのような道を築かなければならないのでしょうか。私たちは、この民族と世界人類のために歩む開拓者です。

皆さんには、目に見えないつるはしと熊手鍬(くわ)を持たせています。子孫たちから、「これは、もう少しこのようにしてくれていればよかった」という評価を受けてはいけないのです。「私たちの先祖はどのようにしてこのような道を歩んだのだろうか」と振り返らせることができる道を築かなければなりません。皆さんは、そのような道を築かなければならない開拓者です。

13  お父様は、一九六〇年に二十一日巡回路程を歩んだことがあります。このような道を、今後、日本の食口たちに踏査させたいと思います。「この二十一日コースは、開拓伝道の当時にお父様が迫害を受けながら、ガタガタとジープ型の車に乗って通った山道だが、この道は聖地なので、あなたたちは靴を脱いで歩きなさい」と言えば、裸足で歩くのです。このようにしておけば、三千里半島の四方八方で待つ人々が道を埋め尽くすようになるでしょう。

そのようになっていくようにしておいて、日本の次はアメリカ、というように、互いに競争させるのです。そうなれば、性急な人は、先に飛行機に乗ってやって来て待っていたりもするでしょう。そして、お父様が巡回したコースを裸足で歩かせる時が来るのです。皆さんは今、靴を脱がずにその道を歩いて通れることを有り難く思わなければなりません。今後、そのような時が来るというのです。

エルサレムを歴訪するクリスチャンを見れば、道を歩くのも注意深く歩き、別天地の天国に入って暮らし始める気分で歩くのです。それを見れば、今後、この国、韓国が、どれほど素晴らしい国になるだろうかというのです。そして、今、イスラームの巡礼者たちが、マッカ(メッカ)のようなその砂漠地帯を相次いで歴訪しています。そのようなことを見れば、それよりさらに素晴らしい韓国になるでしょう。ですから、韓国を立派にしておかなければなりません。

伝道師修練会

第一回伝道師修練会が、一九五九年一月十日から二月二十日まで開催された。それ以降も、核心的活動要員の教育のために、伝道師修練会が数回にわたって行われた。勤めている人の場合は、夜間に行われた七十日修練を経て、同等の資格を得ることができた。

特に、一九六一年十一月五日から十二月十四日まで行われた第九回全国伝道師修練会において、真の父母様は、一番の問題は神様とそのみ旨を知ることであり、そのためには歴史と時代と未来を知らなければならないことを強調され、永遠に残る人、み言、行動、理念、生活、心情の指導者になることを願われた。

14  私たちがみ言を学ぶ目的、人格を練磨する目的、心情を備える目的は、神様の心情を知ってサタンを打ち破り、サタン側にいる人を奪い返してくる人になるためです。そうしてこそ、サタンに対して勝利したという勝利の栄光を享受できるのです。

悔しさを抱き、悲しみを抱き、恨を抱いて、間違いなく勝利しようという皆さんにして、怨讐を退治する時まで、総団結して闘い抜ける天の兵士にしようというのです。

15  自分が困難な環境に置かれているとしても、その環境を批判してはいけません。すべての環境と条件を消化する立場にならなければなりません。皆さんはそのようにしようと誓って進み出た身なので、不平を言ってはいけないというのです。自分自身だけを考えてはいけないことを知って、公的な立場を取って進まなければなりません。

皆さんは、天地を身代わりし、全体のみ旨を身代わりした宇宙史的な立場です。ですから、責任をもつ立場で覚悟と誓約をしなければなりません。伝道師の修練を受けたあとは、指導者の立場に立って進まなければなりません。

16  修練生の皆さんは、この上なく悲しい立場にいる自分たちであることを発見しなければなりません。これを切実に感じなければなりません。そのような悲しい「私」であり、問題解決の焦点になる私だというのです。恨めしい歴史の子孫になったので、代わりに神様の恨に責任をもって解かなければなりません。

裁きの場に行って、嘆かれる神様を慰労してさしあげながら、「この罪悪に染まった民族を裁かないでください」と言える心情がなければなりません。「私たちは、忠臣であり、孝子ですから、私たちを御覧になって、私たちと共にいる人たちを赦してください!」と言うことができてこそ、新しい時代に残る人になるのです。

無念な神様を慰めてさしあげようとするので、無念な立場に立たなければならず、悲しい神様を慰めてさしあげようとするので、悲しい立場に立たなければなりません。「無限に嘆かれる神様をお迎えに行きましょう。無限に悲しまれる神様を慰めてさしあげに行きましょう。無限に悔しさをもたれる神様の恨を解いてさしあげに行きましょう」と言う息子、娘が現れてこそ、罪悪の歴史が終わるのです。

サタンに対しては憤慨心をもっても、世界や人類のためには祈ってあげることができなければなりません。

17  神様は、第一線から息子、娘を訪ねてこられます。端から訪ねて上がってこられるのです。神様は、天民思想をもっている信仰者を必要とされます。皆さんは民族の底から歩まなければなりません。この世界をはっきりと見つめてください。世界情勢は、天の動きとともに回っていくので、皆さんは信念をもたなければなりません。

お父様は、皆さんを最後の勝利者にするために、三年を期限としてこの道を開拓しているのであり、皆さんを修練させるのです。

18  私たちに悲しみがあるとしても、神様の悲しみを知る私たちは、それを嘆くのをやめましょう。民族の前に進み出て、「あなたたちのすべての悲しみを私たちに告げなさい」と言いながら、彼らの悲しみに責任をもち、死と犠牲と忍耐で防ぎ止めようと進み出る群れがいるとすれば、その群れは神様のみ旨を身代わりした生きる実体として、この地上の善と悪を審判できる主人になります。

神様はどの民族、どの教派からそのような群れが現れるかと、六千年間、待ち望んでこられました。私たち以上に苦痛を受け、私たち以上に死の峠を越え、私たち以上に哀痛な曲折の心情を抱き、安息の基盤を探し出せないまま、苦しみながら訪ねてこられたのです。

私たちは、このような父の姿を理解してさしあげなければなりません。父のこのような姿を知り、父が歴史路程において苦労されたのも「私」のゆえであり、この時代において摂理のみ旨のために苦労されるのも私のゆえであり、未来の希望のために苦労されるのも私のゆえなので、私のために苦労される父のみ前に孝子になるべき定めがあることを知らなければなりません。

これに対して「万民に代わって責任をもとう」と言って立ち上がれる人たちだけが、新しい時代の役軍になるのであり、新しい時代の天の仕事を引き受けて処理できる人になるのです。

19  伝道師修練会を終えた皆さんは、韓国の各地に出発しなければなりません。国を思って憂える人は愛国者であり、神様を思って憂える人は神様の息子、娘です。国のために働く人は、国の将来のために心配する子女を生むのです。世界的に見るときにも、このような民族と国民をもった国は滅びませんでした。そのような人々だけが、古い歴史を正すことができます。

皆さんは、神様の心情と願いと事情に一致する人にならなければなりません。自分の体と心の生活のことを心配しないでください。まず、訪ねていく村のことを心配してください。そこにも、神様の願いと事情と心情があります。皆さんの憂いは、罪悪の息子、娘たちを神様の息子、娘にするためのものでなければなりません。今日、個人、社会、民族、国家、世界を、神様が憂えていらっしゃることを忘れてはいけないのです。お父様は、四十年の生涯において、これを一時も忘れたことがありません。

全国巡回原理大講演会

一九六三年九月十六日から十月十三日までの四週間、秋季全国特別復興会が、三年の伝道期間を終結し、再出発の土台準備のため、千四百二十ヵ所で開催された。復興会は全国の八つの地区を四つずつ、南と北のチームに分けて進められた。九月十六日から二十二日までは、北の京畿地区三百ヵ所と南の慶北地区二百五十ヵ所で開かれるなど、十月十三日まで該当地区を中心として、復興会が集中的に実施された。

真の父母様は、韓国が「統一原理」を中心に新たに生まれなければならないことを明らかにされ、韓国を、万邦にその名をとどろかせる世界摂理の中心国家にするため、倒れることがあっても三千万の民族を抱き、走らなければならないと督励された。

特に、真の父母様の特別な関心の中で、大邱原理大講演会が十二月五日から十一日までの七日間開かれるなど、数回にわたって集中的に開催された。

20  一九六三年九月から二十八日間、私たちは、南と北のチームに分かれ、全国的に特別復興会を開催したのですが、この国はいつ定着するのでしょうか。天が立てようとする理念が定着したあとにこそ、可能なのです。それまでは定着できません。天理がそのようになっています。

神様が定着するまでは、この国も定着できません。神様のみ旨がこの民族の前にあるので、この民族の精神を指導している数多くの宗教が、神様のみ旨の前に定着できないとすれば、この民族も定着できないのです。

21  一九六四年四月、大邱で原理大講演会が成功裏に開催されました。神様が私たちと共にいらっしゃるので、勇気を出して闘わなければなりません。天地が変わっても、「私は不変だ」という信念をもたなければなりません。歴史と天と地にしみ渡ったアベルの恨を私の体で蕩減し、天の歴史を創造しようという信念に燃えなければなりません。神様の恨を解いてさしあげ、イエス様に代わってみ旨を成し遂げてさしあげようという信念に満ちていなければなりません。

天と地はすべて神様のものであると同時に、私たちのものです。大勢が変わり、今や誰も私たちを迫害できなくなりました。

山奥で飢えて苦しむ民の悲惨さは、正に過去の神様の立場と同じです。かわいそうな民を見るとき、手を握って痛哭しなければなりません。神様の子女になるべき彼らが、怨讐の前に抑えつけられているので、その悲惨さを見て、痛哭しなければならないというのです。皆さんは、飢えても落胆せず、彼らのために痛哭する忠臣にならなければなりません。神様と父母様の心情に代わって痛哭できる子女が、真の子女です。

きょうの飢えと悲惨さは、未来の栄光と喜びになるでしょう。皆さんは、民族と国民を愛さなければなりません。父母様が生涯、天に対して抱いた不変の心を皆さんが手本とし、疲れることなく、青春(を謳歌できないこと)を嘆かずに、不変の心で血と汗と涙を流さなければなりません。

Luke Higuchi